「思ひ・思はる」枕草子
前回の記事で、定子中宮さまが清少納言に「思ふべしや いなや 人 第一ならずはいかに」と問う段を取り上げました。(97段 御方々・君達)
「思ふ」の訳を私は「愛する」としましたが、もちろん、当時は「愛する」という言葉はありません。
「思ふ」の意味はとても幅広いのです。男女の愛にも使いますが、主君が家臣を「寵愛する」「鍾愛する」。また、男女間を問わず「敬愛する」「慕う」「優しくする」「いたわる」にも使われます。
古典文学全集では「かわいがるのがよいか それともいやか。人に一番に愛されているのではないというのはどうなのか」と訳されています。
他の段でも定子が清少納言に「われをば思ふや」(177段・宮に初めて参りたるころ)と問う場面があります。学者によって「私を大事に思うか」「私を想うか」などいろいろです。「お前は私を主君として認めるか」という訳もあります。(小林としこ『ひめぎみ考』笠間書院)。私はこの訳が一番定子の心情に近いと思います。
小林氏は同書の中で次のように述べています。
「定子の世界への参加は主催者定子と配下を生きる清少納言との人格の出会いなのだった。定子という人間の人格、存在を評価するかどうかの問題だったように思える(略)それは主従関係ではなく、損得の利益による結びつきでもなく、宮廷の女たちによる≪みやびなるもの≫を共に担うという共生感覚であった。その関係の基盤になるものが「思ふ」「思はる」というものであった。」
前回紹介した段は定子の気概を表した段として有名ですが、枕草子の根底に流れるテーマは「思い・思はる」なのです。
山本淳子氏は『枕草子のたくらみ』(朝日新聞社)の中でこう記しています。
「定子の行動には、マニッシュでかっこいいところがあるのだ。マニッシュと言えば、漢詩文の教養をもっていたことがまさにそれに当たる。当時、漢詩文は男性のみがたしなむ教養と考えられていたからだ。
だが定子は軽々とそのバーを越え、日常生活の中で漢詩文を楽しんだ。女房に対するリーダーシップといい、いったいこのような「男前」な性質はどこからやってきたものなのか。(略)」
長々と他人様の説を引用しましたが、私も「男前」な女性が大好きです!
どれほど清少納言が主君定子を敬い崇めていたか、清少納言にとって女神であったか。また定子がいかに清少納言の才能を評価していたか。
それが分かった時、枕草子は「千年前のわけのわからない文」から、生き生きと輝く、今を「生きる花」になるのです。