悪魔のように現れた日本英語
序章
新学期がはじまった最初の英語の時間、悪魔のように現れた「草の葉メソッド」による日本英語が、とうとう品川の中延荏原中学校にも上陸してきた。英語教師野呂重吉は、三年一組の教室に入り、生徒たちの前に立った。身も心も悪魔にとらわれたことを告白し懺悔するまでの彼の苦悩の深さを語っているように、頬はげっそりとこけ、血潮がどこかに流れ去ったかのように真っ青だった。生徒たちの痛いほどの視線を浴びていたが、野呂は静かにむしろ穏やかな口調で、悪魔にとらわれたことを告白しはじめた。
「先生は、みんなに懺悔しなければならないことがある。英語教師として二十七年、ぼくはひたすら君たちに英語を教えてきた。しかしぼくが君たちに教えてきたのは、真実の英語ではなく、文法英語であり受験英語だった。こんなものは何百時間、何千時間、何万時間勉強したって、英語を話せるようにはならない。そのいい見本がぼくだ。ぼくだけじゃない。日本の英語の先生たちの大半が、英語が話せない人種なんだ。日本の英語教育は、英語を話せない先生たちが、文法英語や受験英語を教えているといういわばインチキな構造の上に成り立ってきたのだ。ぼくはもうこんなインチキな構造が存続することが許せなくなった。尻の穴に浣腸をぶち込むような文法英語や受験英語はもうピリオドを打たねばならない。君たちがこれから本当の英語を学び、英語を話せることのできる人間になってもらうために、ぼくはたったいまから英語の時間をテニスコートにする。もうぼくは英語の授業を行わない。テストもしない。だから教科書などもってくるな。問題集なんかさっさと捨てろ。ぼくに残された時間はわずかだ。この残されたわずかな時間のすべてを、日本英語創造のために捧げたいのだ。さあ、みんな、ラケットをもて。テニスをはじめるぞ」
そのとき野呂は、実際に「尻の穴に浣腸をぶち込むような」という下品な言葉を使ったらしいが、それはいわゆる穴埋め問題をさしているのだが、たしかにそう言われてみれば、なかなか核心をついた表現である。事実その当時の日本の英語教育とは、以下のような問題に正答させるという目的とシステムをもって組み立てられていたのだ。
問題一 ( )内の語を正しい形にして____に書きなさい。
She has always ____ mountains. (climb)
The sing they love the _____ is Land of My Father. (very much)
問題二 次の文の____に適する語を[ ]内から選んで書きなさい。
In 1971 she joined a _____ which was planning a big climb.
Mt Everest is the _____ mountain in the world.
問題三 次の各組の(a)と(b)の文が同じ内容になるように____に適する語を書きなさい。
(a ) To study English in easy for Taro.
(b) ______ is easy for Taro _____ study English.
野呂が告白し懺悔したように、こんな問題にいくら正答したって、英語が話せるようになるわけがない。事実その当時、英語を自由に話すことができる日本人は、わずか〇・一パーセントにも満たなかった。千人に一人である。あとの九十九・九パーセントの日本人は、膨大な時間を英語学習に費やしてみるが、英語が話せるどころか、英語の本も新聞も読めない。野呂はこういう状況を、日本の英語教育はインチキな構造の上に成り立っていると表現したのである。
それは二○一四年のことだった。一冊の本が読書社会の片隅にひっそりと登場してきた。その本のタイトルは、
草の葉メソッド
三百年かけて英語を話せる民族にするためのテキスト
と書かれていた。日本英語が悪魔のように現れたのだ。一冊の本が世界を変革させることがあるが、その悪魔の書はまさに世界をひっくり返すために登場してきたのだった。全ページに世界を転覆させんとする狂気の思想が跳梁している。アメリカ英語とイギリス英語をこの日本から追放せよとか、あわれ日本は英語植民地になってしまった、この植民地の尻の穴にダイナマイトを詰め込んで吹き飛ばせとか、語学教師として日本に上陸してきたアメリカ人やイギリス人はすべて本国に送還せよとか、「このCDを毎日五分聞くだけで、あなたは英語が話せる」とか「このCDであなたの耳は英語耳になり、口から英語が飛び出してくる」といった嘘っぱちの宣伝によって荒稼ぎしている英語教材会社は、誇大広告法違反によって摘発し経営者たちを監獄に投げこめとか、「そんな英語はネイティブには通用しない」とか「そんな日本英語は笑われる」といった本はすべて焚書にせよとか。
なかでもその本がもっともはげしく糾弾しているのは、中学や高校の英語教師たちだった。彼らの大半が英語を自由に話すことができない、それなのにあたかも自由に英語を話せるかのように人格を偽り、生徒たちに英語を教えている。それだけでも詐欺的行為だが、文法英語と受験英語をしっかり学んでいけば、英語が話せるようになると嘘っぱちの教条を毎日毎日に生徒たちに刷り込んでまったく無駄な学習をさせている。
