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第11話「アンチコメント」
アキは都会に勤めるアラサー。
夜寝る前ショート動画をついつい見てしまう。
寝る前にスマホはいじってはいけないというけれど、体がいうことを聞かないのだ。
すっすと見ていると、ある動画でぴたりと動きを止めた。
若いというにはあまりにも幼い、幼すぎるインフルエンサーがアンチコメントについてコメントをしていたのだ。
こんな幼い子になんて言葉を浴びせているんだ、とアキは思った。
中にはそういったアンチコメントが原因で亡くなる方が後を絶たないというのに、
人というのは愚かな生き物だ。
どうして人はアンチコメントをしてしまうのか、アキはどこにもやりようがない怒りを鎮めるために考えてみることにした。
そもそも人が愚痴なり他人の悪口を言う時は何かしら不満足だからと言うことが原因だろう。
悪口の対象に対しての不満だったり、愛情の不足、自己肯定感が低いなど自己が何かしら不満を抱いている場合が多いだろう。
だからって人を傷つけて良いわけがないが。
そういった人に対してケアが必要なのだろうが、その救いの手を握れるのは本当に一握りだろう。不満を抱いている方の中には、病んでいる自分に酔っている場合があるからだ。
もちろんそういった人たちばかりではないことも理解している。
その救いの手を探して手を伸ばして握れるかはその人次第なのだ。
もう一つ問題なのは、その人達が孤立してしまいがちだということだ。
世間が思うより家族は自分を理解してくれない。許容もしてくれない。
本人が持つ悩みを完全に許容して受け入れてくれる家族は本当にごく僅かだ。
私もかつて両親に相談した時に「気のせいだろう。」の一言で済まされたのは今でも心の中でしこりになっている。
一番近い他人の家族にそんな態度を取られたら思春期の子達は心が荒んでしまうだろう。
そんなときに周りに家族以外の打ち解けて頼れる他人がいるかが重要になってくる。それは大人にも言えることだ。
こんな話を聞いたことがある。人が精神的に安定するために自分の居場所を3箇所作るといい、という話だ。
学生ならば、学校と家ともう一箇所、社会人なら職場と家ともう一箇所になってくるだろうか。この時の居場所というのは、リアルな場所じゃなくても良いと私は解釈している。
いわゆるメガバースという世界だ。オンライン上の人との繋がりも悪くはないのだ。
ただ、このネットの世界は向き不向きがある。私は楽しいがそれは人の気持ちを考えることが苦ではないからだ。人の顔を見て対話をしたい人には不向きなツールだろう。
人には人に合った居場所がどこかに必ずあるのだ。
そしてアンチコメントをする人の話に戻るが、この人たちは自分の居場所を自ら破壊しているのだ。
心が荒んでいる人たちは熱斗の世界だけでなく、現実にもいる。そして現実で破壊行為をしている人たちは、人が離れている。それは居場所を壊しているのだ。
ネットの世界の自分の居場所を破壊する人たちは、その人達と同じだ。
しかし、現実とネットと違うのは一対一の対話で文字として視認できてしまうということだ。文字を見ると読まざるを得ない。脳に直接アンチコメントを刻んでしまうのだ。
タチが悪い。
それをスルーするということは、今までなかった特別なスルースキルが必要になる。
まあ、この辺でいいかとアキは思った。
ここから解決策を考えようが、それをこのアンチコメントを書きている人たちが実行するとは限らないし、そもそも共有もできない。
そこをできる人は本人達に愛情を抱いている人だけだ。
愛がないとできない。
私は現時点でこの人たちにエネルギーを集中させるだけの愛は持ち合わせていない。
アキは余計に眠れなくなってしまったと思い、ぼーっと夜空を眺めた。
今日は良い空だ。