Mさんのこと
元上司のMさんは、週に一度くらいの割合で「雪崩れ」を起こした。
机の上にうず高く積み上げられた資料が崩壊するのだ。打ち合わせに遅刻することは日常茶飯事だったし、名刺の代わりに商店街のスタンプカードを出しているのを何度か目撃した。お金がないのにタクシーを拾い、支払いの段になると「ごめん。ごめん」と頭をかいた。
声は小さいし笑いながら話すので、なにを言ってるのかわからないことがよくあった。デスクには、資料のほかにもお菓子の食べ残しやペットボトル、クリーニングのビニール袋につつまれたシャツなどが散乱していて、平らな場所は、マウスを動かすハガキ一枚ほどのスペースしかなかった。夏になっても肘の抜けた薄っぺらなセーター姿。あるとき、ついに虫がわいた。総務からお灸を据えられていた。
Mさんは結婚していたけれど、家で毎日コンビニ弁当を食べているという噂が立った。そんなことどうでもいいのにと内心思いつつ、Mさんならニコニコ頬張っていただろう。その噂をネタにからかう人もいた。珍しくMさんは少し怒った。「家で毎日コンビニ弁当だとしても、ぼくは奥さんが好きなんです」というようなことを言っていた。いかにもMさんらしいなと思った。
そんな人だったから、周囲は彼を軽く「あしらって」いた。が、気づいているの気づいていないのか、本人は相変わらずヘラヘラしている。つかみどころのない綿菓子みたいな人だった。ぼくは、どうしてだかいまだにはっきりした理由はわからないけれど、Mさんのことがきらいではなかった。いや、むしろ好きだった。
あるとき後輩が「このコピー読んでくださいよ」とゲラをもってきた。モノクロの小さな雑誌広告だった。そんな仕事を、という言い方は失礼だけれど、まさかMさん本人が書いているとは思わなかった。そもそも彼がコピーを書いているのを見たことがない(そのときはじめて気づいたのですが、Mさんは、優先的に大きな仕事をぼくらに回していたのです)。一読して鳥肌が立った。なんども読み返した。言葉にならなかった。しびれるような文章とはこのことかと思った。
そのMさんが、とある文芸誌の新人賞を獲った。すぐに専任の編集者がつき、単行本化され、芥川賞の候補作になった(正確に記すなら、その文芸誌で新人賞をとると自動的に芥川賞にノミネートされる)。社内はちょっとした騒ぎになった。普段は「よう、M!」と呼び捨てにする男が「Mさん」と敬称つきで呼びはじめた。掌を返すとはまさにこれだな、とため息まじりにそんな光景をぼんやり眺めていた。
結局、Mさんは芥川賞を逃した。会社も辞めた。いまはどうしているかわからない。いや、調べようと思ったら調べられるだろうけど、なぜかその気にならないのだ。作家になるのはそれほどむつかしいことではなく、作家でありつづけることが何倍も大変だという。そうなのだろうな、とも思う。
ぼくは、いまもあのコピーが忘れられない。文章の一字一句ではない。言葉を追いかけている最中に駆け抜けた風が忘がれられない。Mさんは、有名になれなかったけれども、ぼくの中ではいつまでも大作家だ。
Drawing:Michaël Borremans