娘に言われてブログを書いてみた!専業主婦だった私が20万部作家になれたわけ
草野かおるです。防災士でイラストレーターをやっています。
先日、一人暮らしの子どもを応援する母親目線の料理の本が完成しました
12月10日発売の「激せまキッチンで楽ウマごはん」
この本は、ひとり暮らしの次女の食生活改善を目指して、企画・執筆した本です。最新刊の本の帯にには、「著者累計20万部突破」と記されています。
正直嬉しいような、照れくさいような、誇らしいような複雑な気持ちです。共著や改訂版を加えると「激せまキッチンで楽ウマごはん」で7冊目の新刊。海外翻訳本を加えると11冊目の新刊です。
誰でもチャンスが作れる時代。50代で作家デビューした話が励みになると、嬉しいです。
3.11、東日本大震災の2011年まで、私は普通の主婦でした、子育てをしつつ、自営の夫の仕事を手伝い、たまにパートに出てみては挫折するという、どちらかというと、ダメな主婦の部類でしたでした。そこは、今も変わりませんが。
当時、住んでいた団地で、自治会の広報をお手伝いしていました。
そこは団地なので、エレベーターの中に「自治会からのお知らせ」を張り出していました。
エレベーターの中に乗っている時間はせいぜい数分。文字ばかりのお知らせなんて、正直誰も見ません。
そこで、マンガやイラストで、壁新聞を描きました。これが、「すぐわかる4コマ」の原点につながっています。
「防災訓練のお知らせ」「困った事がありました」「集金があります」団地内のトラブルを「マンガ」にすると、表現も柔らかくてなり、評判も良かったです。絵には自信はなかったのですが、私のイラストが地域の中で役に立ってる事が何よりも嬉しかったです。
インターネットに疎かった私がブロガーデビュー
そんな中、2011年「東日本大震災」が起こったのでした。
毎日のように、テレビ、新聞など様々なメディアで防災に関する知識が流れてきました。
地域の防災会などは参加していものの、今までに聞いた事のない情報も沢山ありましたし、経験者ならではの生きた情報にふれることができました。そんな情報もその時は「なるほど、わたしもやらなきゃ」と思うのですが、2,3日経つとすぐに忘れてしまうのです。
で・・あれはどうだっけっな・・
役に立つ情報もどんどん沢山流れて来るのに、どんどん忘れて行く事の繰りかえしなんですよね。これではいけないだと思い、新聞雑誌は切り抜きスクラップしたのですが、テレビの情報は流れてしまいますので、イラストでどんどんメモをとることにしました。
流れて来る情報の中には、震災前に知っておくべきだった事とかも多く、これは、自分なりにまとめておくと役に立つと思いでひたすら書いていました。
その「マンガ防災」を当時大学生だった長女に見せて
「PTAの防災訓練とかに使えそうじゃない?」と私。
すると娘は予想外のことを口にしました。
「いいじゃん、ネットに載せれば?みんなに見てもらえるし。」
その発想はなかった!と思いつつも、早速、新宿の紀伊国屋にいき、ブログ入門の本を買い、生まれて初めて個人でブログを開設しました。
大事な事は、すぐ動く事ですね!
