
大手調剤チェーンの事務員削減について〜事務員から薬剤師へのタスクシフト〜(3)
続きです。
ところで、「薬局3.X」(笑)と言われて、何年たつだろう。
(言われてといっても、これを提唱していたのは一人なのだが。)
この薬局3.なんちゃらというのは、コロナ禍よりはるか前から言われていた。
この薬局3.なんちゃらという言葉を掲げて、薬剤師によるバイタルサ⚪︎ンなどの講習などもかなりの時間と金が流れていったと思うが、制度化もされず、認知もされず、泣かず飛ばずに今に至る。
基本、この掛け声というか音頭みたいなものは、IT化を見越した効率化を政府の方針を言い換えるような格好で一部で言われ続けていた。現在はその言葉はほぼ消滅したと見られる.
その薬局の変化を利用して、(医薬分業が叫ばれ始めた時期以来の改革、変革を餌に)色々と絵に描いた餅が描かれ続け、薬剤師やその取り巻く団体もなんやかんやと振り回されて来たのがこの10年から15年であろう。
ちなみに、この薬局3.なんちゃらという言葉、2024年以降で期間指定をしてグーグルで検索してもほとんど出てこなくなった。
これは何を意味しているのだろうか。
本来、調剤薬局という従来モデルからの脱却を促すための、掛け言葉みたいなものだったのだろうが、処方箋調剤のみに甘んじていてはいけない、これからは対人業務を支える一部の優秀な薬剤師と、工場のようなところでひたすら一包化を作成させられる(優秀ではない)対物薬剤師に別れる、ということを仕切りに説明していたし、今でも印刷されたそのスライドを持っている。
そして、そのように誘導されつつあった(実際には国の向かう流れを、名称やイメージを使って先走って説明していただけ)のがこの10年くらいであった。
最近になり、コロナ禍を挟んで、外部委託の議論が本格的に始まったのだが、その中身はわからない。見えないところで行われている。
無理やり法律を変えて、目指していた「一包化工場」を作るのか。
これは多くのステークホルダーが関わり、実際大手が何社も実証実験に名乗りを挙げている。
一包化を患者から離れた場所、見えない場所で行うための議論。
対人薬剤師と対物薬剤師を明確に分けるための議論とも言える.
これらの議論、実証実験の最中には(別の場所で)大手ドラッグストアの調剤過誤、それも一包化のミスによる死亡事件が発表された。
一包化を患者から見えない、遠くの場所で行うことに意味はあるのだろうか。
ガラス張りを強要され続けてきた調剤室とは一体なんだったのだろうか。
この議論の本当の目的は当時から政府も目指していた、在宅への移行に沿った議論であったと思う。
しかし、思ったよりも在宅への移行も進まず、掛け声だけが先走ってしまった。そしてコロナ禍に突入し、医薬品不足という状況が発生し、それの出口は見えないし、この先も出口はもう完全に塞がれると思われる。
そして、支えるべき高齢者が増えるがそれを支える医療資源が不足する.働き手が足りない.地域医療構想のもと在宅医療を推進してきた.しかし最近、在宅医療を行う医療機関が増えていないこと、外来医療自体のニーズが減っている可能性があることなどが指摘され始めた.下記リンク参照。
これらを総合的に考えると、薬剤師が今からバイタルサインなど、必死で身につけても、多分当面使える機会はこないだろう.私も高価な講習費に付いてきたおまけの聴診器はクローゼットに眠っている。
さて、本題である調剤事務員の話に戻そう。
これから働き手不足による優秀な人材の取り合いのなかで、薬剤師は一定の供給量が保証されているが、事務員というのは汎用性が高く、どのような職業へもつくことができるため計画的な採用は薬剤師に比べると難しいだろう。これについてはXなどで何度も述べた。薬学部への営業よりはるかに手間なのである。特に調剤専業チェーンは衰退色が濃厚になり、自分で認めるのも寂しいが、完全に斜陽産業化し始めている。そのような業種を「選びたい」と思うだろうか。
ちなみに、これは「大手に限って」の話である.地域に密着し、細やかな対応が柔軟にできるような薬局はこの後も細々とだが、がっちりと地域に根付いて生き残ることが可能と思う.
(長さ的に中途半端になるので、次に続きます。)