掌の物語 ショッピング・モール(1)
秋の薔薇
由紀子は毎朝ショッピング・モールまで歩く。往復で7000歩。良い運動だ。
毎日違う服を着て、おしゃれなウォーキングシューズを履いている。誰が見ているわけでもないが、誰かが見ているかもしれないから、小綺麗なレディーでいたい。外国映画に登場するような……。
レスト・コーナーで水筒の麦茶を飲む。たぶん、近くの老人施設の一団だろう。車椅子の集団がやって来た。スタッフに引率され、大きなピカピカの通路を移動する。地味な灰色の集団。
あの人たち、赤とか緑とかきれいな色のセーターを着ればいいのに……。由紀子は自分も老人だとは思いたくなかった。自分は永遠のレディ、そう思いたい。たとえ錯覚であっても。
食料品売り場でピーマンとトマトを買う。赤と緑って食欲出るのよね、と自分に語りかけながら。
9時、二階の衣料品スーパーが開く。2階に行く。散策しているうちに10時、専門店街のシャッターが開く。シャッターの前で待っていた人達が吸い込まれるように流れ込む。由紀子も流れの一滴になる。
広くて清潔なトイレ、大きな通路に並ぶ夢あふれる出店の群れ。洋服店、電気店など見て、最後にペット・ショップへ。いつも目と目を合わせてお話していた50万円の猫がいない。「お里が決まりまして」スタッフがこぼれる笑みで言った。由紀子はほっとした。でも少し寂しい。
そんな朝のひと時。
帰り道、思い切り夫の悪口を心の中で叫ぶ。怒鳴る以外に会話能力なし、性格は意固地、おまけに顔も悪いよ。ごめんね、ちょっと言い過ぎて。心の中で謝る。
でもまだ言わせてよ。あなたのいない空間があるから深呼吸できるのよ。生きてゆけるのよ。なんて素敵なショッピング・モール!私の素敵な空間、私の別荘ーー。心の中で叫んですっきりする。
帰りには小さな公園の片隅の古びたお稲荷さんに寄ってお祈りする。どうか、あの人がおとなしくしてくれますように……
だが、家に入るといつものがなり声。どこをうろついているんだー。戸締りもしないでー。変な奴がうろついていたぞーー。
由紀子は応えない。今朝、電気店で応対してくれた若い男性を思い出していた。優しい表情、穏やかな物腰、柔らかな笑み、おしゃれな靴ですね、と褒めてくれた。ハンサムで、声が綺麗で、背がすらりとして……。
生まれ変わったら、絶対、あんな男性と結婚しよう!
いつか夫は死ぬ。私より年上だから多分私より先に。でも案外順番が狂うかも。ま、いいや。私が残ることにしよう。
独りになったら何しよう。あの電気店で働きたいけど雇ってくれるかな。彼、いつまであそこにいてくれるだろう。
私、電気製品選ぶセンスあるし、高齢者に良いアドバイス出来ると思うなあ。一応、履歴書準備しておこうかな。いつ、何が、どうなるか。人生は分からないから。
そう思いながら、いつしか由紀子は遠い昔、ほんの少し付き合った彼の顔を思い浮かべていた。優しい、穏やかな人だった。たぶん、今も……。
由紀子はお茶を淹れる。突然、涙があふれてきた。