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ついに出現していく日本英語の時代


アンリ


七百ページになんなんとする日本の英語教育の改革の書──日本英語の誕生を告げる書を、ニューヨーク大学の語学教室から論をおこしていったが、それはDVDに映し出された日本人留学生たちの脆弱な会話力、たった一行の英語を話すことさえうろたえ、しどろもどろになっている日本人留学生たちこそ、日本の英語教育がもたらした結果であり、その無残な姿こそ日本の英語教育の現実を映し出す鏡であったからで、そこでその地点から日本の英語教育を打ち倒さんとする変革の論を展開させてきたが、この最終の章では再びその地点に立って、今度は視座を一転させ留学生の側から、あるいは幾度も英語に立ち向かい、しかしそのたびに挫折する個人の側から、希望の論を編み上げていこうと思うのだ。

あのDVDをあらためて取りだして見るとき、日本の英語教育を激しく糾弾したように、一人一人の留学生たちの英語に立ち向かう姿勢といったものを攻撃しないわけにはいかない。アメリカやイギリスの大学に留学すれば、英語がぺらぺらになるなどというのは幻想以外のなにものでもないのだ。何十万何百万という体験者がだれよりもそのことを雄弁に立証しているのに、今年もまた何千何万もの若者たちが、あるいは社会人たちが、甘い幻想を抱いて海を渡っていく。そしてかの地で待っているのは、DVDで録画された通りになるのであって、彼らもまた英語に打ち砕かれて日本に帰ってくることになる。この愚かな連鎖を断ち切るためには、なにをしたらいいのか。なにをすべきなのか。

なによりもまず最初にすべきことは、この書で滔々と論じてきたように、受験英語を捨て去ることだ。こんなものをいくら勉強したってなんの役にも立たない。それどころかむしろ有害なことだと決然として捨て去るべきである。テキストも、問題集も、受験英語を吹き込んだCDも、一切合財なにもかも。TOEIC神話にとりつかれて、ひたすら点数を上げようとする卑しい勉強も即刻やめるべきだ。TOEICのテストの点数をあげれば、英語脳が発達し、やがて英語がぺらぺらと話せるようになるなどということが起こるはずもない。あのニューヨーク大学の語学教室の留学生たちも、また懸命にそんな勉強をしてきたのだ。彼らの糞詰まりのような稚拙な英語が、同じ轍を歩くなと伝えているではないか。

受験英語をばっさりと捨て去る。テストの点数を上げるという勉強も打ち切る。そして本物の英語脳をつくりだすために、二つのトレーニングをはじめるべきなのだ。一つは水泳である。市営プールに飛び込み、二十五メートルを独力で泳ぎきるというトレーニングである。もう一つはテニスである。あなたの相手になる仲間を探しだし、市営のテニスコートでボールを打ち合うのだ。そのラリーの応酬が途切れることなく一時間、二時間と続くまで自己を鍛えていくトレーニングである。

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