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パッション・ある出会いから得たもの

公民館での仕事は、遠い所、朝の講座、高齢者学級の一コマ、そんなのはすべて断った。安い謝礼、大変な準備、暇つぶしに講座に出席する暇そうな高齢者たち。もううんざり。
ある日、遠い地区の公民館から依頼の電話がきた。「すみませんが、遠い所はやりません」。たいていは「ああ、そうですか」それで終わりだった。
しかし、その担当者は「K駅まで車でお迎えに行きます」「……たった一回の講座で、マイナンバーとか写真付きの身分証明書とか山ほど提出させられるのにはうんざりしました。手取り数千円にしかならないのに、そこまで仰々しく書類を出させる市の感覚もいやなんです」私はなぜか、本音を言ってしまった。
気を悪くしただろうな。職員の責任ではないのに……後悔した。
しかし、電話の向こうの女性は「わかります。その気持ち。私もいつも講師の方に申し訳ないと思っています。実際、それが嫌で、やらないと言われたこともあります。ほんとうに講師の方の立場にもなるべきだと私も思っているのです。でも、受講生は先生の講座を受けたいと思っていらっしゃいます。待遇も悪いし、朝から遠くまでいらっしゃるのは本当に大変なことです。でも、私も先生の授業を聞きたいのです。車でS,という職員がお迎えに行きます。みんなが楽しみに待っているのです」
気が付いたら私は引き受けていた。
ああ、朝、洗濯を済ませて、ご飯を大急ぎで食べて、30分に一本のバスに乗らなければならない。なんで引き受けたのだろう……。
重い気分でその日を迎えた。
約束通り赤いバッグをもって立っていると、白い車が止まり女性が下りてきた。それがSさんとの出会いだった。
彼女は言った。
「私は『公民館・命』なんです。この仕事、遣り甲斐があります。地元の人たちへ、高いお金払わなくても知識を得る機会を与えられる。講座がきっかけで『防災クラブ』ができたり、近所に住んでいる外国人のための、『助け合いクラブ』ができたり。私、公民館の仕事にパッションをもっているのです」
私は彼女の話の虜になってしまった。
館に着くと館長の女性が言った。「5年ぐらい前、別の公民館で先生の仕事お願いしました。その講義が忘れられなくて、何が何でももう一度お会いしたいと推薦したのです。先生あの頃と変わらずお元気そうで嬉しいです」
心から私を待っていてくれたことが分かった。
私の後悔はすっかり消えていた。
授業はエネルギッシュに出来た。Sさんの「私はこの仕事にパッションをもっている」という言葉が、私をかつての私に連れ戻してくれたのだ。
帰りはまたSさんが車で送ってくれた。
「私が結局引き受けてしまったのは、皆さんのパッションが通じたのですね」私が言うと、
「そう言っていただいて嬉しいです。お金とか損得を考えたら全くわりに合わない仕事ですよね、お互いに」と彼女は笑って、
「でも、コツコツと社会の底辺を変えてゆく大事な仕事だと思うのです。公民館というのは。地域の人が心を合わせることもできる。カルチャースクールに行くようなお金がなくても、素晴らしい授業が受けられる。それが世の中を変えてゆくのです。枕草子の授業は世界の平和にもつながっているのです。千年前の文というだけではない、今のウクライナやロシアの問題にも繋がっている。講義を聞いていてそう思いました」
私が思っていたことを彼女も思っていたんだ……
彼女は続けた。
「体が弱くならないうちにと仕事を辞める人って沢山いますよね。それも一つの生き方だけど、80過ぎても90過ぎても、仕事にしがみついて死に物狂いで仕事やってる人の生き方が好きなんです。先生、絶対、やめないで。100歳までも講座続けてください。私、そういう人にパッションを感じるのです。人を動かすのは結局年齢でも体力でもなくパッションだと思います」
私は彼女の言葉に聞きほれてしまった。
今ではやめることだけ考えるようになっていた。わりに合わない仕事なんかしたくない。何もしないのが一番得だ。税金もとられないし、給付金ももらえる。なまじ働くと介護保険から医療費まで高くなって 損する……。
そんな後ろ向きの発想ばかりしていた。
私もかつては、たぶん、パッションをもっていた。
ほんとうに、もう、あの言葉は忘れていた。それを、もう就職した子供がいるという女性の「生の言葉」で聞いた。

車を下り、手を振って別れながら、私は生き生きとしたものに全身が満たされているのを感じた。
年取ると、妙に計算高くなり、損することはするまいと思うようになる。それはそれで仕方のないことだが、今一度、「パッション」という言葉を自分の中に取り戻そう。
キラキラ輝くあの言葉を…….
人が人を動かすのは、損得ではない、その人がある仕事にとてつもないパッションを持っていると思ったとき、自分も損得抜きに、この人のために動きたいと思う。
私は、あの公民館のスタッフたちのパッションに動かされてこの仕事を引き受けたのだ。縁だったのだ。

素晴らしいひと時をプレゼントしてもらった佳き日だった。


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