彼女は独力で泳げる訓練をしてニューヨークに旅立っていった。
あなたは泳げない。しかし泳ぎたい。そこで水泳教室に入る。その発想がすでに間違っている。高額のレッスン料を払ってなにを学ぶというのか。正しい泳ぎ方、基本的泳ぎ方、文法的泳ぎ方か。そんな講習を何百時間、何千時間受けたって泳ぐようにはなれない。そんなクソ講習などどうでもいい、まずは市営プールの中に入ること。頭を水中に沈め、腕で水をかき、脚で水をけって、とにかく泳いでみる。
バタバタと手足を動かせば、それだけで二、三メートルは進んでいく。息継ぎができないから、たちまちアップアップと溺れそこない、空気を吸う代わりに水をガブリと呑みこんでしまう。しかしそんな練習を日々繰り返していくと、息継ぎができるようになり、その距離も五メートル、六メートルと伸びていき、やがて二十五メートルを泳ぎきることができるようになる。英語に立ち向かう体力をつくるとはそういうことである。
ニューヨーク大学に語学留学した日本人留学生たちは、だれ一人としてそのようなトレーニングをしてこなかった。だからたった一行か二行で、つまりたった一、二メールでもうアップアップしている。たった一、二メートルしか泳げない人間が、自己紹介する場面になったら、たったの一、二行で終わってしまう。
──My name is Yoko Mori. I came from Japan. Call me Yoko. Thank you.
しかし森美子さんは、《草の葉メソッド》によるトレーニングによって、二十五メールを独力で泳ぎきるという人となってアメリカのコロンビア大学に留学した。彼女はその教室で、以下のような英語で自己を表現した。
My name and Yoko Mori are also Chinese characters. The meaning of a Chinese character called Mori of a last name is wood. A Chinese character called Yoshiko of a first name means it as a beautiful daughter. That is, my name is a meaning called the beauty in woods. Although I think that the opinion that it is not an appearance called Mori's beauty at all has some people among you, even if those with such opinion are in it, I do not independently get damaged well. Please call it Yoshiko. It is of having decided for me to go into this classroom two reasonable. The speciality in my university was a department of English, and Jane Austen made it the theme of the graduation thesis. Although there is the movie "Jane Austen's reading club", I like this movie, and, also now, often take out and look at this DVD. And I said the day of when, and the United States and wished to say in such reading clubs. However, by the present power, there is no power of going into such a meeting very much. Therefore, he studied in the United States once and I thought ずうっ と、with its English being completed from the origin. Although the second reason was strongly connected with that, Japanese companies got to know that it is the society of male supremacy only after I graduated from the university and finding a job at the company. Since a company was joined, it has already been discriminated against the male and the woman. Although I was striving for the company for about five years, the men included in a synchronization were、 担って、in the already big role at each department. However, when calling it my work, if it is copy-making, inputting serving tea and coffee, data into a personal computer, and the documents for a meeting are still prepared, or it is only such men's auxiliary work. It is useless as this. This is no good. At this rate, my life will be destroyed. I knew I had to get out of here. The reason I finally quit that company and came to New York is to create a new me. I wanted to do something creative in this society. For that reason, I want to polish my English, improve my rank, and gain the ability to take on a bigger job in society.
《草の葉メソッド》によって──つまり翻訳ソフトによって──組み立てられた完璧なデタラメ日本英語だが、しかし完璧にアメリカ人たちに伝わっている。彼女は日本語に翻訳すれば、以下のようなスピーチをしたのだ。
《私は森美子です。日本語は漢字とひらがなとカタカナという三つの異なった文字を組あわせて成り立っていますが、日本人の名前はたいてい漢字で書かれます。私の名前、森洋子も漢字です。ラストネームの森という漢字の意味はウッドです。ファーストネームの美子という漢字は、美しい人という意味です。つまり私の名前は、森の美女という意味なのです。みなさんのなかには、とうてい森の美女という容姿ではないという意見のお持ちの方もいると思いますが、まあ、それはそういう意見を持たれた方がいても、私は別に傷つきません。美子と呼んで下さい。
私がこの教室に入ることを決意した理由は二つあります。私は大学で英文学を学びました。私の卒論のテーマにしたのが、ジェーン・オースティンでした。「ジェーン・オースティンの読書クラブ」という映画がありますが、私はこの映画が好きで、いまでもしばしばこのDVDを取りだして見ます。そしていつの日か、アメリカにいって、こういう読書クラブにはいってみたいと思っていました。しかしいまの力では、とてもそんな会に入る力はありません。ですから一度アメリカに留学して、自分の英語を根本から作り上げなければならないとずうっと思っていたのです。
二番目の理由は、そのことと強く関連するのですが、私は大学を卒業して、会社に就職して、はじめて日本の会社は男性支配の社会だということを知りました。入社した時から、男性と女性はもうすでに差別されています。私はその会社に五年ほどつとめていましたが、同期に入った男性たちは、すでにそれぞれの部署で大きな役割を担わされていました。しかし私の仕事といったら、依然として、お茶くみとか、コピー取りだとか、データをパソコンに打ちこむこととか、会議のための書類を用意するとか、そんな男性たちの補助的仕事ばかりです。このままではだめだ。このままでは自分の人生はつぶされる。ここから抜け出さなければならいと思っていました。
そしてとうとうその会社を辞めて、このニューヨークにやってきたのは、新しい自分をつくるためです。この社会でなにか創造的な仕事をしたいと思ったからです。そのためには自分の英語を磨き、ランクアップさせて、社会の中でより大きな仕事を担えるだけの力をつけたいのです》
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?