発言の自由
Twitter(X)の凍結から1週間。
もう、気持ちの整理もついてきて、孤独感なども紛れてきました。
薬剤師であり認定心理士の資格を持つものとして、普段から自分の心理状態をなるべく客観的に捉えるようにしているのですが、
思ったよりも冷静に受け止められているようです。
でもやはり、コミュニケーションが自由に出来ないのは寂しいですね。
Twitter(X)なら、夜中でも朝でも、誰かがくれた返信にこちらから返信したり、さびしいときや、つまらない時につぶやいた呟きに返信がもらえたりすると、素直に嬉しかった。
それらのコミュニケーションの手段の一つが奪われたという、「怒り」に近いステージなのだと思う。
キュブラーロス氏の言う、「死を受け入れる」段階として、
「否認」・・・まさか私が、、、うそでしょ?という 現状を否定する段階
「怒り」・・・なんで私がこんな目に遭わないといけないの?と思う段階。
そして、「取引」、「抑うつ」、という段階を踏んで「受容」と言う段階に向かう。
メルクマニュアルにも解説があるので以下に紹介しておく。
まさか、Twitterの凍結で、キュブラーロスの5段階説を思い出すとは思わなかった、、、
この5段階は必ずしも、この順序通りとは限らないが、最終的には苦悩を繰り返し「受容」へと向かう。
ある意味「言論の自由」と言ったら大袈裟なのだろうが、発言する権利を奪われたと言う事実はある意味SNS上での死を意味する。
特に廃人として依存度の高かった私などは、特にダメージが大きいのではないかと客観的に、まるで他人事のように考える。
(この「自分の一大事を、他人事のように考えること」がメンタル維持においては大切)
また、だれかがこのように「凍結」という統制を受けてしまうと、言葉は悪いが、「公開処刑」のような状態となってしまい、周りの人たちも恐怖を覚えてしまう。
それも、多分、凍結はAIによる危険度判断によるところが大きく、それに「通報」というトリガーが重なったタイミングで起こると思われる。
AIに自分の発言を封じられたのである。
皆さんは、恐れずに発言をして欲しいと思うが、
発言をするからには、いざという時のための「別の媒体」の準備をしておいて欲しい。AIによる機械的、短絡的に受ける凍結リスクは突然やってくる。
幸い私はnoteという別の媒体があったので、見てくれる人はTwitter(X)に比べて遥かに遥かに少なくなるが、ただ発言する場所が残っていたのが救いだった。
コミュニュケーションのツールとしては一方的になってしまうが、
誰かが見て、もしかすると役に立ってくれるかもしれないと思い、続けていこうかなと思う。
Twitterは自己の「owned media」としては非常に良いツールだと思います。個人のmediaとして十分成り立つと思います。
そのownedmedia を失ってしまった私は、ダメージが大きいですが、
ちょうど潮時だったのかもしれないですね。
もちろん、AIによる判定が全てでは無いのは分かっています。周りに配慮しない私の発言により、「敵を増やしていた」のは周知の事実です。
でも、嫌われてでも言わないといけない事もあるし、誰かが言ってあげる事で誰かが助かる事もあると思うのです。
言ってくれる人がいない人たちに、誰かが教えてあげる必要があるのです。
ただ、人の発言に対して、「あの人嫌いだから消えれば良い」という、攻撃や誹謗中傷につながる思考などでもそうですが、「他人を無理に消そうとする人は、必ず自分も自分の手により消される」ことになると思います。
なので、嫌いな人や見たくないな、と思ったら攻撃や嫌がらせ、悪口を言うのではなく、黙ってミュートやブロックをすれば良いのです。
攻撃をしてしまうと、自分の心が必ずダメージを受けます。人間の心は正直なのです。
そのようなことを繰り返している人は絶対に幸せにはなりません。
自分で自分の心を汚さないようにしてください。