とうさんと私
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「社員数を半分にしなければならないことになりました。新入社員も例外ではありません」
前回会ったのは入社式だろうか。
臨時の全社集会で当時の社長がこう言い放った。
僕は耳を疑った。
そのとき僕は入社して4ヶ月ほどしか経っておらず、ようやく仕事に少し慣れてきたところだった。
この数日前、通勤電車の中で日経新聞の一面にこう書かれていた。
「株式会社〇〇〇〇、民事再生手続き申請か」
記事の内容はほとんど覚えていないが、自社が日経新聞に載ったことで興奮したことはうっすらと記憶している。
会社につくと先輩社員がざわついていた。
そして始業前に普段は現場にこない次長が現れた。
「日経新聞にはこのような記事が掲載されていたけど、事実ではないし動揺せず普段通りの業務をするように」
こう言い残して本社に帰って行った。
その約一年前、僕は多くの学生と同じように、就職活動をしていた。
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これから会社の規模をどんどん拡大して東証一部上場を目指します。
聞いたこともないカタカナ系新興不動産会社のチャラチャラした人事が自信満々に語っていた。
彼らは皆、学生が着ないようなグレーのスーツを身にまとい、先の尖がった革靴を履いてエリートサラリーマン風を装っていた。
あとから知ったのだが、そのエリートサラリーマン風の男たちは、自己採点では合格点なのに何年も宅建に落ち続けていたり、内定者に宅建は不動産業界の運転免許証のようなものだと発破をかけながら自分はもっていなかったりと、今では一ミリも尊敬できないただのハッタリ野郎だったのだが、当時の僕は彼らがとてもかっこよく見えた。
そこそこの大学に入学し、在学中は体育会の部活でバリバリとスポーツをして、大学院で修士号を取得していた僕は、就職活動はそれほど苦労はしなかった。
多くの企業からオファーがあり、面接ではほとんど落ちることなく(筆記試験ではたくさん落ちたが)、誰もが知っている大企業からいくつも内定をいただいた。
そんな僕にエリートサラリーマン風の男たちは囁きかけてきたのだ。
そんなレールの敷かれた人生でいいのか?自分で何かを成し遂げなくていいのか?やりたい仕事を自分で作ってみないか?
何の防御力もない学生の僕は、その囁きに何度も何度も自問自答した。
レールの敷かれた人生は嫌だ。自分で何かを成し遂げたい。やりたい仕事を自分で作ってみたい。
そう思ったピュアな僕は、エリートサラリーマン風の男たちにまんまと騙された。
そして僕は、100人いたら99人が選ぶような企業の内定を蹴って、100人いたら1人しか選ばないようなカタカタ系の新興不動産会社への入社を決めた。
当時、リーマンショックの煽りを受けて多くの不動産会社が飛んだ。
内定切りが社会問題となり多くの不動産会社が頭を抱えていた。
しかし、こんなにイケてるかっこいい人事のいる会社が潰れるわけはない。
上場もしているし、自分はここで実力をつけて独立するんだ。
ピュアな僕はそう決意し、何の迷いもなく大企業からの内定を一つずつ断っていった。
そして就職先を決めたその日の夜、北千住の一泊1500円ほどの安宿に泊まっていた僕は、そのことを父さんに報告するために電話をした。
「ああそうか、頑張れ」
そう言われると思いながら電話をしたのだ。
これまで両親は僕の進路には何一つ口を挟まなかった。
全国大会を目指してサッカーがしたいと家から離れたサッカーの名門高校に進学させてもらったし、大学も家から通えるところじゃないとダメだと言われていたにも関わらず飛行機に乗らないといけないような遠いところにいかせてもらった。
それでも自分が決めた進路はすべて肯定してくれてすべて応援してくれた。
やりたいことは欲張って全部やれ。
これが我が家の教えだった。
そんな父さんに電話をしたときの第一声が
「不動産屋はやめとけ」
だった。
後にも先にも僕の進路に口を挟んだのはこの時だけだ。
理由を聞くと、親戚に不動産屋がいてその人がかなりおかしい人らしく、世間の不動産屋に対する評価もとても悪いということを語られた。
不動産屋はいかがわしい、不動産屋は人を騙している、不動産屋は信用のない仕事だ。
散々言われた。
