掌の物語 ショッピングモール(4)
空がある限り
「今まで頑張っていただいたけど、今年いっぱいで閉校ということに」塾長夫人の静かな声に美香は呆然と立ちすくんだ。いずれこの日が来るとは思っていた。落ちこぼれ対象の小さな個人塾。親切な塾長夫婦の人柄で大勢の子供たちが来てくれた。小さな塾のほうがいい、と言ってくれる保護者も多かった。
だが、コロナでみるみる生徒は減っていった。マンションの2室を使っての塾は家賃も払えなくなっていった。
「先生は実力があるから、必ず違う塾に勤められますよ」塾長は笑みを浮かべた。部屋に静けさが流れてゆく。
これからどうしよう。
美香は重い足取りでマンションを出た。苗字が変わった自分を何も言わず続けて働かせてくれた。時給の高い6年生の担当にしてくれた。時々、おじょうさんに、とおやつを持たせてくれた。クリスマスの日には、授業の後、塾長夫人が自分とユリをイタリア料理店に連れて行ってくれた。
贅沢は言わない。ここで働きたかった……。
目の前が暗くなる。あちこちの学習塾やお稽古事の塾が閉鎖されている今、働き口など見つかるはずもない。
でも少しでも稼がないとユリにおしゃれな服を買ってあげられない。英会話学校にも行かせられない。コロナが収まったら旅行に行くと約束していたのにそれも……。
シングルマザーにはほんの少しも贅沢を楽しむ権利はないのか。シングルマザーの子供はビンボー人らしく生きてゆけ、ということか。いまどきは子供を育てるのに本当にお金がかかる。
離婚した私が間違っていたのだろうか……。
違う。私とユリだけでも借金地獄から逃げ出さないと、全員共倒れになる。だから……。
日曜日、美香はユリと20分ほど歩いていつものショッピングモールに行った。車は手放した。1時間に1本のバスを待つぐらいなら歩いたほうがいい。
「このあいだ、二階で見たあの服、買って」「いいよ」「スカートの下が透け透けになってヒラヒラしてるの、今、流行ってるんだ。流行遅れの服を着てると馬鹿にされるもん」「そうかあ……」
なけなしのお金の中から8千円出して服を買った。6年生だもの。おしゃれしたいだろうし。
ランチは3階のセルフサービス式イート・スペースで。ユリにはカツサンドとチョコレートパフェを。美香は紙コップのコーヒーだけ。
「ママ、それだけ?」「ダイエットしてるから」「ダイエットしなくてもスタイル良いよ。それにさ、けっこう、美人だし」「イエーイ!」
美香は急に泣きたくなった。これから仕事がみつからなかったらどうしよう。この程度のランチさえ、楽しめなくなったら……。
ここで雇ってもらえないかしら。映画館もあるし、クリーニング屋も入っている。私のできることがあるかも知れない。でも、私は子供に算数や英語を教える仕事をしたい……。
新しいワンピースを買ってもらって上機嫌のユリに無理して合わせ、学校の話とか運動会がどうなるかなど話しながら、モールを出た。
「なんか、外、暑いね」「ママ、ちょっとマスク外していい?」「ここならいいんじゃない?」
空は真っ青に晴れ上がっている。
何とかなる。空がある限り生きてゆける。まだ39歳、トイレ掃除だって、草むしりだってできる。何だって出来る……。
美香は腹に力を入れた。