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chatgpt凄すぎる!
いまさらながらchatgptに感動したのでそれを言語化してみたいと思う。
chatgptが登場した当初は、このポケモンについての論文を書いてみてと適当に打って遊んだりして、スラスラと作成されている文にすごいなーと思って感心していた。
だからといってそれを何かに活かせるような事が思いつかずに今の今まで放置して存在を忘れていた。
noteを書き出してから、いろんな記事を見るようになりその中でAI記事となるものを何度か見かけた。
それが何なのか調べてまでは知ろうとは思わなかったけど、なんとなく生成AIを使って記事を書いているんだなと思った。
chatgptの文章生成能力のすごさは登場当初に遊んで体感しているので、それを利用すればきちんとした文章が作成されるだろうということは想像に難くない。
試しに今までに書いた記事をchatgptにアレンジしてもらうことにした。
自己紹介の後に書いた記事で1つもスキがない記事なので改善のし甲斐がありそうだ。
これを文学っぽくアレンジしてもらおう。
chatgptにアレンジしてもらった全文は記事の最後に載せたので時間があれば見てみてください。
見違えるほど面白く読み応えのある文章になっていて驚いた。
なんなんだこのセンス。
自分の言葉足らずなところも補足してくれるし、こういうのが言いたかった!というのが表現されていて自分の気持ちを代弁してくれていて清々しい気分だ。
特に印象的だったのはこの部分。
「そして、気がつけば僕はただの観客となり、ゲームの世界に没入していた。数多のゲームをプレイし、その都度興奮し、何度も心を動かされた。
だが、それを語ることはなかった。
どれも表面的な経験であり、他者と深く共有することのできる意味を見出せなかったからだ。」
もともとは
「そうして気づけばゲームばかりの日々。たくさんのゲームをやったが語れるものは一つもなく無意味な時間を過ごしていく。」
元の文だとたくさんゲームばっかりしたけどその時間は全く無意味なものだと言い切っているが、本当はゲームをしている時間はめちゃくちゃ面白かったし楽しんでいた。
その過程の部分を汲み取ってくれて言語化しているのがすごいなと思った。
さらにゲームをプレイしているだけで、どこが面白かったのかやどこが印象に残ったのかなどいろんなことを考えてこなかったのを、「表面的な経験であり」と表現したのもしっくり来ててすごいなと思った。
その他にもこういう言いかえがあったのかと参考にもなる。
これから記事を投稿するときざっくり内容を書いてからchatgptに修正してもらったらいいのではと悪魔のささやきが聞こえてくる。
もちろん面白い記事を書くのが目的ならそれでもいい。
しかし自分はコミュ障を改善させるためにnoteを始めたのだ。
aiに任せていけば一向に自分の文章力は上がらないどころか、頭のなかのもやもやは全く表現できずに結局言葉に詰まることになる。
なのでやっぱり1から最後まで自分の力で書くことが大事だと思った。
しかしながら、投稿した後に書いた文章をchatgptに見てもらって、こういう表現力があるよとか、言語化できていない部分を教えてもらったりと参考にできる部分はあるので使い方が大事だなと思った。
chatgptにアレンジしてもらった文章
僕がnoteを始めようと思ったのは、ただひとつの理由からだった。
それは、ずっと心の奥底で感じていた「伝えたい」という衝動を、ついに外へと解放するためだった。
しかし、その思いを現実の形にするのは、予想以上に難しいことだった。
過去を振り返ると、幾度となく同じような決断を繰り返してきた自分が見える。
最初に何かを始めようとしたのは、ガラケー時代、個人ブログが流行った頃だっただろうか。
あのとき、「こんな簡単なこと、俺でもできる」と高を括っていた。
しかし、実際に手を動かすことはなかった。言い訳はたくさんあった。
「時間がない」「明日やればいい」「どうせすぐできる」と。
結局、何も生まれなかった。その時の後悔は、今も心の中でくすぶり続けている。
次に僕の心を引き寄せたのは、ニコニコ動画の「ゲーム実況」や「やってみたシリーズ」だった。
動画の中で人々は自分を曝け出し、全世界に向けて自らの意見を発信していた。
彼らには何か特別な力が宿っているように思え、僕もその中に加わりたいと思った。
エレキギターを手にし、ピアノの鍵盤を叩いた。だが、どれもすぐに諦めた。
すべてが浅薄な憧れに過ぎなかった。
才能がないことを知り、すぐに自分を納得させてしまった。
そして、気がつけば僕はただの観客となり、ゲームの世界に没入していた。数多のゲームをプレイし、その都度興奮し、何度も心を動かされた。
だが、それを語ることはなかった。
どれも表面的な経験であり、他者と深く共有することのできる意味を見出せなかったからだ。
何度も「ゲーム実況をやろう」と思った。だが、その度に「恥ずかしい」という気持ちが心を支配した。
自分を映像に残し、言葉で語ることに対する恐れが、僕を足止めしていた。それは、ただの自己防衛でしかなかったのかもしれない。
しかし、恐れることは生きることを放棄することでもあると、気づくには長い時間がかかった。
そして、ついに僕は気づいた。
今、この瞬間こそが僕にとっての「始まり」であることを。
20年という歳月が過ぎ、ようやくその扉を開くことができた。
noteという小さな一歩を踏み出すことが、僕にとってはまさに人生の転換点だった。
それでも、まだ僕はほんの始まりに過ぎない。
アリアハンの町を出発し、スライムを一匹倒した程度のレベルだ。
しかし、この先に広がる世界に僕は希望を感じている。
まるで、これから歩むべき道が少しずつ明るく照らされていくような気がするのだ。
そして、この瞬間が、まさに「レベルアップ」した瞬間だと心から感じている。
まだ見ぬ景色が、僕を待っている。
それがどんなものであろうと、僕はその一歩を踏み出すことを選んだ。
それがどんなに小さな一歩でも、確かに大きな意味を持っているのだ。