育まれた感性 菅原千恵子
「千曲川」永遠の輝き
育まれた感性 菅原千恵子
みすずかる信濃のくには、その昔からそばしか実らぬところといわれてきたが、それは作物に関してだけのことである。清らかな水と清涼な空気が織りなす風土は、そこに住む人々に高い教育と、独特で豊かな精神を育みつづけてきたことを知る人は意外に多いのではないだろうか。小宮山量平の「千曲川」を読むと、それはいっそうはっきりする。
そもそも私か、小宮山量平の名前を知ったのは、有能な出版人としてであった。理論社という児童書を多く出している出版社の精神的支柱は、彼だということも知っていた。児童文学に関心がなかったなら、小宮山量平その人に対しても、深い関心を抱いただろうかと思うことがある。それほど彼は、日本の少年や少女に言葉と文字に託して、熱いおもいを、未来を、語ってきた。それが彼の出版人としての、編集者としての姿勢だったのだろう。
一人の出版人が自伝を書いたとしても、私はこれほど興味をそそられることはなかっただろうと思う。しかし、彼に関してだけは違っていた。彼が、これほど激しくおもいを込めて児童書を出しつづけるには、きっと何かがあると思われ、それがどこから来ているのか知りたいと長いこと思っていたこともあって、私は飛びつくように、「千曲川」をむさぼり読んだのだった。そして、その秘密はやはりこの本にあった。この本の冒頭で、作者が引用しているノヴァーリスの詩こそが、八十年あまりの作者の人生の水先案内であったことを知ることが出来る。詩を引用しよう。
同胞よ 地は貧しい
われらは 豊かな種子を
蒔かなければならない
大地に豊穣な実りを望むならば、私達は、まず蒔くべき種から吟味しなければならない。もちろん種とは文化と言い換えても良いだろう。作者の心は、この詩に触れたことで、大きく波打ち、後の生き方が大きく決定づけられたといってもあながち間違いではないだろうと思うのだが、作者の若き日は、このノヴァーリスの詩に揺さぶられたところから始まっている。
しかしここで確認しなければならないのは、誰でもがノヴァーリスの詩に心揺さぶられるわけではないと言うことである。美しいもの、善なるもの、汚れなきものに鋭く反応する磨かれたアンテナがなければ、すべてはただ通り過ぎて行くだけであろう。そしてこのアンテナこそ作者の感性ともいうべきものではないだろうか。感性こそ、生まれ出たときから時間をかけて育まれてゆくものである。この本を読んで、その思いをいっそう強く実感するようになった。
作者は、幼くして両親を亡くし、ごく幼いときは祖父母によって育てられ、小学校の五年生の時に母方の叔母夫婦に引き取られて育って行く。これだけを聞いたら、子供の人生としては、かなり重たいものがあると言うべきなのだが、幼い作者を取り囲む大人の眼差しは、限りなく優しく暖かい。そして、それはもうこの現代の日本のどこを探しても見つけられないような、郷愁にも似た懐かしい暖かさなのである。
教育歴や、経済的な豊かさとは無縁の大人達が、子供に向けていっしんに注ぐまなざしの暖かさなのだ。子供の柔らかく繊細な感性は、この大人たちの暖かいまなざしに守られて、育ち行くものなのかもしれない。少なくとも、この本の主人公はそうだったと言える。彼を取り巻く人々、彼が出会う人々の誰一人として、悪人がいないのだ。
それはとりもなおさず、作者が人間をどう捉えているかということでもあると言えよう。人に対する絶対的な信頼や友愛は、生い立ちと大きく関わっているものだがこの作品の作者の人間観が、どのようにして育まれたかは、作品を読めば一目瞭然である。
生まれそだった信州を離れ、叔母夫婦の住む東京へ来てからも、主人公の少年が出会う大人たちは、みな暖かく描かれている。クラス担任の遠藤先生、そして、小学校を卒業して勤めた銀行の給仕時代の渋沢重役、海軍大将鈴木貫太郎など不思議な縁で巡り会った人々を始め、左翼運動に関わりを持ち、作者に小林多喜二や徳永直の作品を思わぬことで紹介する羽目になった紅谷賢三など、どの登場人物をとっても作者である少年には限りなく優しい。
