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可愛いシェイクスピア

はくしー1


 日曜日、陽が傾きかけた頃私はアパートを出た。肩の筋肉か痛んでいた。昨日ボートを漕いだせいなのだと今頃気がついた。昨日は一週間ほど貯めた洗濯をして、それから一冊の本をたずさえ近くの井の頭公園をぶらつき、そこで日の沈むまでボートと遊んでいた。夜は論文を三十行ほど書き進めてみたが、繰り返し読み返してみると、つかいものにならないと破り捨てた。四時間もかけた結果の惨敗だ。この行為こそ私の時間なのだと知りながらも激しいむなしさが周期的にやってくるのだった。それからウェーバーを読んだ。これは眠りの精だ。かくて見事に睛れ上がった日曜の半日を眠っていたわけだ。

 日曜の渋谷は雑沓の波だった。このでたらめに広がった街を群集にまじりながら歩くのは好きだった。都会で育った人間にはこの雑沓のなかに安定と郷愁を感じるものだ。けれどもその日は重い気分に満ちていて、この雑沓は陰鬱にさせるだけだった。腹がすいていたし、日曜の新聞が読みたかった。約束の時間にはまだ間があったので裏通りのスナックにはいった。

 真直ぐにカウンターがのびた奥行の深いスナックだった。客はまばらだった。高い椅子に尻をのせ、ウェイターにパスタと珈琲をたのんだ。新聞を広げて丁寧に読み進めていった。サガンがでていた。彼女はもう三十になっていた。悲しみよこんにちわ。十八歳の水々しい感受性で書かれた小説を私は読んでいた。平和についてどう思います、日本人記者が尋ねていた。人間はメチャメチャにしてみたいという欲望も、メチャメチャになりたいという欲望も持っているものよ。

 パスタが運ばれてくると、空腹な私は野蛮な勢いで平らげてしまうとコーヒーを追加した。コーヒーを飲みながらタバコをくゆらし、何も考えずにぼうとした雰囲気にしたるのは楽しかった。明るいドアから二人の女がはいってきた。しやれたスタイルのきれいな女たちだった。
 二人は私の隣に連なってすわった。私はまた新聞を読みはじめた。けれども彼女たちのにぎやかなお喋りが私を乱してしまった。とびはねるような軽快な会話だった。彼女たちの注文したオープンサンドがくると隣の女が、お塩よろしいですかと私にいった。手渡すときれいな笑顔をむけてありがとう。口紅でしめたくちびるは食べてはならぬ桜坊のようだったし、瞳がまばたくとそこに青い湖があるようにみえた。

「話に夢中だったでしょう。気がついたらシェイクスピアがいないのよ。それでシェイクスピア、シェイタスピアって呼んだの。まわりの人がみんな変な顔してみるのよね。それはそうよね。まったく変てこな名前をつけたものよね。とうとうお店中おおさわぎになってね。大変なのよ。ボーイさんがあっちこっち迫いかけるのだけどなかなかつかまらないのよ。あのおちびさんすばしっこいでしょう。椅子の下なんかをすいすい逃げまわるの。あたしは、シェイクスピア、シェイクスピアって叫ぶでしょう」
「あなたね、いくらロミオとジュリエットの映画に感動したからって、犬の名前までにシェイクスピアって、ないんじゃない」とむこうの女がいった。

 私の頭は複雑で神経質によごれた言葉で一杯につまっている。聞こえてくる彼女たちのお喋り、たわいもないお喋りだ。だが私には春にとけはじめた雪が渓谷をせせらぎ流れるように新鮮だった。塩を手渡しとき私に向けた笑顔、その笑顔を反芻しながら、雑沓にまじり約束の場所にむかった。私にはやさしいあたたかい心が一杯に満ちていた。

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