虚像でも憧れたのなら、その虚像を信じるべし
憧れと依存の違い:虚像に魅了されても自分の人生は自分で生きる
私たちは日々、多くの人物に影響を受け、憧れを抱きながら生きています。有名人や成功者に心を奪われ、その姿に自分を重ねたり、目標にしたりすることもあるでしょう。しかし、それは果たして本当に「真実の姿」なのでしょうか?
虚像とは何か?
虚像とは、真実を完全に伝えているわけではない人物像のことです。私たちはメディアやSNSを通じて、他人の一部分だけを見ています。例えば、私は有名人の木村拓哉さん、笑福亭鶴瓶さん、木梨憲武さん、桜井和寿さんが大好きで、彼らのように生きたいと憧れています。
しかし、実際に彼らのプライベートな部分を知っているわけではありません。
見えている部分を見て「素敵だな」と感じているだけに過ぎないのです。
もしも彼らが見えない部分で問題を抱えていたとしても、それは私の人生に直接関係があるわけではありません。
だから、私は彼らに会いたいとも思わないのです。
憧れはあっても、依存ではないのです。
憧れと依存の違い
憧れと依存の違いはどこにあるのでしょうか?
私が挙げた4人の有名人に対して、私はオタクでもありませんし、依存もしていません。
好きという気持ちと、依存しているという状態には大きな違いがあるのです。
依存とは、「この人なしでは生きていけない」という状態です。
好きの延長線上にあることも多く、紙一重なところがあるように思えます。
好きが行き過ぎてしまうと、依存に変わることもあります。
だからこそ、まずは「依存」の意味をしっかりと理解することが大切です。
依存とは、他のものに寄りかかり、それによって自分が成り立つことを指します。
つまり、他人に寄りかかってしまうと、自分の人生を自分で生きることができなくなるということです。
他人に自分の生きる意味を委ねてしまうと、思うように生きられなくなることも多いのです。
自分の人生は自分で生きる
他人、特に有名人や身内であれ、自分の生き方や幸せを他人の管理下に置いてしまうのは危険です。彼らがどう生きようと、それは自分には関係のないことです。私が木村拓哉さんや笑福亭鶴瓶さんに何かをしてほしいと思っているわけではありません。彼らの生き方が素敵だと思い、「そうありたい」と感じているだけです。
もっと言えば、私はこの4人の見えている部分をミックスしたような生き方を目指しています。それぞれの良い部分に惹かれて、それを自分の生き方に取り入れたいと思っているのです。
4人の有名人から学ぶこと
それぞれの人物に魅力を感じる部分は異なります。
木村拓哉さん:ずっと人気があり、今では理想のお父さんとしても称賛されているところ。ずっと第一線で輝き続ける姿に憧れます。
笑福亭鶴瓶さん:弟子の時代からずっと売れ続け、誰からも愛され、敵がいないところ。彼の人柄の良さと継続的な成功は見習うべきところです。
木梨憲武さん:60歳を超えてもやりたいことをやり、それが人々の喜びになっているところ。年齢に縛られず、自由に生きる姿勢に共感します。
桜井和寿さん:等身大の自分を曝け出し、心の奥底をさらけ出した歌詞を書けるところ。他にはない正直さと深い表現力に魅力を感じます。
こうやって見ると、彼らに共通しているのは「お金のために働いているわけではない」ということです。その先にある大切なものを見据え、そこに向かって生きている姿に憧れて、私もここまで歩んできました。それは、これからもずっと変わらないと思います。
自分の人生に他人を入れない
どんなに憧れている相手でも、私たちは自分の人生を生きなければなりません。どんな虚像に憧れても、あなたは実像であることを忘れないでください。他人の生き方に感銘を受けることはあっても、そこに自分の人生の意味を委ねてはいけません。
自分の生き方を決めるのは、自分自身です。他人は決して自分の管理下にはありません。だからこそ、他人に依存せず、自分の人生を自分でデザインすることが大切なのです。
好きな人に憧れることは素晴らしいことですが、その憧れが依存に変わらないように、自分の足でしっかりと立ち、前を向いて進んでいきましょう。どんな虚像に魅了されても、最終的に大切なのは、自分の実像としての生き方なのです。
憧れを糧に、自分らしい人生を歩んでいきましょう。