磯貝 大地 「まちと生きる」
1.北海道苫小牧市で暮らす男
北海道南西部に位置する海に面した街、苫小牧市。苫小牧港と新千歳空港という海と空の玄関口を有し、交通アクセスにも恵まれていることから、道内有数の産業拠点都市として発展を遂げてきた。
人口は約17万人と道内のなかでは4番目に多い都市となっているが、駅周辺にはシャッターを閉めた店舗が多く、どこの地方都市にも見られるように中心市街地の空洞化が大きな問題になっている。
そうした状況を打破するために活動を続けているのが、磯貝大地(いそがい・だいち)さんだ。
磯貝さんは、父親が1992年に創業した内装工事会社「有限会社アイ・デザイン」を引き継いで会社経営を行う傍らで、今年6月に「とまこまいクリエイティブラボ」という街づくりのための合同会社を3名の仲間と共に立ち上げた。
磯貝さんが街づくりにかける思いとは、いったい何なのだろうか。
2.代表取締役社長に
磯貝さんは、1978年に3人きょうだいの長男として苫小牧市で生まれた。
小学校4年生からはサッカーに熱中した。
「プロサッカー選手になれたら良いな」という漠然とした思いはあったものの、成長するにつれて、周囲とのレベルの違いを認識するようになり、いつの間にかそんな夢はかき消してしまったようだ。
それでも、中学・高校時代、そして社会人になって36歳くらいまでは、サッカーを続けた。
「工業高校だったこともあり、大多数が卒業後は就職していました。将来の夢は全くなくって、特にやりたいこともないから適当に生きていければ良いかなと思っていました。ただ、苫小牧から出ていこうという気は不思議と無かったんですよね。当時は出ていくことに対して、『怖い』という意識があったんでしょうね」
磯貝さんは、高校を卒業後、隣町ある農業機械の会社へ就職した。
そこで3年ほど勤めたあと、大手自動車部品メーカーであるトヨタ自動車北海道へ転職を果たした。
父の会社を継ぐ気はなかったが、「会社を手伝ってくれ」という父からの連絡により、2年半ほど働いたトヨタ自動車を退職し、2002年から父の会社で働き始めた。
4年前からは、父に代わって代表取締役社長に就任している。
3.街づくりに関わる
そんな磯貝さんに転機が訪れたのは、2014年から苫小牧青年会議所に所属したことだ。
知り合いから強引に勧誘されて入会したため、当初は商売を上手くやっていくための人脈づくりとはいえ、青年会議所の活動が嫌で仕方なかったようだ。
「最初は、なんでこんな街づくりとかやらなきゃいけないんだろと思っていました。そうした考えが変化したきっかけは、人との出会いですね。とにかく先輩たちにお世話になりました。例えば、自分の意見が通らなくてモヤモヤしているとき、『ちょっと来い』とある先輩から呼び出されて『飯でも食おうや』と誘われたんです。『お前が思ってるほど、ここは悪いところじゃない』って諭されたり、ほかにも精神面で、いろいろな先輩方に助けてもらったり鍛えもらったりしましたね」
そう語る磯貝さんは、青年会議所のメンバーとして積極的に様々な活動へ関わるようになった。
特に印象に残っているのが、2016年に青年会議所内でまちづくり政策委員会の委員長になったとき、議会場を民間で初めて借用し、街を良くしていくための方策を市民とともに考える市民議会を開催したことだ。
主婦だけでなく市内4つの高校の生徒たちにも協力して貰い、行政に対して色々な提案を行ったが、そのときひとりの高校生が苫小牧市長に対して「ハロウィンイベントをまちなかで開催して苫小牧を盛り上げて行きたい」と訴えたことで、現在も継続開催されている「とまこまいハロウィンフェスタ」などのイベントも生まれた。
4.声を拾い上げる
昨年夏になって、磯貝さんは当時関わっていた高校生の先生から、ある相談を受けた。
マーケティング部という部活の生徒が部活動で収益を上げてしまうことは、学校としては良くないと言うこと。
そして、顧問の先生たちが人事異動で入れ替わることが続くと活動自体が衰退してしまうので困っているという悩みだった。
「仕事が忙しいから」などいくらでも理由をつけて、このとき教師の声を無視することも出来ただろう。
しかし、磯貝さんは、この声を逃すことなく拾い上げた。
そして、地元の高校生と企業や行政を繋ぐ橋渡し役として合同会社を設立したのだ。
「市民会議のときなど、高校生たちには随分と協力して貰いましたから。今度はこの子たちが困っているからお返ししなきゃなと思ったんです。僕らだけがお願いしておいて、向こうが困っているときに何もしないのは都合が良すぎるし、嫌なんです」
取材の中で、磯貝さんのそうした言動には損得勘定がないように感じた。
その基盤になっているのは、幼少期から少年期に経験したある体験のようだ。
5.原点はここにある
「小さい頃は、やんちゃで、色々と周囲にご迷惑を掛けてまわっていた子どもだったんです。あるとき、母親が僕の前で顔を抑えて『なんで私の言ってること分かってくれないの』と泣き崩れたことがあったんです。何歳くらいの出来事だったかはっきりとは覚えていないんですけど、母親にこんな思いをさせちゃ駄目だなと子どもながらに感じたことが印象に残っています」
「もうひとつ強烈に覚えている出来事が、小学校6年生のとき、クラスに転校生の女の子がやってきたときのことです。その子が鼻を噛んだティッシュをポケットに入れているのを見て、誰かが『あいつ汚ねぇなぁ』と声を上げたんです。そこから、その女の子はクラスで仲間外れにされるようになって、僕と隣の席になったとき、僕は少し席を離してしまったんです。それを担任の植村先生が見ていて、放課後に僕の机に肘をつけて『先生は、(磯貝)大地はそういう人間じゃねぇって思ってるけど、上手くできねぇかなぁ』と言ったんです。『こんな凄い先生に、なんて姿を見せてるんだ』と母親から言われたときみたいに恥ずかしくなって、すぐに対応を改めたんですよね。そこから人に対しての先入観が無くなったのかなと思っています」
以来、磯貝さんは仕事と並行して街づくりの活動を続けている。
企業から「キャラクターをつくりたい」という案件を貰えば、高校生たちと相談し、検討を進めている。
難しい課題に対しては、これまでの人脈を活かして知人や専門家を頼ることもある。
柔軟な発想を持つ高校生が、地元の企業が求める人材であれば、インターンとして仕事の体験や企業へ就職の斡旋もしたいと考えている。
苫小牧で生まれ、苫小牧で育った磯貝さんをここまで動かしているのは、街に対する感謝の気持だけではない。
「いままで色々な場所で街づくりについて、どうしたら街をもっとよく出来るかなど、偉そうに自分の意見を述べさせてもらうことが多かったんです。その過去の自分が言ってきたことに対して、嘘を付きたくないんですよ。口だけ達者な大人たちをたくさん見てきたから、自分はそうはなりたくないんです」
街おこしは、ひとりで頑張ってどうにかなるものではない。
その街に住んでいる人がいる以上、市民や行政などが共に協力し合うことで、打開策が見えるのかも知れないが、両者を繋ぐ存在として、磯貝さんのような活動が不可欠なのだ。
そして、その強い信念はきっと近い将来、高校生たちに受け継がれていくことを、僕は期待してやまない。
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