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リスボンへの夜行列車  浅井晶子

ロバートアンリ6


大人なら誰でも、なにもかもを放り出して逃げてしまいたいと思ったことがあるのではないだろうか。仕事や家族、人間関係のしがらみのみならず、自分の人生そのものをいったん棚上げして、どこか別の場所で別の新しい人生をやり直してみたいと。だがそんなむこうみずな勇気のある人は、おそらく滅多にいない。ところか本書の主人公ライムント・グレゴリウスは、実際にそれを実行に移した。本書がドイツ語圏のみならず、世界中で非常に多くの人の支持を受ける理由も、ひとつにはこの点にあるのだろう。

スイスのギムナジウムに勤める五十七歳のグレゴリウス。専門は古典文献学で、ラテン語、ギリシア語のみならず、ヘブライ語までを身につけた博学の徒だ。そのあたりの大学教授よりもはるかに深い教養を持つという設定になっている。逆に私生活のほうはぱっとせず、十九年前に元教え子の妻と離婚して以来、ずっと独身。子供もいない。かかりつけの眼科医ドクシアデス以外には、友人もいないようだ。長年、本と言葉の世界にのみ生きてきたグレゴリウスは、そんな人生に満足している──と、自分でも思っていた。
 
ところがある朝、出勤途中に謎の女に出会い、行きがかり上、彼女を伴って授業に赴くことになる。ポルトガル語が母国語だということ以外、なにひとつ自分について語らないまま、女は授業中の教室からそっと出ていく(ちなみに、初対面の相手に「国はどこですか」ではなく、「母国語はなんですか」と訊くのが、グレゴリウスのグレゴリウスたる所以だ)。その女を追うように、堅物で通るグレゴリウスが、なんと授業真っ最中の教室をふらりと出てしまう。そして、女の口から出た「ポルトゥゲーシュ」という言葉に導かれるように古書店へ向かい、ポルトガル語で書かれた一冊の本に出会う。その本の内容になぜか強く惹きっけられたグレゴリウスは、列車に乗り込み、リスボンへ──

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こうして、グレゴリウスのリスボンでの「冒険」が始まる。グレゴリウスは、出会った本の著者アマデウ・デ・プラドに惹きっけられ、ひたすら彼を追うことになるのだ。

プラドの人生をたどる旅は、同時にグレゴリウス自身の人生を見つめなおす旅にもなる。一九二〇年に貴族の家に生まれ、独裁体制ドのポルトガルで反体制運動に従事した医師のプラド。幼いころからずば抜けて優秀で、人を惹きっけるカリスマの持ち主だった。プラドと関わった者は皆、なんらかの形で彼から深い影響を受けている。ベルンの貧しい家庭に育ち、「退屈な」人間であることにひそかなコンプレックスを抱くグレゴリウスとは、世代も環境も性格も、そして母国語も、なにもかもが違う。

だが、プラドの言葉を丹念に読むことで、グレゴリウスはプラドに対して、境遇や言葉を越えた共感を深めていく。さらに、これまでの生活では考えられなかった勇気を振り絞り、プラドの本を抱えて、妹、反体制運動の同志、生涯の友人など、プラドの周囲の人たちを果敢に訪ねていく。そして、プラドとの思い出を抱えたまま生きる彼らの人生に触れることで、これまで味わったことのない驚きや戸惑いに翻弄されつつ、グレゴリウスは不器用だが徐々に、世界との関わりかたを変えていく。

『リスボンへの夜行列中』というタイトルからもわかるとおり、本書では「列車」が人生のメタファーとして使われている。学校を抜け出して、町をさまようグレゴリウスは、映画館でジョルジュ・シムノン原作の 『汽車を見送る男』のポスターに目を留める。本書ではジャンヌ・モローが出演する白黒映画ということになっているか、これは著者の創作だ(実在の映画『汽車を見送る男』は白黒ではなく、ジャンヌ・モローも出ていない)。この架空の『汽車を見送る男』が、本書のモチーフになっている。グレゴリウスかリスボンへの旅の前に見かけたこの映画のポスターは、旅を終えて戻ってくると、すでになくなっている。言ってみれば、グレゴリウスの旅のあいだ、旅とともにあった映画なのだ。

『汽車を見送る男』の主人公と同様、本書『リスボンへの夜行列車』でも、主人公グレゴリウスは日常生活を後にして、列車で旅立つ。そして、これまでの人生とはまったく別の人生に足を踏み出すことになる。さらにプラドもまた、自分の人生を列車にたとえている。だが、プラドは列車に自分の意志で乗り込んだわけではない。気づけば列車に乗っていて、途中下車できないことに気づくのだ。終盤で語られるこのプラドの人生観は、著者が書きたかった本書の核心でもある。

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著者パスカル・メルシエは、一九四四年、主人公グレゴリウス同様スイスのベルンに生まれた。「パスカル・メルシエ」というのは小説を書くときのペンネームで、本業はベルリン自由人学の哲学教授だった。一九九五年から、本業の哲学研究を生かして小説を二作執筆、いずれも好評を博したが、三作目の本書『リスボンへの夜行列車』で、一気にベストセラー作家となった。二〇〇七年、定年よりも早く教授職を引退し、現在は哲学者、小説家として独立して活動している。

『リスボンへの夜行列車』は、二〇〇四年の刊行後、数力月に渡ってベストセラーリストに載り続け、ドイツ語圈のみで二百万部以上を売り上げた。出版元であるパンサー出版の歴史始まって以来のヒット作だという。さらに現在までに世界三十一カ国語に翻訳され、オランダ、アイルランドなどいくつかの国でやはりベストセラーになった。翻訳版も合わせると、刊行部数は四百万部以上になる。本書はジェレミー・アイアンズ主演で映画化もされる。ブルーノ・ガンツ、クリストファー・リーなど大物俳優を配して、二〇一二年前半には撮影を終える予定だということだ。

「内面世界への、素晴らしい列車の旅。グレゴリウスをリスボンへと運び、後にまたリスボンからベルンへと連れ戻した夜行列車は、人生という総合的な旅の比喩だと考えるべきだ」 (『ファイト』)、「言葉、物語の密度、哲学、すべてが詰まった本。三晩で読了した後、自分の人生が変わるだろうと確信した」 (『南ドイツ新聞』)。

「この小説を書いたのは、素晴らしい才能に恵まれた作家であり、哲学者だ。息つく間もなく読ませ、本を手から放すことができない。最後には、タルシエの描く登場人物たちに親友と同様の親しみを抱き、別れを告げるのが辛くてたまらなくなる。魂、理性、心のハンドブックだ。この本を読む時間は、非常に貴重なものになる──人生のなかの豊かで、満たされた時間に」 (『ヅエルト』)など、各紙誌でも絶賛を受けている。

深い教養を持つ浮世離れした学者としての一面と同時に、元妻の家の前で待ち伏せをしたり、予備の眼鏡に安堵して泣き出したりと、どこか間が抜けていて憎めない世俗的な面も持つグレゴリウスが、日本の読者からも共感を得ることを祈りたい。

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