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大椛 まさし 「信頼できるビジネス」

1.学校では教えてくれないこと

学校では教えてくれない「お金の稼ぎ方」。

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お金の知識を持たないまま社会に放り出された僕らは、生きていくために自分で稼ぐ能力を身につけていくしかない。

そんなときに、頼りになるのはコンサルタントの存在だ。

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大椛まさし(おおかば・まさし)さんは、「メンタルUP&売上げUP コンサルタント」として、短期間で売り上げや単価を上げるコンサルを得意とし、活躍を続けている。

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年間平均して600件ものコンサルを行ってきた大椛さんだが、実は紆余曲折を経てコンサルタントに転身したようだ。


2.レールの上を歩いていた頃

大椛さんは、1973年に熊本県玉名郡で3人兄弟の末っ子として生まれた。

次男とは、一卵性の双子同士で、両親は有明海で海苔の養殖業を営んでいた。

「中学3年生になったとき、クラスの雰囲気が高校受験に向けて変わってしまったんです。大学受験でも、こんなのを味わうのは嫌だなと思うようになりました」

従兄弟が同じ学校に通っていたこともあり、「就職率も良いから」という親の勧めで、中学卒業後は福岡県大牟田市にある有明工業高等専門学校の機械工学科へ進学した。

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本当は建築科を志望していたが、「良いところへ就職できたほうが良いから」という教師の勧めで機械工学科を受験した。

「機械工学科は倍率が高くて、僕はクラスで真ん中くらいの成績だったから、どうせ無理だろうと思ってたんですけど、受かっちゃったんです。ここぞというときに運が良いんですよね」

入学して周りを見渡せば、機械オタクばかりで、大椛さんは「何もなかった」そうだ。

4年生の企業研修で会社の内定が決まりかけたとき、「親も収入を期待してたけど、このままだとレールから降りれなくなってしまう」と危機感を抱き、突然退学届を提出した。


3.憧れの職業

大椛さんが憧れていたのは、コピーライターだった。

「高専の国語の先生の授業がいつも面白くって、読書が好きになったんです。原田宗典さんや宮本輝さんの本を読んでいくうちに『元・コピーライター』という経歴が記してあって、最初はどういう仕事か分からなかったんです。やがて糸井重里さんら、一流のコピーライターの存在を知って、憧れを抱くようになりました」

1年ほど地元でアルバイトをしながら、「宣伝会議のコピーライター養成講座」を通信教育で受講し、福岡の会社などに履歴書を送り続けた。

「熊本を出ないと駄目だな」と感じた大椛さんは、21歳から福岡へ転居し、印刷会社のルート営業として働いた。

「コピーライターの仕事ではなかったんですが、近い仕事のような気がしました。糸井重里さんも『営業をやったほうが良い』と、どこかで書かれていたし。社内では評価も受けて居心地も良かったんですが、このままだと会社から抜けられなくなるなと思って、4年で退職したんです。」

退職後、社内でデザイナーのアシスタントとして働いたあと、空調整備関係のアルバイトをしながら、コピーライターの仕事を探し続けた。

そして26歳から、念願叶って福岡の制作会社でコピーライターとディレクターという立場で勤務することができるようになった。

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離職率の高い会社だったが懸命に働き、出向先である広告代理店のディレクターとして社内の年上のクリエイターに指示を出しているうちに、社内で孤立するようになってしまったようだ。

決定的だったのは、過労により体調を崩して通院を申し出た際、社長から診断書を持ってくるように命令されたことだ。

この件を機に、会社の組織体制を疑問視するようになり、3年で職場を去った。


4.新たなる道

29歳から13年ほど、福岡でフリーランスのディレクター・コピーライターとして勤務するなかで、知人を通じて、ひとりの女性経営者と出会った。

その女性の勧めで、自身が持つ能力を発揮し売上を上げるビジネスセミナーに足を運んだところ、目から鱗の内容に衝撃を受けたという。

「この人から学びたい」と、すぐに師事。

36万円ほどの講座を受講し、ノウハウを学んだ。

受講中にコーチングビジネスで437万円の契約を取ることができ、すぐに実績を上げることができたようだ。

「3ヶ月の講座だったんですけど、本気で90日間走りきりました。このときに出した瞬間最大風速をいかに安定していくかが鍵になりましたね」

大椛さんは、2015年から「目標達成コーチ・コンサルタント」としてコーチングの活動を始め、スタートダッシュこそ切れたものの、集客のためにコーチングのグループ講座を開けば、その準備のために寝不足になるなど、自身の売上アップのために身体を酷使する日々を送った。

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ほぼ不眠不休で働いても、コピーライター時代の年収700万を超えることは難しく、事務作業も増えるいっぽうで、心身ともに疲弊していったようだ。

それでも突破口を探し求め、2017年より都内で開催されたコンサルタント養成のセミナー等へ通い、大椛さんはスキルを磨き続けていった。


5.心に寄り添うコンサル

そして、3年ほど経ったいま、「メンタルUP&売上げUP コンサルタント」として安定した活動を続けているというわけだ。

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「当時よりも働く時間を減らしたんですが、売り上げは2倍、3倍に上がりました」と語る。

大椛さんが行うコンサルの特徴は、心理カウンセリングを応用してクライアントの心に寄り添うことだ。

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「ティーチャータイプのコンサルタントのように、一方的に答えを与えるわけでもなく、相談者の問題を明確に導き出しながら、相談者の資源と自分が持っている資源とを掛け合わせて答えを生み出していきます」

初対面の方からの相談も多く、これまでの300人以上が大椛さんに頼ってきた。

そうした人たちから知識を吸収することが、別の人たちの支援のヒントになっているようだ。

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しかし、大椛さんの支援はそれだけではない。

「過去には、上手く行かなかった人もいたんです。僕は、そういう人たちを放っておくことができないんですよね。経済的な事情や考え方の違いで行き場を失った人もいますから、何かお手伝いができないかとメッセージを送ったこともありますよ。ひとりひとりが夢を抱いて始めたビジネスですから、ひとりも脱落してほしくないんです。僕が好きなことって、みんなと一緒に前を向いて笑っていることなんです

壁にぶち当たったとき、相談する相手がいない。

相談したいけれど、高額なマンツーマンのコンサル費用は払えない。

そんな人たちを救済すべく、会員同士がお互いに手を取り合って支えることが出来る場として月額制のコミュニティ「みんなでプロジェクト」を始めた。

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合言葉は、「みんなで、うまくいく」。


6.これぞ、ビジネス

そもそもビジネスの語源とは、古代英語の「bisignisse」と言われている。

この言葉が持っていたのは「care(ケア)」や「anxiety(心配事)」といった意味だ。

そう考えたとき、大椛さんが行っている相談者に徹底的に寄り添っていく支援というのは、まさにビジネスそのものなのだろう。

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これまで孤軍奮闘の道を歩んできたからこそ、大椛さんはビジネスの厳しさも楽しさも知っている。

そして、コピーライターという言葉だけで商品を売る仕事をしてきた大椛さんだからこそ、彼の言葉は優しさと強さを内包している。

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大椛さんの会社名は、株式会社アナタナマーケティングという名前だ。

あなたらしさ、そして自分らしさを引き出してくれる人を僕は信頼してみたいと思う。


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