本多 和宏「型破りな躍動美」
1.男子新体操という競技
宮城県岩沼市を舞台に、高校生男子新体操部の青春を描くテレビアニメ『バクテン!!』。
2021年4月から放送が始まるこのアニメの舞台と噂されているのが、本多和宏(ほんだ・かずひろ)さんが、これまで顧問として務めてきた男子新体操部だ。
1976年に2人兄妹の長男として生まれた本多さんは、幼少期を福島県で過ごした。
電力会社で働く父親は福島県内で単身赴任をしており、看護婦長だった母親は夜勤などで家を留守にすることも多かった。
そのため、小さい頃から必然的に、本多さんが2歳下の妹の面倒を見なければならない環境だったようだ。
「『何時までは誰々さんの家で過ごして』とか『お腹が空いたら下のお寿司屋さんで食べてきて』といつも両親が根回ししてくれていたんです。家に近所の人が来てくれることもあって、地域ぐるみで育てられた感じなんですが、波長が合わない人が来たときは子ども心に『なんとかしてこいつを追い出そう』と妹と頑張っていました」
両親が不在だったこともあって、習い事はたくさん習っていた。
保育園から小学校を卒業するまでの7年間は水泳を、小学校4年生からは少年野球や空手を、ほかにも習字や英語にも通っていた。
この生活は小学校卒業まで続いたものの、中学入学を機に父の転勤により一家は生まれ故郷の福島県会津若松市へ転居。
市内の公立中学へ進学したが、入学してみると酷いイジメの実態に驚いたそうだ。
「トイレに行ったら白目向いて泡吹いている奴がいたし、針を入れられて爪を剥がされていた奴もいました。卒業する頃には、教員が滅多刺しで刺されて血だらけになる事件まで起こりましたから」
「イジメられる側になると学校生活が終わるな」と入学早々に感じた本多さんは、全校集会で絡まれたとき、相手に全力で立ち向かっていった。
案の定、教師に止められ事なきを得たが、絡んできた相手が中学校で一番の実力者だったようで、以来、本多さんは学校でも一目を置かれるようになった。
幸いにしてイジメられることもイジメに加わることもない学校生活を送ることができたが、その中学校で初めて体操との出合いを果たした。
2.体操との出合い
「当時流行していたジャッキー・チェンやキョンシーなどの映画に憧れて、小学生の頃からひとりでバック転の練習をしていたんです。7ヶ月後にはできるようになっていて、次第に体操競技のロンダートから繋げてバック転なども習得できるようになっていました。中学に入って体操部があるということで、早速入部しました」
意気揚々と入部したものの、体操部とは名ばかりで、バレー部などが体育館を独占している状態で、体育館の中央に1枚だけ敷かれた体操マット、それが唯一のスペースだった。
「そのときは、器械体操と新体操を両方やっていました。試合にも出てたんですけけど、鉄棒なんて握ったこと無いし跳び箱なんて跳んだこと無いから散々でしたよ」
卒業後は市内の県立高校へと進んだ。新体操部は国体に進むなど好成績を収めていたが、入部してみると、先輩たちは大会で強豪選手たちが集合写真を撮っている後ろをそそくさと帰っていくような、全国レベルではまだまだのチームだったことに気づいた。
「先輩たちは部活では偉そうにしているのに、全国に行ったらこの態度かよという感じでした。この人たちを見習ってちゃダメだ、強豪選手のように写真を撮ってもらえる存在にならなきゃと誓ったんです」
その願いは1年後には実現してしまう。
高校2年生になると、既にチームを背負って立つ存在となった。
県大会で優勝し、国体でも個人で4位の成績を収めることができた。
当時の男子新体操と言えば坊主にしている人たちばかりで、その風潮に本多さんは納得がいかなかったようだ。
「新体操って人に見てもらう競技なのに、なんで坊主にしなきゃいけないのか理解できなかったんです。そもそも人気がある競技でもないですから。だから髪伸ばしてターバンで纏めていましたよ。それがチャラついていると周囲には思われていましたけど、こっちは考えがあってやっていましたから」
3.自分にしかできないこと
高校を出たあとは、推薦で東京の国士舘大学体育学部へ入学した。
4年間日本一を目指して必死に努力を続けたが、最高で日本2位の成績だったようだ。
特徴的なのは、ダンスが好きでクラブにも通っていたことから、ダンスの要素を振り付けや伴奏曲に取り入れたことだ。
「選手たちのなかでは、独創的だと評価されていましたが、王道からは外れていたから点数を低くつけられることがあったのかも知れません」と当時を振り返る。
根底にあったのは、男子新体操を人気のスポーツにしたいという強い思いだ。
当時、シルク・ドゥ・ソレイユに魅了されていた本多さんは、なんとか携わる仕事に就きたいと新体操の映像のビデオテープを送ってみたものの、いつまで経っても連絡は来なかった。
インターネットも現在のように普及していなかったあの時代では、それ以上自分で調べる手段もなかったようだ。
