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36歳で初期流産を2回経験した時の話Part①

結婚一年目の年末、妊娠しました。
36歳のこと。
(流産した時の話なので、こういった話はあまり…
という方は、お控えください。)

職業訓練に通っている時で、訓練は2月まで。
寒い時期は就農計画などが中心となり、作業的な実習が少ないけれど、なるべく安静に。先生にも事情を伝え了承してもらう。

※移住後、職業訓練農業科へ通っていました。
詳しくはブログで書いています。

1度目の流産

浮足立ったのも束の間、一般的に言われている週数で心拍を確認することができない。次回の再検までの間、毎日祈るも、稽留流産となりました。
病院で先生が話していることが心に入って行かず、
自然に体の外に流れるのを待つ間も、
何かの間違いだと信じられないでいた。

その後、生理のような出血があった。
本当に流れてしまったのだなと実感する。

妊娠自体は可能なのだからと、
気持ちを切り替える努力をした。


2度目の流産

ふたたびの妊娠

その3か月後くらいに、ふたたび妊娠。
(流産後は妊娠しやすいという話もありますよね。
裏付けるデータはないそうですが。)
この時は、心拍の確認ができ一安心。

当時、とある施設のリニューアルオープン後、
総菜カフェの立ち上げをし、取り纏め役として忙しく働いていました。
そんな中、出血があり急いで病院へ。
その時、赤ちゃんの心拍が確認できませんでした。

人も足りておらず、立場的に仕事も休めず、
次回の再検までの間、絶望的な気持ちで過ごしました。
全てを誰かのせいにして、なかったことにできばいいのに
と毎日考えていました。

結果はまたもや流産。

1度目の時よりも週数が経っているので
『流産の処置をするか、自然に流れるのを待つか』
と問われ、後者を選択。
どこかで諦められない気持ちがまだあって、
処置をして終わってしまう現実を受け入れられなかったのです。

数日後の夜中、突然お腹が痛み出す。
こらえきれない痛みで、救急車で運ばれました。
当時は団地に暮らしていて、救急車を呼ぶと色々と噂になりそうだ…
という懸念もあり、無理を言ってサイレンを鳴らさずに来てもらい、
3階の自宅から下まで夫に運んでもらいました。

病院について、車椅子に乗せてもらった時に
下から何かがドロッと出た感覚があり、
その後意識が戻ったのは、処置が終わり麻酔から覚めた時でした。


余談ですが、驚いたこと。

住んでいた団地には、毎月1回、各家庭から1名参加必須の朝の草取りの日がありました。参加できなかった家庭は、ペナルティの罰金有り。

私が救急車で運ばれた翌日がその草取りの日。
私の退院当日で、夫は手続きや病院へのお迎えなどで、
当然出られませんでした。
諸々済ませて、事情を説明しに夫が団地代表のお宅へ伺いました。
お休みした事情は承知してもらえましたが、
住民間の不公平が出てはいけないので、
欠席の理由については考慮しないとのことで、
罰金をお支払いしました。

仕事という理由だったら納得なのですが、
夫と二人、驚いてしまった出来事です。

不育症かも?

立て続けての2度の流産で、
不育症の可能性もあるということで、
一度検査をしてみたものの、特に異常はなし。

妊娠初期の流産について調べてみると、
”ほとんどの場合は、あかちゃんの染色体異常と言われていて、
母体のせいではないから自分を責めないように”
そんな風に書いているサイトがたくさん出てきます。

それを読んで、頭では納得できるけど心は納得できていない。
2度も妊娠の機会があったのに、流産してしまったということが、
とても重くのしかかりました。
それまで、あまり深く考えていなかった自分の年齢的なこともより気になるようになりました。

2度目の流産後、37歳に。


長くなりそうなので、いったんここで終わり。
パート②へ続きます。


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