シニカルK

プロフィールが書けるなら才能です

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最近の記事

これは無個性です

はい、ただいま。クソ野郎。 感情表現だとか、自己表現だとか、そういうものは「何も持っていない人が、何かを持っているのだと信じるためのツール」だと思えてきた、という報告です。やっと。 要するにブーメランを投げるために遊びに来ました。 * * * 私は「個性的なものや人間」に憧れるタイプだ。 それによって何を得たいのかも有耶無耶に、漠然と「自分から見て『個性的である』と判断した人間」を真似してきた。 真似しといて、型を探しておいて「個性的」とかバカじゃねえの。 しかし、自

    • 面白みを見つけることができなかったので、以降は投稿いたしません。 皆さんさようなら。

      • 「本物」という言葉に騙されている

        • 私は仕事ができない

          一般的な雇われ形態、あれで自立できるほど稼ぐのは不可能と判断した。体調がぐずつきやすい。信頼できない他人の言うことを聞くのが嫌いだ。協調がつらい。 ならば? 私は絵を描きたい。ゲームがしたい。芸術と娯楽と空想の世界に浸っていたい。 絵を仕事にしようとした。なぜだか腰が重い。描けない。 なんとなくわかってはいる。 「相手の注文に合わせる」 「数をこなせる」 「わかりやすい」 「かわいい」 「納期」 世の流れに乗っていけるスピード。 サッと目を通せば消化できる軽さ。

          シニカルファミリー 赤い屋根のおうち

          「家族」と言っても、その状況や「何をして『家族』と定義づけるか」というのは色々あると思うが、私は「家族」という言葉の響きがなんとなく苦手である。なんとなく「キラキラ感」を覚えるのである。キラキラネームについては特に興味ない。第三者がブツクサ言っているのを見ると驕りを感じる。 人に対しては、例えば職場で周囲に遠慮して希望休を出せない・残業を引き受けてしまうなんて人に「お前にも家族がいるだろう」とでも言ってみたくなるが(正直なところは「自分自身」に目を向けさせたいところだが)、

          シニカルファミリー 赤い屋根のおうち

          話を合わせることの功罪を思い知れ

          話を合わせることの功罪を思い知れ

          ところで私はジオシティーズ住みなんだ

          2018年10月1日、Yahoo!ジオシティーズサービスが終了するという知らせが届きました。 ジオシティーズ上で作られた各ページを閲覧できるのは、2019年3月31日までとのこと。 私はTwitter検索でお祭り状態を眺めながら、色々と思い出していました。 というのも、私はつい昨日にもそこで自分のページを更新していたのです。 * * * 私は不登校児でしたが、逃避先(「逃げる」という言葉に敏感な方もおられますが、私自身の体感としてこの表現を使います)はゲームとパソコン

          ところで私はジオシティーズ住みなんだ

          私は「勉強」が好きだ

          私は常に、自分の価値観のアップデートを行っている。 勿論譲れない部分もあるが、例えば「新メニューを味見した」などの小さな体験もカウントすれば、変化のない日は存在しない。 私はこのアップデートを全て「勉強」と呼んでいる。 やり方はとても簡単だ。 今まで培ってきた自身の価値観を全て放り投げ、目の前にある未知のものを「これが普通」と思い込む。そして体験する。 なぜ、アップデートをするのか。 それは、自分の人生が今よりも豊かになるという確信があるからだ。 今自分が抱えている「し

          私は「勉強」が好きだ

          トーク用の欄があるな、ちょっと使ってみるか。 「素朴な疑問を書いてみよう」 素朴…… 「素朴」とは何だ? 「純粋」のように、解釈次第で勝手に貼られる言葉ではないのか? 自称が「素朴」、他称が「純粋」。

          トーク用の欄があるな、ちょっと使ってみるか。 「素朴な疑問を書いてみよう」 素朴…… 「素朴」とは何だ? 「純粋」のように、解釈次第で勝手に貼られる言葉ではないのか? 自称が「素朴」、他称が「純粋」。