そうした優しい人たちに囲まれながらも、気づかぬうちに周りにはファシズムの嵐が吹き荒れ、川卜肇や、大塚金之助らの学者が相次いで検挙される。紅谷賢三が言うとうり、「ファシズムは思想や学問の弾圧から始まって、大衆の遊びやぜいたくにまで干渉し、そんな干渉が繰り返されるのにつれて、いつしかわれわれ大衆自身がかえってファシズムの支持者となる」時代に少年もしだいに巻き込まれていく。
やがて少年は検挙され、留置場で五ヵ月もの長い間を過ごすことになる。十七歳の少年が負わなければならない思想的な罪と言うものがあるなどと今なら考えにくい話であるが、大衆の自由な活動を野放しにしていては、国威高揚の妨げになると言うことだったのか。
少年は、留置場でもたぐいまれな優しい大人に出会うことになる。彼らは思想犯として捕われていたが、まだ少年ぽさの残る主人公のために、暖かい涙を流し、時には人の世のさまざまな話をしてくれ、少年にあたかも人生という名の学校を提供してくれたのである。まだ十七歳というほんの短い人生のはじめに、主人公は何と多くのことを体験したことだろう。自分捜しという青年期のテーマは、こうしてかたちつくられたと言ってもよい。
思想犯という犯罪によって捕えられていた主人公が釈放されるには、懺悔の手記を書かなければならない。だが、検事が言うように不らちな思想と言うものの虜になったと言う実感もなければ、そこからどのようにして抜け出したかを書けといわれても、思想という意味さえ真に埋解してはいない彼にはなにも書けるわけがなかった。そこにいるのは、空っぽな自分だけであった。
今彼が解かっているのは、銀行がくびになり、学校を退学させられたと言う事実と、これが彼の今から始まろうとする人生の出発だと言うことだけである。彼はあるがままの心境を手記に書き、最後に「ぼくは何処へ行くのでしょうか?」と疑問符をつけて留置場から釈放される。
幼さの抜けなかった主人公が、自分が何者で、またどのように歩いて行くのかを考えさせられたのが五ヵ月間の留置場生活だったとも言える。大人への大きな変わり目を体験し、これからどのように人生の旅路を生きていけばいいのか。主人公の心は、ドストエフスキーの「死の家の記録」という本を道ずれにして、ただひたすらあの懐かしい故郷に向かう。千曲川の豊かな流れが肥沃な大地を育んできたように、傷ついて帰ってきた主人公の心を、故郷は優しく受けとめてくれる。それは、あたかもおばあちゃんがいつも太陽に干してくれた蒲団のように。
母を、父を、そして祖母を失った主人公が、故郷に癒されることによって新たに生きる力を獲得するのだ。まぶしいほどの若さが、いや、若さだけしか残されていないからこそ彼には無限の生き方が許される。十八歳の誕生日を明日にひかえた主人公の未来が、ただ「すばらしい一瞬」にめぐりあうために旅をすることだとするならば、若さをとうの昔に失った者たちにとっても、残された人生を可能性ある未来として期待できるのではなかろうか。
出会いこそが人生である。「すばらしい一瞬」に出会うために、必要なものなどなにもいらない。あるとすれば、一つ一つの出会いを、すばらしいものと感じる磨かれた感性だけである。これを持たなければ、たぶんどれほど輝く若さに恵まれていても、その人にほんとうの未来はないと断言できよう。しかし出会うのは人間だけとは限らない。書物も、自然も、時代でさえ人生を左右する出会いとなる。だから、作者のように磨かれた感性を大切に育んだものだけが、人間としての宝(未来も価値も)を手に入れることができるのだ。
最後に、読者は主人公のその後へと強い関心が注がれていることを、作者である小宮山量平に強く訴えずにはいられない。