25歳の私が、"未来ある若者"という言葉に感じるモヤり
子どもは国の宝だ
未来ある若者が、、、
そんな言葉に、最近もやもやしている。
前提として、それらの言葉は正しいと思うし、間違っていないと思う。
ただ、
「自立して社会に貢献する大人」になれなければ自己責任論を振りかざされるこの国の風潮に、辟易としているのかもしれない
大人は、その未来を生きている
大人になると宝じゃなくなってしまうの?
若者と中年だと価値が変わるの?
いや、そんなへ理屈が言いたいんじゃない。
でも、貧困問題を追うライターとして感じるのは、大人の貧困への風当たりの強さだ。
自身の貧困体験をnoteを出し、ありがたいことに大きな反響を呼んだ。
そこでは生い立ちから23歳までのことを書いた。
その後、現代ビジネスで、フェーズごとに記事を書いた。
そこでの反応はこうだ。
幼少期→同情
大学生時代→まあかわいそうかな
社会人→は?就職したら抜け出せるだろ?
あまりの反応の違いに驚いた。
それだけではない。編集者さんに、自己責任論と闘うライターになりたいです、と伝えると、「子どもの貧困というテーマのほうが、共感を得やすいと思うよ」と返された。
確かに、子どもは経済的に自立しておらず、100パーセント家庭の所得の影響を受ける。いわば社会的弱者だ。国や社会全体で守るのは当然。そして、その後教育を受け、社会にでて自立し、また子どもや若者に還元する。
それがあるべき姿だと思う。
だが、それは、家庭の所得格差からくる教育格差、またそこから生まれる学歴格差からの所得格差という貧困の連鎖を断ち切れるほど、社会福祉などが機能している社会で成り立つことだ。現実は違う。
貧困の連鎖をナメないで
「お金の使い方が下手。」それをあたかも努力不足のように切り捨てる人がいるが、貧困家庭の私が感じるのは、お金のリテラシーも親の影響をうけるということ。お金のリテラシーの低さを受け継ぐこと自体、貧困の連鎖の要因なのだ。
そもそも、教育格差や文化的資本の乏しさなど、目に見えない貧困の連鎖の要素は可視化されにくく、スタートが平等ではないことが伝わりづらい。
ゆえに、生まれながらにベースのある人たちは生まれながらのアドバンテージに無自覚で、経済的弱者は自己責任だという妄想に陥る。
大人になっても貧困を抜け出せない人には以下のようなケースがある
・ヤングケアラー(18歳以下で親の介護を担っている)人が就職などに苦戦する
・虐待(性的虐待など、多岐にわたる)やいじめの後遺症で社会生活を送るのが困難
・病気や障害がある
など。
また、後天的要素で貧困に陥る人もいる
・DVによる離婚でシングルマザーに
・職場でのパワハラで鬱に
・親の介護
・病気、障害
・リストラ
などだ。
大人、特に中高年の貧困への無理解や差別
「子どもの貧困には同情するけど、怠けて貧困になった中高年には同情できない」
そんな言葉を聞いて愕然とした。
ホームレスへの風当たりは今も強い。
「大人の貧困は自己責任だ」
それは生まれながらの格差が是正され、貧困の連鎖を断ち切れる社会が実現し、社会福祉が機能したうえで、初めて言えることではないか。
生活保護があるだろうという人達。生活保護受給対象の水準にある人のうち、受給できている(捕捉率という)のはたった2割だと知っていますか。
扶養照会で親族に連絡がいくのを恐れて。
自分で頑張らねばと自己責任論を内在化させて福祉に頼れない人が大勢いることを、知っていますか。
酒やパチンコに使って、働く人より多くもらっているというイメージを持たれ、世間の目が怖くて生活保護に頼れない人もいるんです。
申請さえ役所で断られるひとも大勢いるんです。そのために議員や支援員が付き添いしていることを知っていますか。
そんな社会で、病気やリストラや、さまざまことが起きたら、もう落ちるしかないんです。
”子どもは国の宝、若者は国の未来”。
そういっておきながら、
大人になると選別が始まるのか。
社会的責務を果たした大人と、そうでない大人と。
そう考え始めると、”子どもは国の宝、若者は国の未来”という言葉を素直に受け取れない。
私はたくさんの人に助けられ、なんとか貧困を脱しつつある。しかし、多くの人が支援してくれたのは、若者だったから、なんじゃないだろか。
障害者の父を持ち、極貧家庭で生まれ、大学進学後も格安シェアハウスのストレスで体調を崩し続けたかわいそうな”未来ある”若者。
これが、中年の女性だったら?
25歳でも自己責任といわれるのに、もっと風当たりは強いはずだ。
私は、子どもの貧困と大人の貧困は、性質は違えど深刻さは変わらないと思う。だからこれからどちらもライターとして可視化していきたい。
私の父はもう60を過ぎている。
貧困家庭で生まれ、父が12歳の時、父親が他界。シングルマザーで4人の子どもを育てた。結婚後に精神障害者に。事故や病気で入院を繰り返し、定職につけない父。
実家に帰ると、「パソコン使えんと雇ってもらえんだって。わし、電源がどこにあるかもわからんに」
そう寂しそうに笑う父を見るたび、涙が出る。
私が記事を書くと、障害者は子どもを産むなというコメントが必ず付く。
ほんとうにやるせない。
父もかつては未来ある若者だった。困難な境遇にさらされながらも、懸命に生き私を育て上げてくれた父。父はいまも、その未来を生きている。
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