ロングラン
日本にはロングランがうてる戯曲が一作もない
演劇の聖地、ニューヨークのブロードウェイやロンドンのウエスト・エンドでは、劇場はロングラン方式で運営されている。その演劇がヒットすれば無期限に公演される。一九五二年にウエスト・エンドの劇場にかけられたアガサ・クリスティーの戯曲「ねずみとり」は、現在もロングラン記録を日々更新している。なんと七十年間、とぎれることなくの続演である。これは例外中の例外で、ストレイトプレイはどんなにヒットしても、ロングランの記録は二、三年で幕となる。しかし一本の劇が二年も三年も連続公演されるのは、さすが演劇の聖地だからこそ可能なのだろう。
ミュージカルは別次元だった。ミュージカルは最初から長期ロングランを目指して上演される。それも四、五年といってレベルではなく、十年、二十年のロングランを目指すのだ。事実、一九八八年にブロードウェイの
ステージにかけられた「オペラ座の怪人」は、つい最近幕を閉じたが、35年間のロングランだった。その35年間にわたる連続公演で、実に二千万人の観客を集め、その総売り上げは一七〇〇億円だったと新聞は伝えている。ミュージカルは当たれば膨大な富と文化とエネルギーを作り出す巨大なビジネスでもあるのだ。
この巨大なショービジネスを輸入した劇団四季は、ブロードウェイでヒットしたミュージカルを次々に輸入公演をなして、演劇界の一大帝国をつくりあげる。なんでも現在の規模は、七〇〇人以上の俳優、三五〇人の経営実務スタッフ、三五〇人の技術スタッフを抱えている。そして東京五か所・大阪一か所・名古屋一か所に専用劇場を建設し、年間三、五〇〇ステージを上演し、年間観客動員数は三〇〇万人という劇団につくりあげていったと記録されている。
では、一般の日本の演劇界はどうかというと、長い歴史をもつ大のつく劇団は両手の指ほどの数でしかないが、この大劇団が定期的に劇場にかける公演日数といったら二、三週間程度である。それも地方の劇場を巡回しての日数である。二、三週間程度の公演をロングランとはいわない。何百とある中小の劇団となると、これはもう二、三日の公演で、長くても一週間の公演がやっという現状である。したがって日本の演劇の世界には、ロングラン公演は存在せず、過去にも一度たりともロングラン公演されたことがない。これが日本の演劇に真実の姿だった。
大劇団といっても、俳優やスタッフをふくめて百人程度の規模だから、一般の企業に準じてみると零細企業そのものである。しかし長い歴史があり、数百もの演劇に取り組んできた。シェクスピアやチェーホフの劇は何十回となく舞台にのせてきた。何人もの名優を生みだし、現在もまた力をもった俳優を多数擁している。最上のドラマを作り上げていく有能なる演出家がいて、斬新なる舞台を作り上げる美術スタッフもいる。長期のロングランを作り出す力をたっぷりとひめているのだ。それなのになぜロングラン公演ができないのだろうか。
その問いの答えは簡単だった。チケットがさばけないからだ。中小劇団はもちろん、大劇団の二、三週間の公演だって、チケットを売り切るのはやっとなのだ。ブロードウェイから輸入公演するミュージカルなら、この日本でも十年、二十年のロングラン公演をあっさりと実現してしまう。しかしストレイトプレイにはその力はない。ストレイトプレイは、この日本では、たったの二、三週間程度の座席を埋めるだけの演劇なのだろうか。
ロングランをつくりだす戯曲の誕生
劇作家として世に立とうと貧困のどん底のなかで苦闘していたテネシー・ウィリアムズは、三十四歳になったとき書き上げた「ガラスの動物園」がとうとうブロードウェイにかけられた。この演劇には、一九四五年の三月にブロードウェイに登場するのだが、翌年の八月まで、五六一回のロングラン公演をなしている。それから三年後に、これまた劇作家としてなかなか芽のでなかったアーサー・ミラーが「セールスマンの死」を書き上げる。一九四九年の二月にその劇がブロードウェイにかけられると、翌年の十一月まで、七四二回のロングランだった。そのときミラーは三十五歳だった。
ドイツにはさらに若くして劇的なデビューを果たした劇作家がいた。ブレヒトである。ブレヒトが「三文オペラ」を書き上げたのが三十歳の時だった。苦闘して書き上げたその戯曲がどのような世界を引き起こしたのか。
