日本人はどうして英語が話せないのか
英語の発音について、もう少し触れたいと思います。例えばこういう英文があります。
I had a pencil in my hand, I started naturally to write on the paper.
みなさんはこの英文をどう読ませていますか。いまでも大半の英語教師はこの英文をこう読ませるはずです。
──アイ・ハド・ア・ペンシル・イン・マイ・ハンド・アイ・スターテッド・ナチュラリイ・ツウ・ライト・オン・ザ・ペーパー。
これが日本人の正規の読み方ですね。「had」も「a」も「in」も「my」も「to」も「on 」も「the」も小さいながら存在を主張しているから、等しく力を込めて読んでいかなければならないといわんばかりです。まるで母音という煉瓦を横にならべるみたいに読まれていく。日本語の発音が母音で成り立っているからですが、しかし英文まで日本語を朗読するように母音の響き高らかに読み上げていくのは、日本の英語教育が生徒たちにそう読ませてきたからです。
そういう教育を受けてきた日本人の大多数は、英語を話すときも母音という煉瓦を横にならべるみたいに話していく。この発音は英米人にとってなにか奇妙な言葉が話されていると感じるようです。それどころかいったい何を話しているのかさっぱりわからないと言います。英米人はどう読むのか。彼らの発音を文字で捕えるなんてことはできない相談だが、私たちにはなにやら目の前を、新幹線が走り去っていったのではないかと思われる速度で話される。
小さいながらもその存在を主張している機能語はまったく聞こえてこない。さらに内容語のペンシルやハンドやライトやペーパーも変容し溶解していて、その単語の痕跡さえ残っていない。これが英語なのです。これが英語の自然な読み方、話し方なのです。英語にももちろん母音もありますが、どうもぼくには子音でつくられているように思える。子音が、高低のリズム、強弱のリズムをつけて、あたかも川の水が流れていくように読まれていく。日本人にはまったく聞こえない「in」や「to」や「on」や「the」も、ちゃんとその流れのなかに組み込まれ飲み込まれているのが英語脳をつくるとはっきりとわかるようです。残念ながらぼくの英語脳はそれがわかるほど成熟していませんが。
英語が日本に氾濫しているのに、なぜ日本の英語教師たちは、いまだに生徒たちに英文を母音で読ませていくのか。なぜ英米人のように子音で読ませないのか。それはその領域に踏み出していくと、日本の英語教育が根底から崩壊していくからではないか、ぼくにはそう思えるですが。
どういうことかというと、授業の導入にまずテキストを生徒たちに読ませますが、生徒たちはその英文をどこで読んでいると思いますか。日本語脳ですね。日本語脳で読んでいるから、母音を横に並べたような読み方になる。日本ではそれが正しい読み方です。英語圏からの帰国子女たちまでそういう読み方になっていく、というかさせていく。こうして英文を煉瓦のように一列に並べ、真打登場で、因数分解を解くかのような文法の授業になる。
──この英文の動詞はhave ではなくhadになっているから、これはすぐに過去形だということがわかるな、そしてa pencilとつづくが、英文では単数か複数が厳しく問われていて、日本語のようにあいまいにされない、だからここでわざわざaをいれて一本の鉛筆ということになるが、しかしこれは数を現わしているというよりは、ある特定したものではないときに使う不定冠詞というものなんだ、つぎのinは中にという前置詞だね、読点が打たれて次の文章になるが、前文が過去形だからこの文も当然、started と過去形になる、そしてnaturallyという副詞がつづき、to wright になるが、このtoは前置詞ではなく不定詞用法だね、started という動詞を修飾する副詞的役割をするto不定詞だ、そしてonという前置詞がきて、the paperとなるが、このthe は特定のものを指しているからこちらは定冠詞だ、さあこれで文法的解釈ができたから、正確に訳してくれるかな、久保、訳してみてくれ。
つまり、日本の英語教育は、英文を母音で読ませるという構造になっているのです。そんな構造のなかで、もし子音で読ませるという授業に取り組んだら、それこそ日本の英語教育の構造が根底から崩れ去っていく。だから日本の英語教師たちは子音で読ませるという授業に踏み出せないし、もともとぼくたちには子音で読ませる授業をしたことがない。その知識もマニュアルもない。まったくの未知なる領域の世界ですから、踏み出そうにも踏み出せないのです。
ラジオやテレビの語学番組があります。たくさんの日本人がその番組を視聴しています。あるいは英語教材販売会社が、このCDを聞けばあなたも英語が話せると新聞一面で大宣伝するものだから、その大宣伝につられてまた騙されるのかと思いながらそのCDを購入する日本人もたくさんいます。その結果、ああ、また騙されたということになる。あるいは英語検定試験TOEICの点数を上げようと、書店に並んでいる試験対策の本を何冊も購入して、猛烈に英語学習に取り組んでいる日本人もまたたくさんいます。彼らはそれらの教材でどんな学習をするのか、どんな風にその教材に取り組んでいるか。大多数の日本人は日本語脳をつかって学習しているはずです。
例えば、CDに吹き込まれている英米人の早い速度で話される英語を、まず頭の中で母音の煉瓦に転換して一列に並べる。そうしないとその英語を日本語に訳せないのです。日本語に翻訳されてはじめて話されている内容が理解できる。こういう行程をしながら英米人の話す英語を追いかけていくわけですから、新幹線の速度で話される彼らの話についていけない。英文を読むときもそうです。わからない単語をまず辞書で調べ、複雑な文章を英文法の本で検証しながら、まるで因数分解を解くようにその英文を日本語にしていく。こんな行程をしながら一行一行を読んでいくものだから、ついに英語の新聞も本も読み切ることができない。書くときも話すときもそうです。まったく同じ行程がとられて、その英文を理解しようともがくのです。
私たち日本人は英語学習に膨大な時間を費やすが、いっこうに英語口も英語耳も英語目も英語脳もできないのは、日本語脳をつかって英語を学習しているからなんですね。文法英語や受験英語はその最たるもんです。最初から最後まで日本語脳をつかってのお勉強です。英語のCDを聞くときも日本語耳と日本語脳で聞いている。英文を読むときも日本語目と日本語脳で読んでいく。「草の葉メソッド」は私たち日本人のこういう語学学習の仕方、そしてこういう学習をつくり出している日本の英語教育を根底から打ち砕かんとするシステムなのです。
「草の葉メソッド」では文法教育禁止です。「草の葉メソッド」は文法教育禁止のシステムです。「草の葉メソッド」では翻訳禁止です。英語を日本語に翻訳してはいけない。その話されている英語がわからなくとも、英語をそのまま聞き取る訓練をしなさい。そこに書かれている英語がわからなくとも、そのまま読みつづけるという訓練をしなさい。もしそこに翻訳するという行為が入ったら、それは日本語脳が働くことになる。英語を学ぶときもっとも必要なことは英語脳をつくることなのです。英語脳をつくるために、英語をそのまま掴み取る訓練をしなさい、それが「草の葉メソッド」です。