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イエロー・ブリック・ロード

 その埠頭には赤煉瓦の倉庫が四つ五つと建っていて、その倉庫棟の前を通る道路もまた煉瓦が敷きつめられていた。高層ビルディングが次々と立っていくなか、そのあたりは古い時代の古い時間がたちこめているようだった。煉瓦通りを抜けると広場にでる。その広場の奥には全身をガラス張りにしたレストランが建っていた。建物の半分を海にのせていて、そのテラスから海に向かって長い桟橋を突き出している。その桟橋には白や青や黄色や赤にペイントされた幾隻ものクルーザーが停泊していた。そのあたりは煉瓦通りとはちがったなにか近未来といった景色が広がっていた。
 そのレストランの前の広場は、都会の穴場というか忘れられた三角地帯というか、いつも空いているのでぼくたちが野球をするときは、
「イエブリにいこう」
「うん、イエブリだ」
 と言って自転車をとばしていくのだ。イエブリとぼくたちがその広場を呼ぶのは、そのレストランの名が《イエロー・ブリック・ロード》で、それをちょん切ってつなげたわけで、それ はぼくたちを解放させる、ぼくたちだけにしか通用しない、なかなかクールな呼び方だと思っているのだ。とにかく馬鹿ママたちが、学習塾とか、水泳クラブとか、ピアノとか、英会話塾とか、あっちこっち入れるもんだから、ぼくたちの毎日は忙しい。だからそんなものを蹴飛ばして、みんなそろってイエブリにいくときは心が燃え立つのだ。
 そしてそれはぼくだけのことかもしれなかったが、ちょっと体があつくなる。というのはイエブリにいく途中、不思議なことにいつもシェパードをつれた外人の女の子と会うのだ。すごくかわいい子で、ぼくたちとすれちがうとき、その子は春のような笑顔でハーイと声をかけてくる。雄太とか、健治とか、守とかはその子に出会うと、ハローとか、ジスイズペンとか、ジスイズガイジンとか言っていたが、そのうちジスイズオマンコとかジスイズキンタマとか言って下品にガバガバガビガビ笑うので、ぼくはとてもはずかしかった。もしその子が日本語をわかっていたらなんて思うだろうって。そんな気持ちでちらりとその子をみる。するとその子はバラのような笑顔をぼくに、もっとここを強調するとぼくだけに送ってくるのだ。
 その日もまた野球をやろうというみんなの気持ちが燃え立って、学習塾とか、水泳クラブとか、そろばんとかをそれぞれ蹴飛ばしてイエブリにいくことになった。ところがぼくは宿題を忘れ、その罰で掃除当番にさせられ、下校するのがみんなより遅くなってしまった。そんなことに時間を潰されたことが悔しくて、その時間をとり戻そうと全力疾走で家に帰ると、ランドセルをベッドに叩きつけ、グローブやボールやバッドをディバックに投げ込み差し込み、カラコラムGTのギアを最上段にぶちこんでイエブリに向かった。ぐんぐんと飛ばして、天王州橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、若潮埠頭橋を渡り、赤煉瓦の倉庫通りを曲がろうとしたときだった。目の前に突然シェパードが飛び出してきた。両輪のブレーキをかけ素早く避けようとしたが、ハンドルを切りすぎて路上にどっところがってしまった。
「あ、大丈夫!」
 と女の子が悲鳴をあげた。あの子なのだ。ぼくは痛みよりもその子のことが気になったから、ずきっと痛みが走ってきたが、
「平気、平気、ぜんぜん平気」
「あ、血がでてる。たいへんだわ。痛そうね」
 その子はポシェットのなかからハンカチをとりだし、血がにじんでいる膝小僧のあたりにあてようとした。ぼくはまた「平気、平気、ぜんぜん大丈夫」と言って、倒れたバイクを引き起こした。
「ねえ、これ使って。これ、あなたにあげるわ」
 いつもお父さんが言っている男は我慢だということもあるし、その子には格好よくみせたいと思ったから、
「大丈夫だよ、こんなの怪我のうちにはいらないから」
と冗談ぽく言ってカラコラムGTにまたがると、その子を振り切るようにぺダルをこいでいた。
 その日は野球をやっていてもその子のことが思われ、その子のことを思うと胸のあたりがずきずきと甘くうずいた。
 つまらない日曜日だった。その日また妹と喧嘩してしまった。とにかく最近妹はすごく生意気なのだ。
「お前みたいなガキは、どっかにいっちまえばいいんだ」
「なあによ、お兄ちゃんみたいなワルガキこそ、どこかにいけばいいでしょう」
「お前みたいな、クソガキはくたばればいいんだ」
「お兄ちゃんこそ、宿題忘れんぼガキで、ずっと立たされガキで、いつもおこられガキで、お手伝いしないガキで、トイレのドアあけっぱなしガキで、お風呂に入るのきらいなふけつガキで………」
 と悪口雑言をぼくにぺタペタと貼り付けてきたので、ぼくは暴力をつかって泣かせてしまった。そしたらお母さんが飛んできて、ガミガミガミガミ。ぼくもまたブウブウブウブウと言っていると、とうとうお母さんは、「出ていけばいいでしょう、そんなに気に入らなければ出ていってもいいのよ。とっとと出ていけばいいでしょう」と言ったので、「ああ、いいよ。出てってやるよ」
