山内 良子「次の一歩はどこへ」
1.美容師として働く
日本民俗学の創始者である柳田国男が生まれ、幼年期を過ごした兵庫県神崎郡福崎町。
人口は2万人に満たないが、豊かな自然環境に恵まれた町として知られている。
この町で、現在44歳の山内良子さんは、1976年に2人兄妹の長女として生まれた。
今年3月から母が開業して50年になるという美容室で働いている。
2.保育士の道
「小さい頃は内気でおとなしい子どもでした。小学校4年生のとき、年下のグループからイジメのターゲットになることがあって、6年生まで無視され続けましたね」
高校で進路選択の際、美容師か保育士の2択で悩んだ末に、近畿大学豊岡短期大学(現在の豊岡短期大学)へ進学。
児童教育学科で、幼稚園教諭と保育士の資格を取得した。
卒業後から勤め始めたのは、地元にある町立幼稚園だった。
「田舎の幼稚園で、園長先生が隣接した小学校の校長を兼務していたから、常に幼稚園には不在だったんです。先生も2人だけという小さな幼稚園でした。私は産休の先生の代替え要員として採用されて、1年目は年配の先生にしごかれながらも何とか頑張ったんです。翌年は産休代替の先生が復職して、一回り上でしたけど、教育熱心で色々と学ばせてもらいました。しばらく経って、その先生も異動になり、別の先生がやって来たんですが、『前の先生はこういうやり方をしていましたよ』と私が教育方法で意見すると、『あなたは事務仕事をやってください』と言われちゃったんです。子どもが好きで保育の仕事をしていたんですが、『私には向いていないのかな』と落ち込んで辞めちゃいました」
5年勤めた幼稚園を退職後は、スポーツ用品店で3ヶ月ほどアルバイトをしていたが、山内さんの子どもへの想いは捨て去ることはできなかった。
3.子どもと関わる仕事がしたい
「子どもと関わる仕事がしたい」と子ども向けスポーツクラブでプールのインストラクターに転職。
体育会系の雰囲気がマッチし楽しく働いていたが、あるとき会社が吸収合併し、遠隔地へ移転することになったため、3年で退職した。
短大へ通いながら、10年かけて美容師免許を取得していた山内さんは、母の美容室で働くことも考えていたが、再度スポーツクラブから、「どうしても働いて欲しい」と声がかかり、復職することになった。
「プールと体操を担当していたんです。体操のコースが、新店舗にもできたんですが、担当できるスタッフがいないらしくってね。結局、5年働くことになるんですけど、プールで身体が冷えちゃって、気づいたらリンパも腫れてきて身体を壊しちゃったんですよね」
スポーツクラブを退職したあとも、すぐに次のチャンスが舞い込んできた。
知人を介して「児童センターで働いて欲しい」と話があり、契約スタッフとして働き始めた。
5年経って正規職員へ昇格し、子どもたちの遊びをサポートしたり行事の企画立案をしたりするなど、39歳までの10年間をそこで勤務した。
4.きらびやかな世界への憧れ
「実は、やりたいことができて辞めちゃったんです」と山内さんは急に口ごもる。何でも、大衆演劇が好きな母の影響で、山内さんも劇場へ足を運んでいるうちに、「きらびやかな大衆演劇の世界へ飛び込んでみたい」と夢を抱くようになったそうだ。
「志願して無理矢理入れてもらったんですが、華やかな表舞台と違って、礼儀作法から整理整頓まで全て細かく決まっている厳しい世界でした。雑用係をしてたんですけど、何も知らないので全く役に立たないことを痛感したんです。忙しくて携帯電話を使う暇なんてありませんでしたよ。浅草や千葉の演芸場での公演に同行させてもらったことがあるんですが、団員は家族のようなものなので、みんなで大広間に寝るんです。だから、プライベートさえない状態でした」
8月で児童センターを退職し、翌月からは本格的に団員として加入する予定だったが、体験しただけでその厳しさを体感した山内さんは、結局入団するもことなく挫折してしまった。
5.そして、現在
児童センターを辞めたあとは、失業手当を貰いながらホームヘルパーの資格を受講し、老人施設でヘルパーとして3年ほど勤務。
その後は、「まだ子どもと関わりたい」と幼児教室に勤務し始めた。
「素早くカードをめくるなどテンポの良いレッスンが求められたんですけど、他の人のように器用にできなかったんです。働いているうちに『子どもに対応する力もないな』と感じるようになりました」
こうして山内さんは、現在母の美容室の手伝いを続けている。
お客さんのほとんどは60代以上の女性で、仕事中に母から注意を受けることも多く、毎日が勉強の連続だ。
「少しでも足が悪い母の支えになれば」と仕事を続けているが、将来的に店を継いでいくかどうかは山内さん自身も分からないという。
「美容師の資格を持っているだけでは駄目だから、毎週月曜日に大阪まで講習会を受けに通っています。でも、他の美容室に勤めるということは考えていないですね。自分が一歩を踏み出すのが怖いし、44歳だから誰も雇ってくれないんじゃないかって不安もありますから。もういい年だし、いままで仕事を転々としてきたから、そろそろ地に足をつけなあかんとは思ってるんです」
6.その一歩を踏み出せ
お話を伺っていく中で、山内さんは仄暗い水の底でもがき苦しんでいるように感じた。
「自分の人生をなんとかしたい」と思ってはいるが、ついつい年齢のことが頭をよぎる。
これ以上、両親に迷惑をかけることができないとも考えている。
「中学生のときに学校の演劇で『ごんぎつね』をしたり、高校のときは他校の生徒たちと『ミス・サイゴン』のミュージカルをやったのが、とても楽しくて良い思い出です」
そう話してくれたとき、彼女の表情がパッと明るくなった。
もしかすると山内さんが追い求めてきたものは、「自分を表現すること」なのかも知れない。
大衆演劇は分かりやすい自己表現の手段だけれど、様々な規範に縛られた世界は彼女には向いていなかったようだ。
美容師も立派な表現者だけれど、いまの場所で高齢のお客さんがクリエイティブな髪型を要求してくることは、皆無だろう。
それに比べ、彼女が長年携わってきた子どもたちはどうだ。
社会の規範や常識にとらわれることなく感受性豊かに自己を表出している。
子どもたちの自由な表現に憧れ、刺激を受け続けていたのは、実は山内さん自身だったのではないだろうか。
僕に何ができるわけでもないけれど、この文章が少しでも彼女の背中を後押しすることに繋がったら、こんな嬉しいことはない。
僕が世の中に紹介したことで有名になった女性がいる。
車に轢かれているような自撮り写真で一躍人気に火がついた西本喜美子さんは、今年92歳になる。
彼女がカメラを手にして写真を撮り始めたのは、なんと72歳のときからだ。
74歳からは、PhotoshopやIllustratorなどを習い始めた。
表現することに年齢なんて関係ないのだ。
どんな形でも、そしてどんな表現でも良いから、声高に叫んで欲しい。
「私はここにいる」と。
いつか彼女の声が、みんなのところにも届くだろうか。
彼女が踏み出す次の一歩を、僕は静かに見守りたいと思う。
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