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わたしが出会った判事たち -8-
土手(2)
まだ三十歳代の妻は「人生をやり直したい。養育費も何も要らない、ただ離婚さえしてくれれば」と調停に持ち込んだものの、経済的理由で代理人をつけていない。
双方、方代理人なし.片方が精神的にちょっと病んでいるという、もっとも難しいケース。
わたしたち委員に事案が配分されるまでに、裁判所でかなり事前聞き取りや調査、その他いろいろな調整はしていたと思う。
わたしは与えられた範囲の仕事を誠心誠意やるだけだ。
男性からの聴取を終えた後、判事はつぶやいた。
「調停を長引かせても、妻子の人生が過酷になるだけじゃないかな。センセイ方、どう思いますか」
「裁判で早めに決着をつけたほうがいいと思います」
わたしたち委員は同じ考えだった。
裁判のほうが早く決着できるかどうかは確定的ではないが、無駄な話し合いを重ねるよりいいかも知れない。
帰り道、判事はうとうとしている。疲れたのだろう。
調停委員会で決定するといっても、最終決定するのは判事だ。ある意味、事務的に割り切らないと自分の方が病んでしまう。
調停は『点』の解決しかできない。『線』ではないのだ。それは医者も学校の先生も同じだと思う。
人生の『線』を描くのはその人自身しかいない。
人は自分で自分の人生を背負って生きるしかないのだ。
判事がやおら顔を上げ、わたしに、
「調停不成立ということでいいですかね」
「いいと思います」
「理由は?」
「このままでは三人共倒れになります。妻だけでも自由になれば、福祉の手を借りて道が開けると思います」
「……」
判事さんは何も言わなかった。すぐまた寝てしまったようだ。
裁判所に帰ると、女性の書記官が玄関に立っていた。
「先生方が交通事故に遭わないようにとそれだけを祈っていました。ご無事に帰ってきてほっとしました」
書記官はほんとうに嬉しそうだった。その嬉しそうな顔が私にはとても嬉しかった。
誰かに気にかけられていること、心配されていることほど嬉しいことはない。嬉しさを胸にトイレに駆け込む。振り返ると、今までトイレ休憩はなかったのだ!
それから半年ほど。K判事は裁判所から消えた。転勤でも、弁護士転身でもないらしい。
仕事を溜めすぎてノイローゼになったらしい、という噂も耳にしたが、事実かどうかは分からない。
K判事がこの家裁に在籍したのは二年もなかったか。一緒に組んで仕事をしたのは数回。それも遺産分割がほとんどで、それもまだ未終了。夫婦間調停は苦手なようだと言う人もいたが、実際はどうなのか……。
初めてで最後だった現地調停。
あの日、青々とした土手を登ったり下りたりしていた判事の姿は今も脳裏に焼き付いている。
日差しは強く、土手は太い緑の線のようにどこまでも続いていた。