たった一本の戯曲が、その戯曲が大木に育たたんとする生命力を持っていれば、一年のロングラン公演が打てるのだ。ということは、日本にはたった一作もロングランを作り出す戯曲がない。ということは、この日本には、過去現在をふくめて、ロングランを打ち立てる戯曲をかいた劇作家はたった一人もいなかったということになる。もっと厳しく表現すると、日本の劇作家たちは、たったの二、三週間の公演しかしできない戯曲を書きなぐってきた。そしてその公演が終わると、もう二度とその戯曲はつかわれない。その戯曲はゴミくずとなって捨てられていく。
「ガラスの動物園」や「セールスマンの死」が、ブロードウェイでロングランが打たれたのは七十年前だ。しかしその劇は時代に捨てられてはいない。時代とともに成長していく。その二作はこの日本でも再演に次ぐ再演である。このような生命力をたたえた戯曲は、この日本には一作もない。したがって日本の劇団は、その存在を確立するために、いつもいつも翻訳劇だった。翻訳劇に取り組むことによって、日本の劇団はその存在の根源を支えているのだった。
しかし、とうとうというか、ついにこの日本に一年間のロングランにたえる戯曲が誕生したとする。果敢にМ劇団がその戯曲に取り組み、一年間のロングラン公演を実現させた。それがどんな偉業であるかを数字で表現してみよう。六百席の劇場で、三百五十回の公演がなされた。観客動員数は二十一万人である。チケットは八千円であったが、全席完売だった。したがって一年間のロングラン公演の総収入は十六億八千万円である。
たった一本の戯曲が十六億八千万円の金を生み出すのだ。劇作家たちよ、目覚めよ‼ 劇作家たちよ、奮起してくれ‼ この日本に演劇の時代を作り出すには、一年間のロングラン公演を打てる本を書くことなのだ。
全世界に上陸していく日本の演劇
いま世界は日本化現象にあるらしい。アメリカの新聞ウォールストリートジャーナルは、いま全世界で日本語のムーブメントが起きていることを特集している。あるいはイギリスのBBCは近い将来、世界が日本文化の従属国になるだろうというタイトルの特集番組を作っている。あるいは世界の音楽市場に一大異変が起こっていて、JPOPが世界中の人気ランキングの上位にランクインして世界の人々を魅了している。これらの驚くべき現象はうみだしているのは、日本の漫画とアニメとジブリ映画が全世界に上陸し席巻しているからなのだ。フランスで、アメリカで、台湾で、イギリスで、ドイツで、ソビエトで、ブラジルで、インドネシアで、スペインで、ペルーで、タイで、日本のアニメと漫画を中心にしたジャパンフェアーが開催されている。その会場に数十万人が訪れるのだ。日本の演劇が世界に進出していく土壌がすでに作られている。世界は日本の演劇を待っている。
ゴッホは日本にあこがれていた。彼は日本人になろうとさえしていたのだ。そのゴッホをおそらく世界で一番愛している民族は日本人だろう。ゴッホ展が繰り返し行われる。何十万人もの日本人が足を運んでいく。そしてゴッホ研究もまた屈指である。例えば、新関公子氏が投じた「ゴッホ 契約の兄弟」(1)などは、まったく新しい光を差し込ませたのではないのだろう。
私はこの本に多くのことを教示された。なぜゴッホは剃刀で自分の耳を切り落としたのか。その事件が起こる数週間前に、ゴッホとゴーギャンは近郊で行われた闘牛を見学しているのだ。そのとき闘牛を死闘の果てに打ち倒し闘牛士は、倒された牛の耳を切り落として、高貴な女性にささげるというシーンを目撃している。あるいはまた、ゴッホが描いたガッシュ医師の肖像画のテーブルに二冊の本がさりげなく置かれている。その二冊の本を新関氏は追跡している。その二冊の本は、ガッシという医師とゴッホの内部を追跡することでもあったのだ。
このように豊富に蓄積されたゴッホ研究をバックボーンにして誕生した「ゴッホは殺されたのか──ゴッホとテオとヨハンナ」が、次に目指すのはブロードウェイなのだろうか。ブロードウェイでのロンクラン公演が打たれると、この戯曲は全世界の劇場で演じられるのだろうか?
注
1 谷川道子 ブレヒト「三文オペラ」の解説
2 新関公子 「ゴッホ 契約の兄弟」