苦しかった時期に聴いていた歌を久々に聴いて考えたこと(RAM WIRE/清竜人)
懐かしい音楽を聴いた。
Youtubeでたまたまリストに上がってきた歌を聴いていくと、どんどん芋づる式に当時聴いていた音楽に辿り着いた。
10年くらい前だった。
あの頃は、心屋も引き寄せも、自分らしく生きるための考え方を全く知らなかった。
日々、自分の人生ではないようなふわふわした気持ちでただ時間が過ぎていった。
モヤモヤ生きている日々をなんとか抜け出したい気持ちでいっぱいだったけど、何をどうしたらいいかわからずもがいていた。
なんとなく普通の人の顔をして仕事に行って、友達と遊んで、毎日ただ疲弊していた。
もっと生き生きと生きたいと思っていて、何もできず投げやりだった。
周りの人が就職や結婚で進んでいく中、自分の時間は止まっているみたいだった。
生きることは苦しく、どうやって働いていけるのだろうと、人生を生き抜いていけるのか考えると不安だった。
他の人が難なく人生を進めているように見えて、それが不思議で、自分とは明らかに違う生物のように思えた。
今はまた違う部分での悩みに直面していて、あの頃抱えていた仕事や恋愛の悩みに完全に共感はできないかもしれない。
思春期の傷つきやすかったり、痛みのある雰囲気の中で前へ進もうともがいている感じ。
最近は聴いていなかったけど、私、こういう歌の雰囲気好きだった。
辛くても頑張ろうみたいなガンバリズムは古い感じがして好きじゃないのだけど。
だから、歌詞そのものに共感するというよりも、こういった歌の中にある痛いほど澄んだ魂の部分を感じることが好きだったのかもしれない。
今なら、ただがんばるじゃなくて、自分を苦しめている考え方があって、それに気づいていくことはすごく効果があるし、それをすることが自分にもできるんだということを思う。
当時は、心に響く音楽だけが自分を励ましてくれるものだったかもしれない。
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あの頃の私に
あの頃、とても辛かったけど、今は少し違う気持ちだよ。
希望がちゃんとあって、それはあの頃の私がずっとどこかで望んでいたことだったかもしれない。
ずっと頑張ってきたことを知っている。
たくさん泣いたことも知っている。
昔の私はすぐに自分が間違っていると思っていた。
その度、自信をなくしていた。
自分が間違っているのだろうか?
望むことがあっても、何も選べない、八方塞がりだった。
生きる上でこれがあるべき姿というものをみんなが言ってくる。
たくさんの人に批判される。
同じようにできなくて、その前で立ち尽くしていた。
でも、本当は間違っていなかった。
ということがある。
逆に、ものごとの見方や、他人に対して自分が考えていたことで、本当は違っていたことも実はたくさんあった。
でも、心の底で望んでいたこと、どうしても選べなったこと、どうしても選んでしまってきたこと、は、やっぱり本当だった気がしている。
色々な人が色々なことを言ってくる。
それらは本当のこともあるし、違っていることもある。
100%正しい人もいないし、100%間違っている人もいない。
みんなその時点でのベストと思ったことを言っているだけだ。
心の中にずっとある気持ちや、強い思いは、これからも大事なものであり続ける。
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過去に戻りたいと思ったことはないけど、もう一回生きてみたい。
何回でも生きたい。
そう思った。
まあまだ死んでないけど。
当時の日記、また読んでみたい。
Youtubeすごい。
では、また。