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あてなるもの・バニラアイスの天婦羅

1月7日。姪と一年半ぶりに会って食事しました。伊勢丹デパート内の老舗天婦羅や。空気清浄機が2台置いてあって、座席も一つごとに空けてあり、立派なパーティションがテーブルに置かれていました。

何よりも、熱いお茶を絶えず入れてくれ、そのお茶の美味しいこと。2リットルぐらい飲んでしまったような気がします。

姪はとても優しくて気前が良くて、会うといつも奢ってくれる!娘より私に優しいのです!私の愚痴を嫌がりもせずお説教もせず、「うんうん、分かる~」と共感して聞いてくれるのです。 

時の経つのも忘れ、おしゃべりしました。

最後にデザートを頼みました。さすが天婦羅や。なんと「バニラアイスの天婦羅」です。最初は聞き間違ったのかと思いました。

白い皿に載って出てきたのは、おお、バニラアイスが天婦羅の衣を着ている!アイスの濃厚さがたまらなく贅沢で、衣は天婦羅というより繊細な金色の「サクサク菓子」のようでした。

枕草子40段に「あてなるもの」というエッセイがあります。今では消えた言葉ですが、「あてなるもの」というのは「上品で繊細で美しいもの」という感じでしょうか。

この段はかき氷について初めて書かれている文として貴重な資料でもあります。清少納言は「上品で繊細でうつくしいもの」の中に「削り氷に甘蔓(あまづら)入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる」と挙げています。

氷も甘味料も超高価な時代、氷は天皇が家臣に配るものでした。ごく一部の貴族しか甘汁をかけた削り氷なんか食べられなかったのです。

氷室から役人によって取り出された氷を削って、甘蔓を煎じた汁をかけ、金属のお椀に入れたもの。高貴で繊細で優美でこの世のものとも思えないほど美味しかったでしょうね。

今では、かき氷は安いのなら100円で買える!

氷菓子の見た目の繊細さ、上品さ、高貴さを清少納言は「あてなるもの」として書き残してくれたのです。氷を口に入れたときの感動も大きかったでしょうね。食べることは卑しいことで、食べ物のことなど書くのは下品だと思われていた時代に、清少納言はけっこう食べ物のことを書いています。お茶漬けのない時代の、「湯漬け」のこととか。

美味しいものを目で味わい、それから口にいれるときの幸せ感は千年前も今も変わらないのですね。

清少納言の時代は金属のお椀が最高に贅沢で、陶器はまだありませんが、私たちは真っ白な陶器のお皿で食べました。

なんだか、平安時代の貴族になったような気分で店を出ました。とっても幸せな一日でした。生きる悦びというのはこんなときの感覚ではないでしょうか。

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布tenpura koromo 

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