それでも僕は自分で決めたことを他人の意見で変えるようとはこれっぽっちも考えなかったし、父さんも言うだけ言ってそれ以降は何も言わなかった。
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臨時の全社集会の2ヶ月後、僕はリストラされた。
リストラされたといっても、体裁上は「希望退職」ということになっていたのだが。
300人ほどの社員をリストラしなければならなくなった会社は、役職者が社員1人ずつと面談をして退職と残留の意思確認をしたのち、残すか辞めてもらうかを決めるやり方を取った。
基本的には、比較的給料の低い働き盛りの30代は残し、高給取りの40代と若手を辞めさせるというのが会社の方針だった。
僕はこの面談の前に、就職活動の際にしていたような自己分析をしっかりとして、その結果、会社を辞めようと考えていた。
理由としては、会社の失敗をなぜ僕が被らないといけないのかと考えたからだ。
第1回目の面談が始まった。
面談の相手は当時の部長だったのだが、僕の意思とは裏腹に、会社に残って欲しいと言ってきたのだ。
新入社員は全員辞めさせられると思っていた僕は驚いた。
しかし残ってくれと言われるような思い当たる節もあった。
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新入社員研修を終えた僕は、部署に配属された。
ミッションは新築分譲マンションを売ることだった。
モデルルームに待機し、見学に来た人にマンションを売るという至ってシンプルな仕事だったが、何の知識もない社会人になりたての僕はかなり苦労した。
今まで営業なんてものはやったことがなかったし、バイトでも人と接するような仕事はほとんどしたことがなかった。
それでも必死に頑張った。
その頑張りが功を奏したのか、入社間もない新社会人の僕はどんどん売れるようになり、先輩はおろか販売のプロフェッショナルとして採用されている派遣のおばちゃんたちよりも売れてしまったのだ。
新入社員はほとんどが各部署の各物件に配属され、マンションや戸建ての販売を担当していたが、同期の中で群を抜いて売っていた。
同期の2位にダブルスコアを付けて圧倒的な成績を上げていた僕は、密かに新人賞の報奨金を期待していた。
その会社には、新入社員の1年間で最も成績の良かった社員に新人賞が与えられ、報奨金もあった。
新人賞をとった先輩に聞くと、200万円ほどもらったとのことだった。
僕はこのままいけば確実に新人賞を取れると思っていた。
200万円の使い道まで考えていたくらいだ。
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結果的には新人賞はおろか、賞与すらももらえず辞めることになるのだが、当時の僕は、これだけ成績を残していたのだから会社から必要とされ残ってくれと言われてもおかしくないと思った。
1回目の面談はそれで終わった。
そして再度自己分析を行い、ピュアな僕は、やっぱり残ろうと決心し直した。
2回目の面談が始まった。
ウキウキして席に着いた僕の前に座っていた部長はなぜか顔が歪んでいた。
元々そういう顔なのかなとも思ったのだが、どう考えてもいつもとは違った。
そして第一声がこうだ。
「黒石、ごめん」
僕は何のことかよく分からなかった。
部長は続けた。
「俺は残って欲しいと思ったんだけど、ダメだったわ」
会社の代理として面談をしていたと思っていた部長が、単に自分の気持ちだけで1回目の面談をしていたのだ。
僕は笑った。
あくまで希望退職なので残りたいと言えば残れたし、実際に会社の方針に逆らい残った同期もいたが、そんな会社に残っても自分にとってメリットはないと0.5秒で判断した僕は、特に間を置かず「了解っす!」と返答した。
結果的には新入社員は全員辞めてもらうということになったらしい。
社員を半分にすると言ってはいたけど、まさか入社4ヶ月の新入社員を全員辞めさせるとは思わなかった。
「日経新聞にはこのような記事が掲載されていたけど、事実ではないし動揺せず普段通りの業務をするように」と嘘をついていた次長は、これらの一連の面談が始まる前に新入社員の僕に「おまえらを辞めさせるような会社なら、先に俺が辞める」と言っていたが、そんな次長は今でもその会社に残っている。
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この大規模なリストラの原因となったのは、どうやら民事再生というものらしい。
