なんだこれ (たぶん書いたのは夏の終わり)
私には子どもがいない。
なのに、我が家には4人の子どもの声がする。
先月、10年間暮らした東京の地を離れ地元の札幌に戻ってきた。
向こうで一緒に住んでいた妹も一緒に。ついでにもう一人の妹も1歳の息子を連れて長期帰省中。
今、なぜか家族全員が集結して実家にみんなで暮らしている。
三姉妹は皆とっくに家を出た気でいたし、それぞれ今後進む道もあるけれど、期間限定、とりあえず流れ着いたという感じだろうか。私たち姉妹は実家を出たところで家族間の癒着がなくなる気配が一切無いことに定評があるので、周囲からはたいして驚かれなかったと思う。
朝、甥の泣き声で家族が目覚め始めるのが当たり前の光景となってきた。
私はしばらく実家に住むという許可を父から得たのをいいことに、(勝手に)実家の二階を改造した。
自分の部屋は、これから一緒に会社を起こす友人と使うためのオフィスに変えた。家具はオフィス空間に必要なデスクと本棚以外全て処分した。ベッドも捨てたので寝るときは妹の部屋に間借りさせてもらっている。階段を上がった共用部(うちではホールと呼んでいる)にあった家具も全部処分して、子どもが自由に遊べる空間にした。
引越しの直後からせっせと理想の空間作りを始め、家族の多大な協力も得てあっという間に託児スペース併設オフィスが出来上がった。
そこに、友人たちが子どもを連れてやってくる。
2人の母親と、3人の子どもがやってくる。
我が家の甥もいれて計4人の子ども、それも0歳〜4歳の異年齢集団を横目に、私たちはオフィスで仕事をする。子どもたちの保育は、私の妹が担当している。
誰かが泣くと、呼応するように他の子が泣き出す。泣き声のオンパレードに、大人たちは思わず顔を見合わせて笑う。誰かの笑い声が響くと、「テンション高いなあ」って嬉しくなる。
こんな未来、まったく予想していなかった。
私には子どもがいないのに、仕事をしながら4人の子どもの気配を感じる。
仕事の合間に子どもを抱く。彼らの柔らかさと暖かさ。そういったことが自分の心をこんなに落ち着かせてくれるなんて、思いもよらなかった。
たまに、友人たちの帰りを外まで見送りに行く。妹たちと甥もみんな玄関の外に出て、散歩がてら見送る。
夕暮れ時の涼しくなった風の中をみんなで歩く。やっと歩けるようになってきた甥っ子がよたよたと行く。妹たちが見守る。少し先で、友人と子どもたちがまたねと振り返って手を振っている。
なんだこれ。
なんなんだ、この状況。
感無量、みたいな安っぽい言葉でしか表せないこの感情を、いつまでも覚えていたいと思った。
ずっとずっと手を振り続けている子どもの姿を遠くなるまで眺めていたら、目が滲んできた。
いつもご覧いただきありがとうございます。頂いたサポートは本のために使わせていただきます。