最後の授業 2
瀧沢君は遺書を残して死にました。その遣書にでてくるHFlASとは、もうみなさんにはよくわかっていることですし、なにも隠すことはないと思いますから、はっきりと名前でよびますが、Hとは細田君のことです。Fとは福沢君のことです。Iとは飯島君のことです。Aとは青木君のことです。Sとは佐々木君のことです。そして瀧沢隆君をふくめてこの六人組のことを私はよく知っています。彼らは本当によく校長室にきましたからね。ちょっと頭が痛てえとか、さっぱり授業がわかんねえとか、ちょっとさぼらしてよとかいって、実によくやってきました。しかし私はこの六人組が大好きでした。というよりもむしろ尊敬していました。とにかく彼らの遊びがとてもスケールが大きいのです。こういうスケールの大きな遊びをする彼らにまったく魅了されつづけていました。最初にこの六人組から相談を受けたのは、彼らが一年生のときでした。夏休みに自転車で日本海にでて、そこから輪島半島や金沢をまわって安曇野に帰ってくるというプランでした。
私は大賛成でした。ですからこういいました。私も連れていってくれないかねと。それには彼らのほうが慌てて、いや、校長先生にはムリムリとか、ご老体はくたばるからダメとかいってさかんに断っていましたがね。その冒険が終ると、今度は川です。タイヤのチューブをうかべて、この安曇野を流れている川下りをして遊ぶのですが、なかでも彼らが一番気にいったのは犀川でした。犀川の魅力が彼らを虜にしたのか、何回となく犀川を下っていたようです。夏はアルプス登山でした。毎年私と一緒に常念岳に登ってくれました。今年などは素晴らしいリーダーとなって、一年生や二年生を先導してくれたのは、みなさんも目撃しているところです。その彼らが今度は冬山に連れていけといってきました。私はいまでも大学山岳部の顧問をしていますが、その山岳部は毎年お正月を北アルプスで迎えるのですが、そこに連れていってくれというのです。そこで私は彼らをつれて大学山岳部の合宿に参加させましたが、彼らのみせたラッセル、雪をかきわけて道をつくっていく作業のことですが、大学生たちよりも力強く素晴らしいものでした。
二年生の夏休みは、大きな楠の木の上に小屋をつくりました。どうせ中学生がつくる小屋なんだから、犬小屋程度のものだろうと思いましたが、いってみてびっくりしました。犬小屋なんていうものではありませんでした。もう立派な樹上の家でした。その小屋が完成すると、私を招待してくれました。その家は三メートルほどの高さにあって、ロープでよじ登るようになっているのですが、ご老体にはロープは無理だろうというので、わざわざその日は私のために梯子がかかっていました。私は小屋に上がって、これは新築祝いだよといって、ジュースとか携帯コンロとかランプとかもっていきましたが、そのなかに煙草をいれておきました。さすがに六人組はこの煙草にちょっとぎょっとなっていましたが、『校長先生は話せるよなあ』とか『こんな校長先生なんて日本にはいねえよな』とか『だからおれは校長先生が好きなんだよ』とさかんにおだてるのでした。しかし私は非常にずるい校長ですから彼らにこういいました。この小屋で煙草をすうのは別にかまわないと思うけど、学校ではぜったいに吸わないって約束してくれるかって。どうしてこんな条件をつけたかというと、それまで幾度か彼らが煙草を吸っていることが問題になっていたのです。トイレで六人組みが吸っているとか、体育館の倉庫で吸っているとか。それを先生に目撃されて、そのたびに職員会議で大問題になっていたのです。ですから私はそういう問題を学校では起こさないでくれよとたのんだのですが、それにしても煙草をもっていくなんてとんでもない校長ですね。