民事再生手続きとは会社更生の一種で、債権者の多数の同意を得てかつ裁判所の認可を受けた再生計画を定めること等により、事業又は経済生活の再生を図ることを目的とする手続である。
漢字を並べて難しく表現しているが、要は会社の業績が悪くなり金融機関にお金を返せなくなったので借りていたお金を踏み倒してゼロから再スタートするというものだ。
当時、そんなことを長々と説明されていたが、何一つ頭に入ってこなかった。
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早ければ3年、遅くとも5年ではこの会社を辞めようと思っていたが、入社4ヶ月で辞めることが決まり、まさか入社半年で辞めることになるとは思ってもいなかった。
リストラされたことを父さんに電話した。
「そうか」
その一言だった。
僕は飲み会に行く途中の急いでいるタイミングで電話をしていたので、その一言で終わった電話はありがたかった。
それ以降、父さんは僕の仕事について聞いてくることはなかった。
今でもどこで何をしているかは知らない。
かろうじて、不動産関係の仕事をしているということくらいしか知らないだろう。
そんな父さんは僕が実家に帰ると第一声は決まってこうだ。
「おまえ、まずは風呂入れ」
初めて聞いたとき、僕は耳を疑った。
入社4ヶ月でリストラを言い放たれた時と同じくらい頭に入ってこなかった。
実の息子が一年ぶりに帰省をしてきた時の第一声がこれである。
僕は普通よりもキレイ好きだ。
一人暮らしなのに二日に一回は洗濯をするし、クイックルワイパーもちゃんとしている。
そんな僕に対して「おかえり」より先に「風呂入れ」なのだ。
そんな父さんは公務員だったのだが、定年を待たずして40年弱勤めて急に仕事を辞めた。
しかも僕が知らない間に辞めていたのだ。
僕がそれを聞いたのは、父さんが年度末に仕事を辞めてから翌年の正月だ。
すでに10ヶ月ほど経過していたのだが、敢えて僕に言わなかったのではない。
単に言うのを忘れていただけなのだ。
「あれ?おまえには言ってへんかったっけ?」
父さんとの会話の中で仕事をしていないのではないかと思って聞いてみたらそう言った。
なぜこのような扱いになったのか思い当たる節も少しはある。
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僕には二つ年下の弟がいるのだが、弟はすでに結婚をし、長男も産まれた。
父さんの長男である僕が未だに独身を貫いている間に、父さんの次男である弟が僕より二周も先にいってしまったのだ。
いい大学を出て大企業に勤めて結婚もして子供もいる弟と、大学を出て就職するも入社4ヶ月でリストラされその後何をしているかも分からず子供を作るどころか結婚もしない僕の扱いが変わるのは当然と言えば当然だ。
全部倒産が悪い。
僕は倒産を憎んでいる。
倒産さえなければ父さんの僕に対する扱いは変わらなかったはずだ。
しかし一方で、倒産のおかげで仕事への取り組み方が変わった。
会社は一ミリも信用していないし、自分で稼げるようにならなければならないと新入社員のときに思えたのは良かった。
そして今では当時の同期よりも稼げているのも事実だ。
そして倒産したその会社は、民事再生により無事復活を遂げており、僕は数年前に取引をした。
誰もが欲しがる土地情報を複数社に持ち込んだのだが、僕は古巣への便宜は一切図らず一番高い会社に売った。
それがその倒産した会社だった。
すでに社長は変わっていたが、当時の同僚はまだたくさんいた。
倒産の恨みを晴らすため、仲介手数料は3%+6万円の満額請求した。
倒産でリストラさせてしまって申し訳ないと思っている役職者がいる限り、僕はその会社と付き合っていこうと思う。
僕がその会社のせいで苦労した分のお金を取り返さなければいけないのだから。
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※このストーリーは全宅ツイ会員の体験をもとに再構成したフィクションです。登場人物や会社は架空のものです。
本作品は、 note #社会人一年目の私へ という企画に応募しています。
発行:合同会社 全国宅地建物取引ツイッタラー協会
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