I – 2 日本の位置(Where We Are)

組織運営の今(Operation Management Now)
2019年3月に新型コロナウィルス感染症対策として、人の動きを80%止めてくださいという呼びかけがあった。その後、4月には緊急事態宣言が発出されて在宅勤務が呼びかけられた。インターネットの環境を整備すれば、場所は問わなくても業務は遂行できる。
しかし、そのとき分かったのは官民を問わず紙と印鑑を必要とする書類処理のために動かざるを得ないことだった。緊急事態宣言発出後、電話やファックスは使用できるが、ネットに対応していない現場業務や各種申請業務などのために紙と印鑑を必要とする業務、人と人が接触しなければならない業務などに携わる人、エッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちは動かざるを得なかった。
新型コロナウィルス感染症の流行によって、原本に印鑑を押して初めて正式の書類になるという印鑑絶対という日本型の手続きが見直しの対象となった。働き方改革の一環として、役所に提出する書類の見直しが進み印鑑不要の書類が増えた。
今まで書類に印鑑が必要となる理由の一つは、物事が決断する人の裁量で決まるという事実を残すことにあった。印鑑を押す行為は押印者が責任者であることを示す記録と解釈されているからだ。書類として通用させるためには捺印が必要という理屈になっていたが、多くの書類で押印は意味のない行為であることがわかった。
一方では、多くの責任者が責任者としての責任を追及されないようにするために、記録として残る捺印する書類を避けてきた。責任者が捺印を必要とする書類を避けて口頭で指示を出すことで組織を動かしてきた文化がある。たとえば、株の売買さえも電話一本で行われてきた。口頭で取引が成立する文化が電話による詐欺行為が減らない原因の一つになっているといえなくもない。
いわゆる先進国に限らず諸外国では各種申請書類をインターネット経由で処理できる場合が多く、時間と場所を問わずに申請できる。多くの事務処理でPDFと電子署名も受け入れられている。しかも、各国の母国語表記のページに加えて多くの場合は英語表記に言語選択ができるので、初めてアクセスしても使い勝手がよく問題なく処理できるようになっている。
日本では申請業務などの役所が関係する事務処理はいまだに多くの場合インターネット経由ではできない。そのため給付金の支給に6週間も8週間もかかったり、日々の感染者数の統計に時間がかかったりした。申請から2週間以内に給付金が支給されたヨーロッパの国と比べると、先進国とは言えない状況が明らかになった。
しかし、3周遅れを取り戻すためには業務のデジタル化とインターネット利用の前にしておかなければならないことがある。組織運営に必要な業務執行規則と業務執行の基礎となる作業手順規則を規準化して社会で共有することと構成員が規則(Rule)を守ることだ。
課題解決の方法を組み立てている基本作業を規準化し組織運営の常識として社会で共用するのだ。課題解決の具体的な方法は決して新しい手法ではない。すでに社会で共有されている業務執行規則の基となっている作業の一つひとつを見直して、構成員が規則を守るように業務手順を再確立して責任の所在を明確にすることだ。

