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haruka460
古典の『色』
古典では『色』という言葉が様々な意味合いで使われている。
私たちは単純に『カラー』と理解している場合が多いが。
古の人たちがどういう状況で『色』という表現をしたかは
様々な古典を読むしかない。
『古今序』には
「今の世の中、色につき、人の心、花になりけるにより」とあるが
この場合は「世の中が華美になった」という意味らしい。
「らしい」というのは、私たちは推測するしかないから……。
序文のなかの
「色好みの家」という表現に関しては
私たちが理解することはなかなか難しい。
古典の世界では
「色好み』は「多情多感な人』のことで。
平安時代の貴族たちにとっては
価値ある感覚である。
古今序の場合、
「情趣を理解する人」という意味ではないか。
現代においては
「あなた、色好みね」など言われたら
怒るだろうが。
一条天皇の皇后、定子皇后の絶唱
「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき」
この場合の「色」はどう訳したらいいのか。
私の勝手な訳だが
「私は帝と一晩中愛し合ったことを忘れないよ。
帝が愛しくて愛しくて流した私の涙の色、
ああ、どんな色かなあ」
当時、オトコ言葉、オンナ言葉に厳密な区別はない、
言葉の性別が厳しくなったのは江戸時代以降から。
だからこういう雰囲気で訳しました。
小野小町の
「花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに」
かつては
絶世の美女小野小町が
自分の美貌の衰えを嘆いた歌と解釈されていたが
最近は多くの研究者により
「慕っていた帝の世がうつろっていった。私が物思いにふけっていた間に」と「恋していた帝への思慕を」
を歌ったと解釈されることが多い。
「色」という言葉には奥深い歴史がある。
終わり