一本道

なんて根性がないのだろうと、わずか3センチほど食べかけた伊達巻の残骸を見て、今年も自分と鏡合わせになる。

コンビニで見かけた弁当一つを優に越す値段のそれを食べたくなった。おせちなんてしばらく箸を伸ばしていないせいか、なにか憧れてしまったのだから仕方ない。
問題はこの体型をした、たとえばヨウカンとかあるいはさけるチーズみたいな? 一本二本としか数えようのない形をしたものを、最後まで食べきるのが苦手だ。

飽きる。飽き果ててどうしたって残飯と化す。
とはいえ伊達巻と横並びしていたかまぼこならぺろりと食べるのだけど、そもそもかまぼこは刺身の同列に見ているから、あんまり一本過満足バーどもにカウントしたくない。

奴らは基本的に味を濃いめに装われていることが多い。なのできちんとひと口サイズに切りさばいて、時と機会を隔てながら食べるくらいでちょうどいい。もっというと誰かと分けあうのがベストだろうが、ソロだらけのこのご時世に適応できねば人間様は手を伸ばさぬのだから、必死だろう。生産者が。
そして言わずもがな、生産者が予測していないような、さけるチーズを正面から食らうのは阿呆がすることなので人の所業に数えてはならぬ。

一本道。長けれど長けれど味も切り口も変わらぬそれを、みなみな如何にして口にするのだろう。
飽きるまで食わなかった五分の三に、何かがあったと思わせるのはいつも買ってしまった自分による厚化粧だろうと打ち消してきたけど。

いよいよ人生第一コーナーの今年。その感覚でいくと40で世の全てと己を理解したかのように死んでいくやつなので、それは大いに嘘になるとわかっている。
走りきる美学をちゃーんと元旦から3日にかけてTVを見ていれば、学び感じ取れるお国柄なのは知ってる。もうその情報源を6年見ていないソロはソロで、こうしてなにか考えるだけだ。

残さず食べる美学よりゲテモノグロモノなんでも食ってみよう、の方が持論としては人生楽しい、よ。

まあそれでも。今年はちょっと、もう少し食してみようと冷蔵庫に食べかけの伊達巻を戻した。

いいなと思ったら応援しよう!