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翼よ、あれが巴里の灯だ  高尾五郎

 カタカタカタカタとタイプライターが激しく叩かれ、チーンと行が突き当たる音が苛立つように響き渡るなかで幕が上がっていく。ニューヨークのソフォーに立つマンションの一室。戦前に建てられたその建物はどっしりとしていて、その部屋も重々しい色調に装飾されている。部屋の奥には開閉式の大きな窓があり、その窓からマンハッタンの高層群がみえる。時は深夜である。しかし間もなく朝が夜の帳をひきはがし、一九八二年の晩秋のニューヨークがその窓から見下ろせる。
 黒くがっしりとした無骨な年代物のタイプライター。その無骨なタイプライターを叩いていたレリーズは、ぴしりとタイプ用紙を引き出して、その紙片にうちこまれた文章をよみあげていく。

「一九五二年に刊行したアン・リンドバーグの『海からの贈り物』は素晴らしい成功をおさめた。彼女はこの本によってアメリカの読書社会に、空の英雄リチャード・リンドバーグ夫人としてではなく、アン・リンドバーグという知性が存在することを刻印した。それは実際見事な作品だった。アメリカ文明は、行き着く所に行き着いたあとの混迷と虚脱がおとずれた。ありあまるほどの物質で埋めつくされた豊かさの底にのぞく虚無の深淵。人々は生きる指針というものを見失っていったのだ。そのときあらわれたこの本は、人間は人間の時間を取り戻さなければならないことを静かに語っている。この本は少しもすたれることなく人々に読まれ、さらに次の世代へと読み継がれていくだろう。アメリカの良心であり、アメリカの知性であり‥‥‥ああ、なんなのこれは。何を書いているというの。これじゃまるでアンの本の書評じゃないの。まあいいわ、それで……この本は現代のバイブルと絶賛されるまでの評価をえている。実際、ため息がでるばかりに文章は美しい。言葉は詩のように光っている。しかしこの美しい言葉の裏に、おそるべき事件を隠していたとしたら。この美しい言葉の背後におそるべき悪魔を隠していたとしたら、この本はいったいどのような読み方をすればいのだろう‥‥‥そう、そう、これよ、これを書くためだったのよ、いいわよ、これでいいの‥‥‥いまここに投じられる一作は、その美しい言葉の背後に隠された驚くべき事件を暴くことなのだ。アメリカの英雄の銅像の首にロープをかけ、アメリカの神話を引きずりおろし、打ち砕くことなのだ。いまこの書を世に出すことに私は恐怖で震えている。しかしこの書はアンを打ち砕くことではなく、アンを裁くことでもなければ……いいわ、これでいいのよ。アンを奈落の底に落とすことでもない。なるほどこの本の登場は衝撃である。彼女を深い悲しみのなかに突き落とす。しかし私の衝撃も深くまた悲しみも限りなく深い。オイディプスは、ついに恐ろしい真実を目撃した。あまりの恐ろしさにオイディプスは、自分の目を快りとってしまった。しかし作家は書かねばならない。どんなに恐怖に襲われても、どんなに迫害されようとも作家は、その目でみたものを書かねばならない。たとえアンを残酷に打ちのめしても‥‥‥アン、アン、アン、アン! いったい何を書こうというのよ。謝辞でしょう。感謝の言葉でしょう。簡単なことじゃないのよ。ありがとうと書けばいいことじゃない。私を支えてくれた人々に、ありがとうって。それでいいじゃない。私はいつでもそうしてきた。出版社がきまり、その契約を交わす日に、アドバンスの小切手と引き換えに、この謝辞を渡す。そしてシャンペンをぽんと抜いて、みんなで乾杯をする。私の本を大海原に送り出す儀式。船の進水式みたいなものよ。私の船よ、私の本よ。読書社会という大海原に颯爽と乗り出しておくれ。そしてできるならばベストセラーとなって戻っておいでというセレモニー。もう長く辛い仕事は終ったの。いまはただこのセレモニーを待つだけ。そのためにありがとうと書けばいいことじゃないの。ありがとうと書いた短文をジャックに渡せばいいことじゃないのよ。アンのことはもういいの。アンのことは、もうたっぷりと本文のなかに書いてあるんだから。
(彼女はいま打ち込んだ原稿をびりびりと破り、そして時計をみて、絶望的な声をあげる)

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