幼稚園の頃 隣のクラスに、おかっぱの大人びた可愛い女の子がいた。可愛いというより美人さん。美人さんというよりめんこいって感じの子。 その子の名前は勝手に「梅」だと思ってた。仲良くなってみたかったけど近寄れなかった。年長さんの時に全然違う名前なんだってことを知った。けれど本当の名前はどうしても覚えらんなかった。 一度か二度、すこしだけ話したことがある。私はわざと大きな遊具の危ない所でしゃがんでいた。 その子が目の前にいて動けなくなった。遊具が怖くなったからじゃなくて、進
その子はコーラルピンクのランドセルを背負っていた。 授業は普通学級で受ける科目もあれば、特別学級で受ける科目もあり、大抵の読み書き計算は低学年用のドリルで習っていた。 家の方向が偶然一緒だったのでときどき喋りながら帰っていた。 優しさと正義感と その子は身長が小さくて目が大きい、まっすぐでよく通る声だった。お母さんに結んでもらったのか、かわいい髪ゴムをつけて学校に来ていた。普通学級の子はあまり派手なのをつけておらず、それは校則のせいか風潮だったのか理由は忘れてしまった
変だと思った。 私の中ではまだ夏なのに、もうすっかり秋になっている。わかってるってば、まだ夏が続くのだ。 それはとてもありがたいことで今は、誰がこんなこと仕組んでくれたんだろう…という想いでいっぱい。私は私として生きていることに涙が溢れてくる。ありがとう、ありがとう。 私用で月に一度東京へ。 宿泊先は従姉妹の家か、ゲストハウス。高速バスは往復で6,000円〜7,000円。最低でも15,000円かかる。 もうすこし大人になって安定した収入を得るようになれば、新幹線に乗りホ
ニコちゃんは幼稚園でのお友達。年中(2年生)の夏あたりに転園してきた子。本名は違う。でもずっとそう呼んでいた。あまり笑わない子でたまに微笑んだとき、私はすごく嬉しかった。 どんな話をしたか、何して遊んだか不思議なほど覚えてない。ただ、手紙を一度か二度、交換したことだけはっきり覚えている。宛名にはちゃんと本名を書いた。当時の私は、冒頭に「だいすきよ」を置いて、それから書きはじめるのがマイブームだった。誰の影響でも無く、母はときどきからかった。 向こうからのお返事は、く
気持ち悪いってどういうこと? 不衛生、不気味、不健康、不思議 「不」に拒否反応を示すのは人間の本能だから仕方ないのだとわかってる 誰かが指をさして「気持ち悪い」と言ったとき、そこにはこんな物があるんだと思う。 本来はそれぞれに分かれているはずの存在が一つに合わさって、混沌としている姿に。 それは善も悪もない だからこそ… 素手で触れるにはエネルギーが大きすぎるくせに掴みどころがないから だから「気持ち悪い」という言葉は自分や仲間を守る、魔除けの呪文なのね。?
チャクラって知ってますか? 第5チャクラについてお話ししようと思います 第5チャクラ 滞り 今、真っ先にやりたいことはいつも叶わなかった。 「ダイソーの36色サインペン買ってほしい」 「今日は赤色のワンピースが着たい」 「少しだけでいいから手を繋いでほしい」 でも考えてみたんです、それはみんなそうだったんじゃないかって。 あなたも私も一番大事なことばかり言えずじまい。知ってもらえなかった想いが喉仏のところで引っかかっている。だから水色が欠けているんだ。 そんなこと一週
秋ですね 昨日、散歩をしたら寂しくなって遠回りをしたら果物を3つも買えました。 君が好き!って飽きるほど言いたい 季節は夏から秋へ 桃から梨へ
「今を見て」 今、目の前にいる人が一番だしそれ以外はあって無いようなものでしょ…? それを「あの人は〜してくれた」とか「あの時は良かった」とか、そういうデリカシーに欠ける一言が相手を、そこにいる人や物に環境、そして自分自身を傷つけていることになぜ気づかないの。
今日から9月で、近場の花火大会全部終わっちゃったんだ。 そんで(大会に)(夏を)先越されたあとで(また)かけ寄ったら面白いかな(花火は)どんな顔するかなって思わないわけがないけど(私)汚いの嫌だからしないんですねー(だって)花火大会に行かなかったんだから私。
心から動くほうへ
まだ小学校にも上がらない歳のころはみんな、何かとすぐこれを言っていた。 子供のための広場(ショッピングモールのアスレチックやテーマパークみたいな公園)に行けばわんさか子供がいた。そこはワクワクが溢れすぎて、人見知りのわたしはいつも心細くなってしまう。とりあえず妹の手を引いておずおずと進んでみる。 突然、女の子が一人「ともだちになろう!」と駆け寄ってきた。「いいよ!」と返して、妹からぜったい目を離さないよう手をギュッと握った。話しかけてくる大抵の子はわたしと歳が近かったから
家族の話をするときは明るいことばかり言う。どれも本当に思っていることで私はいつも楽しい気分で話している。 一方で、家族への不信感は他人(ひと)にあまり話さない。実際にあった細かい出来事が何一つ言えないのは私にとって大したことが無いからなのかもしれないし、それほど目視したくないことなのかもしれない。うーん、わからない。 生活の出来事や人間関係の中で、いろんな面が目に飛びごんでくる。どれに重きを置くかで本人の見る世界がまず決まると思う。 私には悔しがっていることがある。それは
ひとり 一人 ヒトリ 独り 紛れもなく、彷徨っている。まだ顔も声も知らない運命の人、抱きしめたら離さないで。ゼーゼー言ってる、聞こえない肺の音。 私は何十年も今のまま変わらない姿形でいたい。60代くらいになったら老けてもいいや。多分一気に白髪になって皺くちゃになるんだと思う。 ✴︎それが今年の願いです
詩人として生きたい 雑誌に私の詩が載りました 嬉しかった 何かにつけてなんでもいいけどなんでもいいわけじゃない。めんどくさいね。すべてはタイミング。腰を据えて見計らうのも外せない役目。
知らないけど。いるようでいないようなもの。でも人ってみんなそうでしょ笑。 狂ってるのは私だけ。妄想が迷走。寝る前は瞑想。なんちゃって笑。
私なりの考察 おもしろくないと思います ・・・ なぜ神は真ん中にあるリンゴを食べちゃいけないと言ったのか。なぜ蛇はそそのかしたのか。食べたことによって知恵を持ってしまった二人。 それは私たちへの大事なメッセージ ことわざ「置かれた場所で咲きなさい」 のようなこと あるがままの自分という垣根を超えて、より高嶺にある幸福を得ようとすればそれに見合った知恵が必要になる。目的のため、それまでは何とも思ってなかった物事に対し一つ一つを善と悪に分けるようになる。 お話では 食べ