そこで、パフォーマーの道を諦め、卒業後は稼げる仕事を始めることを決意。
歩合制で手取りが良かった宝石の営業職として、大学卒業後から代官山で働きだした。
「最初の3ヶ月は全然売れなくて辞めようと思っていました。辞める前に好き勝手してみようと頑張ったら、どんどん売上が伸びて、半年後には月給290万円へ昇りつめたんです。ただ当時としてはいわゆるブラック企業で、1日20時間くらい働いて事務所で仮眠をとる毎日でした。休日もクーリングオフの対応に追われてて、あるとき『何のために働いてるんだろう』と我に返ったんです」
「生活するだけの最低限のお金さえあれば良いのでは」と考えるようになった本多さんは、宅急便の会社に転職し、大手宅急便会社などの宅配業務を請け負うようになった。
ところが、2年ほど経ったとき、「10年後の自分の未来が予測できてしまった」と退職。
仕事に対する自分の存在意義を感じることができなくなり、自分にしかできない仕事を探すようになった。
4.教職の道へ
そんなとき、大学の先輩から声を掛けられたのが教職の仕事だ。
その先輩が宮城県内の中学校に新体操部を創部し、5年経って全国大会で優勝したが、転勤により学校を離れることになり、本多さんに白羽の矢がたった。
「中学校のとき、イジメの現場を教師たちは黙認していたので、どっちかというとなりたくない職業だった」という本多さんだが、大学で教員免許を取得していたこともあり、25歳から公立中学校の保健体育教師として働き始めた。
最初は講師という立場からスタートしたが、想像以上に教職の道は刺激的だったという。
生徒たちの成長を身近に感じ、毎年違う発見があった。
年数が経つに連れて、「あのとき、ああしておけば良かった」という反省点も出てくるし、それを次に活かそうとも考える。
働けば働くほど、教職の面白さを感じていたようだ。
そして9年経って、教員採用試験に合格し、教諭として正式に任用されることになった。
赴任して4年目の年には、指導していた新体操部が全国大会で2位の成績を収めることができた。
青森県にある体操の名門校へ卒業生たちをどんどん送り出していたところ、次第に「なぜ県外の学校を斡旋するんだ」という反対の声も出てくるようになったという。
「じゃあ、県内にもっと生徒たちの受け皿をつくって欲しい」と教職員課へ願い出たものの、本多さんの望みが聞き入れられることはなかったようだ。
そんなとき、宮城県仙台市にある私立高校が男子新体操部をつくることになり、本多さんに声が掛かった。
悩んだ末に、30歳からは私立高校の教員として勤務。
「髪の毛を染めたりピアス付けたりした素人の生徒ばかりだったけど、翌年には全国2位になったんです」
ところが非常勤講師としての採用だったり、2年経って突然に解雇を告げられたりしたことから、戸惑いを感じた本多さんは、再び公立中学校へ戻り、働き始めた。
5.型破りな躍動美
現在は、宮城県岩沼市にある公立高校で新体操部の指導を続けているが、インターハイに8年続けて出場するなど指導者の腕前は超一流だ。
さまざまな学校を渡り歩き、たくさんの男子新体操選手を育成したが、最終的な目標は「もっと男子新体操という競技を普及させることだ」という。
スポーツの世界では、選手時代の実績がコーチとしての力量を図る絶対的な基準となっている。
しかし、よく知られているように、いくら現役時代に選手として成功しても、コーチに転身して苦戦している例は多い。
自分で学ぶことと人に教えることが違うように、選手としてプレーすることと選手を指導することは全くの別物なのだ。
ところが、本多さんの場合はどうだろう。
選手としても指導者としても、誰が見ても申し分ない結果を出している。
特にその指導者としてのスキルは眼を見張るものがあるだろう。
その秘訣を伺ったところ、「自分の思い通りに身体を動かす方法を徹底的に教えること」のようだ。
つまり、五感で察知したものを、頭で判断し、具体的に筋肉を動かすといった一連の過程をスムーズに行うというコーディネーション能力をどう鍛えていくかということに尽きるのだ。
振り返ってみると、本多さんはずっと「形」を追求してきた。
ジャッキー・チェンのカンフーに憧れてバク転を始めた少年は、青年になるとマットの上に場を移し、ダイナミックでアクロバティックな演技を披露してきた。
ときには、ダンスを取り入れ、革命を起こそうとしたことだってある。
つまり幼少期から求めてきた美しい「形」が、コーディネーション能力なんて言葉さえ生まれていないときから、本多さんを鍛えてきたのだろう。
日本発祥の競技である新体操は、まだまだマイナースポーツだけど、この型破りな男が、マットの上に今度はどんな新しい風を吹かせてくれるのか、僕は楽しみで仕方がない。
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