長島 未央子「いつかの未来のために」
1.アスリートを支える存在
世界中のアスリートが4年に一度、一堂に会するオリンピック・パラリンピック。
東京五輪は、史上初めて延期となったが、アスリートの活躍に胸踊らせる人は多い。
いっぽうで、裏方として選手たちを支える存在のなかで、近年話題を集めているのが、選手に対してスポーツ栄養マネジメントを行う「公認スポーツ栄養士」の存在だ。
テレビ番組や新聞記事などの特集で、選手たちの食事や栄養補給が紹介される場面も多く、その注目度は年々上昇している。
この公認スポーツ栄養士の資格が始まったのは、2008年のことだ。
同年の北京オリンピックで金メダルを獲得した日本女子ソフトボール代表チームの栄養管理の成果が評価されたことに端を発している。
認定条件は、管理栄養士免許を持ったうえで、協会が主催する様々な科目を受講し、スポーツ現場でのインターンシップを経て、最後の関門である面接試験をクリアする必要がある。
2.陸上を始めたきっかけ
今回ご紹介する長島未央子(ながしま・みおこ)さんは、鹿児島県鹿屋市(かのやし)にある全国唯一の国立体育大学として知られる鹿屋体育大学で「スポーツ栄養学」を教えている。
熊本天草市で1981年に2人姉妹の長女として生まれた長島さんは、小学生の頃から体を動かすことが好きで、高校2年生からは陸上競技部に所属した。
「小さい頃に両親が離婚したので、私は父親の顔もわからないんです。祖父母の家で暮らしていたから、必然的に料理をするようになりました。高校1年のときは、生徒会に入ってたんです。生徒会室からグラウンドが見えるので、陸上をやりたいなとは思っていたんです。入ることを決めた動機は、すごく不純ですけど、格好良い後輩の男子2人が陸上部へ入部したことなんですよね」
残念ながら、恋に発展することはなく、先輩後輩として喋ることができた程度だったようだ。
動機こそ不純だったものの、長島さんはそこから本格的に競技へ打ち込むようになった。
3.陸上での出来事
「あるとき、同じ部活の友だちが自己流の減量をして、どんどん走れなくなっていくのを目にしたんです。そこから運動と栄養の指導ができる人になりたいなと考えるようになり、スポーツ栄養学に興味を抱くようになったんです」
卒業後は、九州女子短期大学家政科食物栄養専攻へ入学し、陸上部に所属した。
短大1年の冬に、記録が伸びた時期に体重がやせていたため、「痩せたら、さらに記録が伸びるのでは」と減量に挑戦し、1か月で3キロ減らすことができた。
しかし、身体に力が入らず、目は霞んで低血糖のような症状が現れてしまったそうだ。
もちろんタイムが伸びることもなかった。
「このときの経験から、スポーツ栄養を自分の問題として認識するようになりました。栄養士としての知識は持っていても、スポーツ現場ですぐに実践できるという訳ではないんだなと感じるようになったんです」
短大を卒業した長島さんは、管理栄養士の受験資格として当時必要とされていた2年間の実務経験を積むため、病院や老健の給食委託会社で栄養士として働いた。
しかし、体育・スポーツを学んでみたいという思いから、2003年4月から、鹿屋体育大学に3年次編入学をしたというわけだ。
大学では自転車部に所属し、選手として活動した。
大学卒業後は、そのまま大学院の修士課程に進学し、自転車部では、選手からスタッフに転身し、選手を支え続けた。
「大学院を卒業するときに、教員を募集していたので応募しました。自分自身の経験から理論だけでは行動にうつらないことも多かったんです。教員になったら、実践的な内容を伝えていきたいと思ったんです」
3.教職と起業
2007年から同大学で勤務する長島さんが携わったのは、企業と行政、そして鹿屋体育大学で連携した産学官連携プロジェクト「鹿屋アスリート食堂」(現在は「東京アスリート食堂」へと改称)だ。
きっかけは、大学にはトップアスリートが多く在籍しているが、練習後に周辺にある飲食店の多くが閉店しているため、気軽に立ち寄れる飲食店が無いことだった。
「学生のための食堂をつくりたい」と大学側が企業や行政に持ちかけ、長島さん監修のもとで、メニューを開発しバランスの摂れた食事を提供する食堂として2014年にオープンした。
さらに、長島さんは働いているうちに、食事指導によって適切な栄養を摂取しているにも関わらず、怪我や故障を繰り返してしまう学生たちの姿を多く見にするようになった。
「子どものときのからだ作りがすごく大事だということに気づいたんです。原因はエネルギー不足で、中学や高校のときに、しっかり食べたり休んだりしていれば、いま怪我する体になっていないんです」
「子どもたちを何とかしなければならない」という大きな使命感を抱いた長島さんは、2016年に仲間と会社を起業。
鹿児島から食とスポーツを発信するという意味を込めて、株式会社KAGO食スポーツと名付けた。
「学べば学ぶほど、問題点を感じるようになって、実践を積まなければ研究室に閉じこもってても何も変わらないと思ったんです。選手として成長していくためには、大学へ入って怪我をしている場合じゃないし、ジュニア時代に身体をしっかり成長させる取り組みは、結果的に日本の競技力向上に大きく貢献すると思うんですよね」
KAGO食スポーツの事業は、アスリートのサポートや食環境の整備、教育普及など多岐にわたる。
健康な身体を保つための第一歩として、自分たちの身体の栄養状態を認識できるよう、血液検査を推進してきた。
病院へ行って採血するだけでなく自分で採血が可能なキットも製作したが、課題も多いようだ。
「起業して外に飛び出して、ジュニア選手たちや保護者の方などと関わるなかで、いろんな気付きがありました。例えば、私たちにとっては当たり前の血液検査は、皆さんにとっては日常的なものではないんですよね。部活動の現場にある情報は大きく遅れているということを認識しました。そもそも予防の概念が浸透していないんですよね。改めて教育の大切さを痛感しました」
起業家と大学教員という二足の草鞋を履いたことで、当初は学内での風当たりも強かったことは容易に推測される。
しかし、外に出たことで初めて見える景色だってある。
世間の声を肌で感じたことが、再び長島さんを教育へと奮起させたようだ。
「専門家にとっては当たり前でも、外に出たら当たり前じゃないことはあるんですが、このギャップを埋めるには1人では到底無理なんです。幸いにして、私のところには教員を目指す学生がいるから、この子たちに正しい知識を伝えていけば、どんどん広がるんじゃないかと考えるようになりました」
長島さんらの尽力により、鹿児島県内でスポーツ栄養の認知度は高まっているが、本格的に仕事にしている人は少ないようだ。
「育児などでキャリアを中断した栄養士の人たちは多いと思うので、そうした人たちとのネットワークを形成して、仕事を任せるような会社になりたいですね」と夢を語る。
4.誰かの未来のために
僕は長島さんの話を伺うまで、スポーツ栄養とは、厳しく栄養面を管理するだけだと誤解していた。
しかし、それは全くの誤りであり、結局は一人ひとりの自己管理こそが大切なのだ。
そのために、セミナーや授業などを通じて、相手に気づきを与え、自ら行動に移してもらえるような支援を長島さんは続けている。
長島さんは、ずっと先の未来まで見据えている。
僕らは、彼女のように自分ではない誰かのために献身的に尽くすことができているだろうか。
誰かの未来を想うことができているだろうか。
まさに「伴走者」としての存在に、敬意を抱かずにはいられない。
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