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「もの食ふ」枕草子⑤

八十段「里にまかでたるに」に、布(め)がユニークな形で登場します。布(め)というのはワカメとかアラメとか食用になる海藻の総称です。

父関白が亡くなって後、道長によって兄と弟を政権から叩き落され、不遇の中宮定子。逆風の中、女房達の切り崩し工作も進み、清少納言は道長方のスパイとあらぬ噂を立てられ、里に身を隠します。

そこへ離婚した夫則光が尋ねて来たシーン。二人は離婚後も「兄ちゃんよ」「妹よ」と呼び合い、仲良く付き合っていました。定子さまも周りの女房達も温かく見守っている。

則光は元妻清少納言の評判を高めるために、いじらしいほど努力努力、尽くして、駆け回っているんです!
枕草子の登場男性の中で断トツのオトコ、オトコの中のオトコ~

則光は清少納言を慰めようと里に訪ねてきました。
「いもうとのあらむ所、さりとも知らぬやうあらじ。言え」といみじう問ひたまひしに、さらに知らぬよしを申ししに(略)」
(皆がね、君の居場所を教えろ、知っているはずだと責めるんだ。でも、全然知らないって言ったよ、ボク)

ほんとうは知っているのに、知らないと言い張るのはとても、つらかった、と正直者の則光は告白します。嘘がつけない性格で、顔に出てしまうタイプなんですね。
則光は、ウソを突き通せないで笑い出しそうになるのをこらえるために、

「台盤の上に布(め)のありしを、取りて、ただ食ひに食ひまぎらわしかば、中間(ちゅうげん)にあやしの食ひものやと、見けむかし(略)
(笑い出しそうになってさ、食卓の上に海藻があったのを見つけて、ひたすら食べてこらえていたから、中途半端な時間に妙なものを食ふもんだ、と、周りの男たちも思っただろうな)

清少納言は、「よくやった!これからも絶対に私の居場所を言わないでよ」と言いました。離婚した夫婦が同じ職場で仲良く付き合っている、周囲もそれを認めている。さすが、平安時代。今なら、あれこれ言われてどちらかが会社を辞めるでしょうね。

それからも則光は「いもうとのあり所申せ」と責めたてられるので、清少納言に助けを求めます。
「いかに、仰せにしたがはむ」
(どうしましょう。お言いつけに従います)
清少納言はその返事に海藻を一寸ばかり紙に包んで送ります。あの時、海藻を食べてごまかしたように、これからも言っちゃダメ、というシグナルだったのですが……。

その方面は鈍い則光、後日、訪ねてきて、
「なんであんなへんてこりんな物送ってきたんだい?何か間違って送ったのかと思ったよ」

清少納言はがっかりします。いい人だけどこの鈍さが嫌で別れたのよ~
すぐに和歌で返事をしました。

かづきするあまのすみかをそことだにゆめいうなとやめを食はせけむ
(海にもぐる海女のように身を隠しているんだから、私の居所は絶対言うなという意味で海藻を送ったのに。分からなかった?)

その場でその和歌を差し出すと則光は
「歌よませたまへるか。さらに見はべらじ」とて、扇を返して逃げていぬ。
(歌をお詠みになったの?やだ、やだ、歌は大嫌い。絶対に見ないよ、と扇で歌を書いた紙を吹き返して逃げ出した……。

そして、二人の仲はこれっきりになりました。
その後、則光は出世。遠江の介(とほたあふみのすけ)という今の静岡県のの要職に就いて行ってしまいました。

海藻の歌を詠まなかったら、則光との付き合いは続いていたのに……
そんな後悔があったのではないでしょうか。
海藻を食べるたびに、しょっぱい涙をこぼしたのではないでしょうか。
三度結婚したと思われる清少納言。本当に好きだったのは則光だったのではないでしょうか。則光は他の段にもたくさん登場します。
清少納言は文系、則光は体育系。
感性は合わなかったけれど、引き合っていたのですね。

平安時代、海藻はとても貴重な食べ物でした。汁物に入れたり、茹でて酢を付けて食べたりしたようです。この段では、乾燥しておやつのようにぼりぼり食べるものだったのでしょう。


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