「私」と私の脳の話
最初の内に自己紹介をかけとnoteのシステム? UI?がいうので、洗濯が終わるまでに、書いてみようと思います。
わたし、最近気づいたことがあるんですが、「物質としての私」や「私という生物の生命維持」「私という自我の欲望の充足」に興味はあっても「社会的な存在である私」自体にはあまり興味がないぽいです。
なので自己紹介って難しいですね。ブログを始めたはよかったが、どう見られたい、みたいなのが思ったよりもなかった。
これが、何か目的があれば、ある程度その目的に合わせた自己紹介文を書けそうですが、このブログ、書くことそのものが目的であって目的のようで目的ではないですしね。
というわけで生き物としての私の話をしようかな、と今思いました。
本題です。串田は多動です。
身体もよく動き、出歩けば常にうろうろするし、意味も無くその場で一回転してみたりします。
脳味噌も常にいろいろなことを飛び飛びに考えては忘れています。会話をすると話も飛びますしTwitterでは後から読み直してツイートごとに人格違うんじゃないの、これ。みたいな時があります。
イメージでいうと私がゲームのキャラクターで、常にプレーヤーがレバガチャをしながらゲームをしているイメージです。移動するときも、メニューを開いてどうぐを使ったりステータスを確認する時も「レバガチャ」をしている感じです。
この「ゲームでいうところのプレーヤー」が、はたしてなんなのか、というとどうやら「脳」のようなんですよね。
ADHDの多動の仕組みとして説明してもらったやつで
「脳に到達する刺激の取捨選択ができておらず、バランスがとれない。そのため、脳はバランスを取ろうと刺激を追加して、なんとかバランスをとろうとする」というのがあります。
この「刺激の追加」が、うろうろだったしその場でジャンプだったりするようです。
私もちょっと説明されただけなので、これを読んで興味を持った人はちゃんと調べてください。
でも、不思議です。
だって「脳=私」のはずなのに
「イコール私であるはずの脳が狙ってやっていること」が
「私の主観・私の意識」にとっては「不随意のレバガチャ」に感じるわけです。
まるで「私の意識」が「私の脳」じゃないみたいに。そう表現するとちょっと怖いですね。
でも、よく考えてみれば似たような現象はいっぱいあります。
たとえば「ごはんを食べて消化する」のは「私の脳が私の消化器官に命令してやっていること」ですが、「私の意識」はほとんどそれに干渉できません。
「息を吸って吐く」という行為に干渉することはできますが、ずっと干渉しつづけるとちょっと忙しすぎて大変です。(※)
それと同じと考えると、そこまでおかしいことではないような気がします。
つまり「私の意識」というのは、「私の脳」が持つ機能の中でもだいぶ狭い範囲を司っているようですし、「私という生き物」の行動を決定づける上でも、絶大な権力を持っているわけではないようです。
そろそろ洗濯物の脱水が終わったので切り上げようと思うのですが、なんの話でしたっけ?
自己紹介? これ自己紹介でしょうか。でももうエディタに自己紹介のタグつけちゃったしなあ。まあいいか。とりあえず私の脳の多動っぷりは疑似体験できる感じになったのではないかな、と思います。では。
※呼吸を意識すると、しばらくの間、「意識しないと息が止まってしまう」のであまりやらないほうが良いですね。これを何かの能力と組み合わせて攻撃手段として使った漫画のキャラがいた気がしますが、何の漫画だったか忘れた。