私の令和枕草子(2)
やがて自分はどこかで一人住まいするのではないか。なぜかそんな気がする。
小野小町も紫式部も清少納言も「才ある女は老残をさらして野垂れ死に」と中世から明治時代のオトコ学者には散々冷笑されてきた。
オンナは、隠遁して一人暮らしをすると、「老残の晩年」と言われる。
華やかな場を離れるオトコは「隠者」だ「世捨て人」だ「オトコのロマン」だと称揚されるのに。
私は才女ではないから「才女の行く末はろくなことはない」と言われる資格はない。安心して「老いの生き方」を選べるってこと。選べるということは贅沢な夢だ。大方の人は選ぶことさえ出来ない。
夢は途方もなく大きくもちたい。
都心に大邸宅を造って、いろいろなワケありオンナたちが安心して自由に暮らせる場とする。
私自身は、下町っぽい所の可愛いマンションの一室で暮らしてみたい。
大工仕事も草刈も出来ない私には田舎生活は無理。やっぱり町に住みたい。
ほどほど隣近所と付き合いがあって、ほどほど、お洒落な店もあって、激安の八百屋さんまで徒歩で行ける。
娘達と同居しようとは思わない。大きな家があるわけじゃなし、それぞれ自分たちの生活がある。私の母は95歳まで一人暮らしをした。あなたたちに迷惑をかけたくない、と。
一時、関西の長男の家に行ったが、長男の妻が疲労で寝込んでしまって、また帰ってきた。
そんな経緯もある。だから、私も出来る限り自立して暮らしたい。
一週間に一度は都内の大邸宅「オンナたちの自由な家」に足を運び、そこの主として君臨する。
そんな暮らし、いいなあ……。
見果てぬ夢をかなえるには宝くじしかない。今日も宝くじを買う。一億円当たらないかなあ。でも、今までで最高千円、トホホ(ー_ー)!!
一億当たったら、私、夢をかなえるぞ。
清少納言は枕草子に家のことを沢山書いている。
「荒れたる家の蓬深く」(3巻本・1本25)は、現実の清少納言晩年の家だったか、こんな家に晩年住みたいという仙人みたいな夢だったのか。
現代もオンナたちは、それぞれ、晩年の家を夢見ていると思う。それが老人ホームであれ、豪邸であれ、一人暮らしであれ、大勢暮らしであれ……。