英語教師たちは毎日詐欺的授業をしているのだと覚醒し、そして生徒たちに自分は偽りの授業していたと懺悔して、直ちに教室をテニスコートにして、自身はテニスコートの管理人に徹せよ、と扇動している。野呂はこの悪魔の書に身も心も囚われてしまったのだ。
教室をテニスコートにしてしまった野呂に、猛烈な非難と攻撃の嵐が巻き起こった。生徒たちから、生徒の父母から、PTAの役員から、校長や教頭から。やがて教育委員会も乗り出してきて野呂にレッドカードを投げつけるのだが、しかし野呂は少しもひるむことなくその悪魔の授業を続行するのだ。
野呂がはげしく巻き起った非難や攻撃や弾圧に屈することなく、草の葉メソッドによる授業ができたのは、そのレッスンが生徒たちに援護されたからだったのだ。なかにはこの授業にあまりにも過酷すぎると抵抗する中学生もあらわれた。高校受験がどんどん迫ってくる三年生にとって、テニスをするなんてとんでないことだったのだ。しかし野呂が生命をかけて打ち込んでくるボールをラケットで打ち返すうちに、やがて生徒たちはその悪魔の活動にとらわれていくのだ。これこそ本物の授業であり、これこそ英語を自分の言葉としていくレッスンであり、この訓練を持続していけば、やがて英語が自由に話せるようになるということを若い鋭敏な魂がとらえ、野呂のその活動を援護したからだった。
しかし二学期の半ば、野呂はついに力つきて世を去っていく。ついにというのは、野呂を襲った癌細胞はステージ四という末期の段階にあって、青ざめた顔で生徒たちに悪魔にとらわれたことを告白したとき、彼の余命はもう六か月だと告げられていたのだ。だからそのとき「ぼくに残された時間はわずかだ。このわずかな時間をすべて日本英語創造のために捧げたい」と宣言したのだが、その宣言通りに彼がしなければならぬ仕事をやりとげてこの世を去っていったということになる。
こうして英語教師、野呂重吉は百五十年前にこの世から去っていったが、しかし今日でもこの人物に会うことができる。彼が最後の授業を行った中延荏原中学校の校門を入ると、プラタナスの巨木の下に《日本英語の発祥の地》と書かれた石碑があるが、そこに彼の立像が四人の中学生の像に取り囲まれて立っているのだ。頭髪はさっぱりと短く刈られ、眼鏡をかけて、柔らかく微笑んでいるその相貌は、温厚で誠実で理知的な印象を与える。とても尻の穴に浣腸をぶち込むといったような下品な表現をして、過激な行動に突っ走った狂信的な人物には見えない。その像の下に《野呂重吉(一九六七──二○一六)というプレートが打たれている。彼は四十九歳という若さで生が断たれたのだ。さぞ無念だっただろう。
野呂の像を取り囲むように男女四人の中学生の像が立っている。それはその彫刻の制作を依頼された彫像作家が、野呂が生徒たちに愛され多大な薫陶をなした教師だったことを表現するために、四人の中学生を配置したよう見える。しかし中学生たちの像の台座に、野呂と同じように名前と生年と没年が打ちこまれているのだ。
一番左に立っている中学生の像には森元茂樹(二○○二──二○八六)と彫り込まれている。この中学生は八十四歳で没していることになる。その隣は女子学生で、鏑木恵理(二○○二~二○八九)とある。彼女は八十三年の人生だった。中央に立つ野呂の右隣も女子で、横田有栖(二○○二~二○九八)となっている。彼女はこの四人の中学生なかでもっとも長命でほぼ一世紀を生きている。そして右端に立っている中学生は、寺田洋治(二○○二~二○五三)とあるが、彼は短命で五十一歳で亡くなっている。
この四人の中学生の生年はいずれも二○○二年であり、野呂の没年、すなわち最後の授業を行ったのは二○一六年と刻印された西暦からもその群像の謎が解ける。すなわち野呂に脇に立っているこの四人は、そのとき野呂の最後の授業を受けた生徒たちだった。その立像を制作した彫刻家は、彼らの中学生時代の写真を取り寄せ、その写真からイメージを喚起させ、粘土をこね上げ、彼らの若き時代の像を彫像したのだろう。しかしそのとき荏原中延中学の三年生は三クラスあり、生徒は百人をこえていた。それなのになぜこの四人の像だけがそこに立っているのか。それはこの四人こそ、野呂によって吹き込まれた悪魔の思想を世に広めていった、悪魔の伝道者たちだったからである。
この四人の中学生は、いったいなにを伝道したのか、彼らはなにを成し遂げたのか。彼らについて書かれた本は、過去に何十冊も著されているが、ここでは彼らがいかに悪魔の思想を伝道していったかに軸足をおいた小伝を記すことにする。そんな試みをすることによって、英語教師・野呂重吉がこの地上を去る前に行ったたった半年の英語の授業が、どんなに規模雄大な仮説と希望に満ち溢れたものだったかが、明らかになっていくだろう。
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