20作くらい描きためて、毎日かかさず更新していました。地震のあととはいえ、そこまでアクセス数は伸びませんでしたが、娘もツイッターで、宣伝してくれて、時事ネタを絡めた時には予想以上にアクセス数が伸びて、反応や感想があるのが嬉しく、やりがいが有りました。ブログを初めてからわずか10日後、奇跡のような事がおきました。
「ブログを書籍化しませんか?」という一通のメール。
早速、メールのくれた方と、喫茶店で会うことになりました。
「そんなうまい話あるの? ママ、騙されているのかも。」って、心配した大学生の娘も一緒について来てくれました。(どっちが保護者か?笑)
メールをくれた方は、フリーの編集者・出版プロデューサーの洋子さんと言います。
(※ もちろん、詐欺ではありません)
洋子さんは自身も震災支援ボランティアをやっていて、東北に炊き出しに行くのに、情報を集めていたところ、わたしのブログを偶然見つけたということでした。
当時、ラフを含め25作品ぐらいしかなかった私ですが、
『がんばれば、100作品ぐらいは描けるかな・・・・』と心の中で算段していました。
そこで「100本くらいネタあります」って見栄を張ったのです。
そうしたら、あっさりと洋子さん。「本にするとなると、情報がたくさんある方がいいから、200本くらいに増やしてください」
『ネタを200本 !?・・想定外の量だ〜!』ビビりました。
ここで「できません」「無理!」って言えば、チャンスはなくなる
今まで3日間かけて1本描いていたのに、いきなり200本って言われても・・。
最速で1日4作描けたら。30日で120作、60日で240作・・・出来るかも
強引な計算の仕方で、顔面が引きつらせながら「200本用意します」宣言しました。
無謀ですが、人間、時には「無謀」にならないとコトは進まないものです。
それから、朝、4時起きで、だいたい夜中まで、睡眠時間4時間くらいで描いて描いて描きまくりました。
ネタは、テレビ、新聞、インターネット、消防署、役所のホームページや、実際被災した友人の話、個人ブログなんかも参考にしました。
ネット上には被災のリアルが結構あるわけで、洋子さんも被災地に炊き出しのボランティアをやっているので、マスコミには出ない、生々しい話も聞かせて頂きました。
2、3か月で、230本くらい描きました。おそらく50数年いきてきた人生の中でも、もっとも頑張った時かも知れません。あの時は、日本中に将来の不安、地震や原発の恐怖が渦巻いていたので、ある意味、集中できることがあってよかったかもしれません。
洋子さんはその間、せっせと出版社に営業してくれてましたが、なかなか版元が決まりませんでした。当然ですよね、無名の素人おばさんの本の企画なんて、多くの出版社に門前払いされました。それでも、最終的に「ディスカヴァー・トゥエンティワン」さんからの、出版が決まりました!
震災の年の、9月1日防災の日、53歳の主婦は、「4コマですぐわかるみんなの防災ハンドブック」で、一生に一度の夢のような「著者デビュー」させていただきました。
その後「4コマですぐわかるみんなの防災ハンドブック」は増刷、改訂版、翻訳本と、息の長い本になってくれました。この本をきっかけに防災士の資格もとりました!
今、私が本を出すまでのやり方を簡単に説明します。
誰(読者)に向かっているか、役に立つか、それはオリジナルのアイデイアか、表現かどうかをひとつひとつ見極めながら考えます。
本になった時を妄想をして、本1冊分のラフ原稿を描く。
たたき台になる「本1冊分のラフ原稿」というのが、大切です。量にして150ページから200ページ分です。
それから、企画書を作り、出版社に断わられながらも、出版にこぎつけます。だから、ボツになっている、ラフ原稿もたくさんありますよ。
本を出したい人はたくさんいますが、多くの人が、原稿を最後まで書いていません。中には、企画書だけだったり、1ページも書いてなかったり。やる気があっても、具体的に形にしたものがなければ、会議にもかかりません。
今回出版した「激せまキッチン」もラフを描いてから、本になるまで2年以上かかりました。
現在61歳。いまだ、作家としては半人前ですが、夢とやる気で、本気でベストセラー作家を目指しています。
洋子さんは、原稿のチェック、アイデイア、売り込み、交渉ごとを任せられるので、頼もしいパートナーで、いまは私のマネージャーです。
今の時代、どこにいてもやる気と根気があれば、なにかしらチャンスは訪れます。年齢も住んでいる場所も関係ありません。私も半径100メートル圏内のみ活動から、ブログ、書籍を通して全国、アジアの国まで活動範囲が広がりました。
「すぐ動く、無謀なことでもやってみる」
「チャンスが来たときのために準備しておく」
noteを観ているみなさんは、既に始めている人も多いかもしれませんが、好きなことがあれば、趣味でもいいので「一芸」とて、形にして発信を初めてみてはいかがでしょうか?普通の主婦だった私も、そこで、夢の一歩を掴みました。
草野かおる
「激せまキッチンて楽ウマごはん」より