1980年代にGDPがアメリカに次いで2位を記録したころ、日本の会社経営方式は世界の注目を集め研究対象となった。日本の躍進は日本的経営の三種の神器といわれ1)企業別組合と2)終身雇用と3)年功序列制という三つの特徴が挙げられた(1958年にアメリカのアベグレンが「日本の経営」で欧米に紹介)。製造業の高い品質管理はこの「三種の神器」が支えていた。
しかし、高度成長を支えた経営特徴は1990年代のバブル経済崩壊とともに崩れた。組合組織率は約35%から約15%までさがった。大学新卒の転職率は約30%、つまり3人に一人は就職してから3年以内に転職しており、業種によっては50%を越えるといわれている。企業別組合や終身雇用が当然ではない社会を迎え、多くの組織では給料や待遇の年功序列が見直されている。
年功序列は見直しの対象の一つではあるが、組織の年功制はすべてがあいまいな社会にあっては有効な日本文化でもあった。多くの物事が年功に従って進められる組織は同じ価値観を持つ文化において決してマイナスではなかった。
年功序列の組織に所属するスタッフは所属年数や年齢の長短に基づいた各部門の垣根を超えた働きによる業務運営が行われていた。年功序列型の組織では組織全体の融和が優先され、系統が違う会話であっても業務として受け入れられた。業務に伴う責任も年功序列で負うことが組織の文化だった。
同一企業内で育った人は各人の職務範囲(Job Description)とは関係なく組織に良かれと思われることは進んでやる人を育ててきた。しかし、そうしたゆっくりした形態は新しい業種、市場、商品、サービスの矢継ぎ早の登場に人的資源が追い付かない状況を生み、優位を誇った日本モデルは崩れた。企業は即戦力の人材を必要とする社会に即するように変化を余儀なくされたのだ。
振り返ると1990年代に、日本の企業と団体は品質保証の国際規格であるISO9000番シリーズの資格を取得してきた。日本の企業は、製品の品質はともかくISO9000番シリーズに基づいて業務運営の品質を保証するような行動をとってきただろうか。ISO9000番シリーズの資格取得で日本の社会は信頼が増しただろうか。疑問符を付けざるを得ない組織があることも少なくないといわざるを得ない現状がある。
各組織がISO9000番シリーズの資格を取得して、モノつくりでは高品質を保証してきたにもかかわらず日本社会が3周遅れになっているのは組織運営の品質が保証されていないからだ。法を犯さない範囲で嘘や捏造がまかり通る日本の組織運営は信頼性を欠いている。科学技術大国だが組織運営面での生産性が低い日本の3周遅れを取り戻すためには組織運営手法の見直しが不可欠だ。
日本の組織運営には四つの特徴がある。一つ目の特徴は事項ごとに組織内を回覧する稟議システムによる組織決定手法にある。組織の意思決定は稟議書類が組織を回るなかで醸成される空気(雰囲気)によって決定されるシステムだ。
稟議型の組織運営は、責任者がポストの責任範囲内で意思決定に積極的に参加しているとは言えない。同調圧力を察してわきまえることが組織文化として成立しているので、稟議が回ってきた段階でコメントすることはあっても反対はしない。稟議書類が回ってくると黙って自分の欄へ印鑑を押して次へ回す。
会議では組織責任者の提案に誰も反対意見を言わない。出席者が黙ったまま議案が通るので、議事録は会議出席者全員の同意を得て意思決定されたように記録される。議事録は決定責任が組織の責任者ではなく組織全体にあると記録しているのだ。
二つ目の特徴は人に権威がついてまわる年功序列型に根差した組織にある。多くの規則(Manual)には職位(Post)の職権(Authority)と職務(Duty)と責任(Responsibility)が書かれているが、具体的に明示されてはいない。業務の手順(Procedures)も概略を述べるだけで作業ごとに明確になっていない。
組織の構成員が業務に伴う事項の決定を求める場合は、すべての事項に上司の裁可を求め担当者の職権内で決定することはない。したがって、決定事項に問題が発生した時、組織のどのポストに責任があるのか不明だ。日本モデルの業務の進め方は職位の権限と義務が明確ではなく、責任範囲も明確ではない。人に権限がついて回るので、ポストに就いた人によって責任範囲は変化する。
問題が起きてもポストの責任が明確ではないから責任の押し付け合いがおきるが、だれも責任を取らないよう丸く収めることが伝統的に組織の運営基準となっている。組織の一員が問題を丸く収めるようにわきまえることが暗黙の了解として求められているからだ。
年功序列に従って責任あるポストについても、権限は使うが責任は取りたくないという上司の存在がある。誰も責任を取らない組織は責任者以外が組織内で醸成された流れる空気を止めることは困難となる。雰囲気で業務が進められて責任者が責任を取らない組織は信用を無くすことになる。
三つ目の特徴は業務の進め方が組織ごとに違うことだ。そのため、実務担当レベルの人が新型コロナウィルス感染症の蔓延で職を失ったとき、業界や専門を越えて移動するにはハードルが高く流動性が低くならざるを得ない。移動したとしても新しい組織の業務の進め方に一から参加することになるので、生産性は低く効果的ではない。
基本的な業務が基準化されて社会で共有されていれば、業務の基本が同じなので転職ははるかに容易となる。転職のハードルが下がり生産性の向上が期待できる。
四つ目の特徴として、報告で求められる答えがイエスかノーのいずれか一つのみということがある。できるかできないかを問われた時にどのように(How)できるかの内容についての問いがないので、答えは「はい、なんとかします」と答える。上司はどのようにできるかどうかの詳細を求めないので、担当者は内容の具体的な検討をしていても報告はしない。
業務の結果は時間の経過とともに一つの目標数字に収斂するが、中間報告では数字に幅があるのが当然だ。しかし、目標数字の達成のみが求められるので、合理的な理由もなく「最終的には目標数字を達成します」という報告となっている。
日本の優れた品質管理の下で製造されたモノの品質はいいが、遅れを招いている組織の運営を支えているシステムに信用がない理由は、
1 現物確認ではなく必要に応じて作成されたもの、
2 書類の差し替えが行われたもの、
3 記録がないこと、
などを公式見解とした組織運営がなされていることが考えられる。
製造業はモノを生産するハード技術の直接部門と組織を運営管理する間接部門から成り立っている。間接部門の業務遂行には組織ごとのやり方がある。間接部門の業務執行に必要な組織運営の技術をソフトの技術(Soft Technique)と呼び、ソフトの技術にも業務執行の技能(Skill)がある。3周遅れの理由はハードの技術である製造技術(Manufacturing Technique)ではなく、ソフトの技術である組織運営の品質(Management Quality)の違いにあるといえる。

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