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病院の怪談  ①

「あの病院には幽霊が出ると思わない?」
突然、幸子が声をひそめ、身を乗り出した。
「思う……」
百合子も声をひそめる。幸子は辺りを見回し、いっそう声をひそめ、
「入院した私たちだから分かるのよね。言うと笑われるか馬鹿にされると思っていて言わなかったけど」

二人は同じ病室の手術予定患者だった。百合子は70代、幸子は60代、年齢は少し離れていたが、何となく気が合った。電話番号を教えあったが、手術後、互いにどうなったかも分からないまま、それきりで終わった。

手術が終わって3年目、幸子から突然電話があり、喫茶店で二人だけの遅ればせながらの快気祝いをすることになったのだ。

幸子が口を開いた。
「あの時のこと、今頃、急にリアルに思い出したの。一日目、集中治療室に入っていたとき」
幸子は辺りを見回し、
「時計もないし、看護師さんんもいないし、体に管付けられてほったらかし。夜か昼か分からなくて不安なまま目を閉じていたら」
百合子は心の中でつぶやいた。
(私も同じ……)
幸子の微かな声が、
「天井から声が聞えたの。絶対に幻聴ではなかった。信じてくれる?」
「信じる。私も後で話わ。で、声が?」
「もしかしてここはあの世であの世の声を聞いてるのかなと思った。子供の声だった。楽しそうに笑ったり、お喋りしていた。ほんとうに楽しそうな声。あの世がこんな所なら。あの世も良い所だとふと思ったわ。でも目を開けるのは、なぜか怖くてずっと目を閉じてた」
幸子はコーヒーカップを口に一口飲むと、遠くを見るまなざしになった。
「天井の子どもたちは駆け回っていた。足音がね、聞こえて、私の横まで下りて来たの。そして、おばちゃん、もう朝だよって誰かが笑いながら言った、ほんとよ」
「信じるわ。で、幾つぐらいの声だった?」
「幼稚園生ぐらいかな。子どもたちの足音はだんだんと遠くなった。私は眠り込んだのか、しばらくして目を開けたら、看護師さんが体温計持って横にたっていたわ。喉が渇いてたまらなかったから、水を飲ませてください、と言ったけど無視された」
「いくら忙しくても冷たいよね」
「老人間際のおばさんはあの世が近いから適当に世話しておけばいいって思ってたのよ、多分」
「60代はまだまだ若いわよ。私なんか後期高齢者。下の世話、男性にされたわ。70過ぎると恥ずかしいという感情なんかないと思われてるのよ。今思い出してもめっちゃくちゃ腹がたつ」
「若い患者にはきっと親切にするでしょうけどね」
「先が長いから世話のし甲斐があるのよ」
「仕方ないよね、それは。で、そのまま目をつぶって唾で唇を湿しながらまた寝ちゃった。そしたら、また天井で子どもたちの声がして……でも見たら悪いような気がして目を閉じていたら」
幸子は唾を呑み込んでから、
「誰かの手が私の唇に湿った紙のようなものを当てた。本当においしい水だった」
「それ、看護師さんじゃない?」
「絶対に違う。子供の手だった。3人ぐらい立っていた。私の横に」
「……」
百合子は胸がどきどきした。自分も全く同じ体験をしたのだ。

「後で知ったけど、あの病院、昔、バラックの緊急小児病棟が建てられた所だって。何十年か前、小児麻痺が世界中で大流行して、薬が足りなくなった。日本では治療薬もなくて、歩けなくなったり、死んだ子がたくさんいたんだって」
「私もその話、病院の掃除婦さんから聞いた。年取った掃除婦さんだから、本当にその頃を知っていたみたい」
「で、あの病院には死んだ子どもの魂が走り回っていて、霊感の強い人だけが、あの子たちの話し声や足音を聞けるんだって、やっぱリあそこに入院したことのある人から聞いたけど」
「私も聞いた……」
「あの子たち、私に会いに来てくれたのよ。それで、自分の代わりに私を生かしてくれた。そんな気がする。あの楽しそうな声と、私の唇に触った小さな手の感触、絶対、幻覚じゃない」

二人はしばらく無言で向かい合っていた。

「私もね……」
百合子は口を開いた。

                              続く


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