          欲張りじいさんを応援してみた

          「おむすびころりん」は、正直で働き者のおじいさんに対し、欲張りなおじいさんが登場するお話である。 (※出典によって設定は変わりますが、強引に進めます) このお話における「正直」「働き者」「欲張り」の定義がよくわからないが、ひとまず前者が真摯にねずみ達とやり取りする様子は正直といえるだろうし、後者は小判欲しさ(欲)に「猫の鳴き声」という相手の弱点を利用してしまったわけだ。 「弱点の開示は相手との関係性によって吉にも凶にもころりんちょする」という教訓を教えてくれる物語である。

          欲張りじいさんを応援してみた

          心理テストと自己分析の相違点(趣味の移行)

          いつ頃からか、私は自己分析にハマっていた。 いわゆる「社会の常識」だとか「正社員として真面目に働け」だとかの「一般的なレール」のようなものにどうしても馴染めないと思ったので、さっさと別の生き方でハッピーになるための準備を始めたのだ。 (学校の時点で問題を起こしがちだったので、「一般社会」とやらが学校の延長線のようなものだと思うと、まあ、降りたい。無駄な苦労が目に見えている) 「レールを選び直す」というよりは「自分に合ったレールを作っていく」という感覚である。選んだレール

          心理テストと自己分析の相違点(趣味の移行)

          3エネ:注意事項(休め)

          前回note「そこに3つ エネルギーがあるじゃろう!」の補足記事。 ※これはどちらかというと「休みたいのに休めない!」という自分のために書いているものであり、働き続けることを推奨するものではありません。 エネルギーを使わずに済むのなら、そちらの方が絶対によいです。 ※もし「何もしていないのに疲れる……」ということであれば、いずれかのエネルギーを延々と使っている可能性があります。貴方はもう十分働いているので、構わず休んでください。働いていなくても休んでください。 ※個人的

          3エネ:注意事項(休め)

          そこに3つ エネルギーがあるじゃろう!

          (※人のツイートから着想を得た仮説ノートです。理解までの過程と思いつき) (※「ストレングスファインダー」とは自分の強みを教えてくれるツール。詳しくは各自で調べてほしい) (※ここで言う「内省」とは、簡単に言うと「考えること自体が好き(というか癖)」という性質) 察するに、人のエネルギーには ・身体的エネルギー(体力) ・頭脳的エネルギー(思考) ・精神的エネルギー(心) の3つがあると思われる。 私はこの『「内省」上位の人』なので、日がな一日考え事をしている。 上記

          そこに3つ エネルギーがあるじゃろう!

          私はなぜ「ありがとう」が苦手なのか

          「身近な人に毎日感謝しろ」というのは、よく聞くように思う。 私はどちらかというと、身近であるほど「ありがとう」を言いにくいタイプである。 この基準で言うと、紛うことなきヒトデナシである。このロクデナシ。 (よくあることだからこその言説かもしれんが) それはそれとして、自分が実際に「ありがとう」を使う時はどんな時か、というのを考えてみよう。 (※なんとまあ、ありきたりなテーマでありますが、自分の整理のために書いています。内容の重複などはご容赦ください) 自分では「自分が

          私はなぜ「ありがとう」が苦手なのか

          昔の友人達に会いに行きます

          「走らせている人」の話を知っている方もいるだろう。 私もかつて、「走らせている人」の一人だった。 隣県へ向かう電車に乗る時、当時夢中になったゲーム「ドラゴンクエストモンスターズ」の手持ちパーティの彼ら(ミミック、ふゆうじゅ、ゾーマ)に、外の景色を走って貰っていた。 ゲームのシステム上、どのようなモンスターも「すばやさ」をMAX(このゲームでの最大値は511だ)に出来るゲームなので、ごく自然に走ったり跳ねたりさせていた。彼らなら当たり前に出来ることだ(と思い込んでいた)。息

          昔の友人達に会いに行きます