 カラコラムGTのギアを最上段にぶちこんで、猛然とペダルを漕いだ。むしゃくしゃしている。むしゃくしゃした怒りがカラコルムGTのエンジンだ。ぼくは埠頭を目指していた。あの子に会いたいと思ったのだ。あの子に会ったら、あの子のバラのような笑顔をみたら、一瞬にしてこのむしゃくしゃした怒りのエンジンは消え、穏やかな優しい心をとりもどすことができるだろう。
 天王州橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、若潮埠頭橋を渡ると赤煉瓦の倉庫棟に出る。ところがその若潮埠頭橋に出ない。どういうことなのだ。埠頭に出る道路は一本しかない。道をまちがえるわけがなかった。不思議なことがあるものだと思いながら走っていると、ふと二つの奇妙な話を思い出していた。
 ひとつは守の話で、なんでもその日、守の一家は「イエブリ」で食事をしょうということになって車で「イエブリ」に向かった。ところがぐるぐると一時間以上も車を走らせたが、とうとう「イエブリ」にたどりつけなかったというのだ。ぼくたちはその話を聞いたとき、ドジな守をさんざん馬鹿にしたものだった。
 そんな話を聞いたあとだった。ぼくのお父さんとお母さんが、結婚記念日に二人だけで食事をするからと言ってイエブリに出かけていった。ところが、「イエブリにいってみたけど、そんなレストランなかったぜ、まったく」とお父さんはあきれ顔で言い、「せっかくイエブリ論争に決着させようと出かけたのに、ちゃんと地図を正しく書いてくれなくちゃだめでしょう」とお母さんも非難するように言った。
 このイエブリ論争を決着させようというのは、お父さんはぜったいにエルトン・ジョンだと言い、お母さんは《グッバイ、イエロー・ブリック・ロード》なんて歌ったら、そのお店、すぐつぶれるってことじゃない、あれはぜったいに「オズの魔法使い」という映画からとったのよ、と譲らない。その二つの説のどちらが正解かを、その日レストランにいって確かめようとしていたのだ。ところがぼくの書いた地図通りにいってみたが、イエブリがなかったというわけだ。
 その二つの話がよぎってきたのだ。しかしそんなばかな話があるものかと思い、その道をどんどん走っていくが、巨大な火力発電所や清掃工場の方に向かっている。おかしい、これはどういうことなのだ、いったいどうなっているのだ。そこでストップすると、最初からやりなおそうとUターンした。そしていまたしかに渡ってきた寺田倉庫橋に戻ってきた。そこからまたUターンして、あらためて若潮埠頭橋に向かって走っていった。するとちゃんと若潮埠頭橋に出たので、なあんだという思いだった。
 
 若潮埠頭橋を渡り、赤煉瓦の通りを抜けて広場に出たとき、シェパードをつれたあの子がぼくの目のなかに飛び込んできた。その子に会いたいと思いカラコルムGTを飛ばしてきたのに、実際にその子の姿を見ると、やばい、どこかに隠れようという思いが駆け抜けていった。一瞬どうしょうかと迷ったが、その子もぼくに気づいて真っ直ぐにかけてきた。
「ハーイ」
 と女の子はバラのような笑顔で言った。ああ、とぼくは自転車をとめると、まぬけな声を上げていた。
「この前の怪我、大丈夫だった?」
「ああ、あれなんともなかったよ」
「よかったわ、あなたと会えて。ねえ、あなたの名前なんていうの」
「ぼくは村野繁というんだ」
「じゃあ、シゲルって呼んでもいいわね。あたしはキャサリンっていうの。だからキャシーって呼んでいいわよ」
「キャシーか」
「この犬はね、ジローっていうのよ」
「ジローか」
「よろしくでしょう、ジロー」
 そのかしこそうな犬は、ぼくを見上げた。
「君は日本語がうまいね」
「そりゃあそうよ。アメリカでは小学校から日本語を学んでいるのよ」
「ああ、そうなのか」
「それに、日本とアメリカは、目と鼻の先じゃない」
「まあ‥‥‥」
 太平洋という巨大な海がはさまっているけど、まあ日本とアメリカは兄弟の仲だということもあるわけだから、それはそうだけどとあとにつづけてみた。
「君はいまどこに住んでいるわけ?」
「LAよ」
「エルエイ?」
「ロスアンジェルスよ。ロスアンジェルスのことLAっていうの」
「そうなのか。そうすると日本にきたのは観光とか‥‥‥」
「そうじゃないの。ママにつきあっているのよ。ママは日本に好きな人がいるわけ。十日に一度とか、多いときには一週間に一度、その人に会いにくるのよ。そのときあたしも連れてくるわけ。ママにはもちろんパパがいるのよ。パパももちろん愛しているわけ。でもその日本人も愛しているわけなのよ」
 それって不倫してるってことって言葉がのど元まで出かかったが、こんなことを口にすべきじゃないと飲み込んだら、なんとその子はぼくの心のなかをのぞいたように、
「不倫っていうか、ママって、クールなのよ」
「クール?」
「ママはどっちも欠けてはいけないって言うの。どっちも愛している。どっちかを失ったらママの人生はないというわけなのよ。ママってクールな女性なのよ」  
 ぼくのクラスの女の子だって、ずいぶんませた話をしている。この子はぼくと同じ年だと言ったけど、それよりずっと年上のように思えた。
「ねえ、シゲル。あたしのママとその男の人をみてみたくない。ママたちはね、いつも窓際のテーブルに座るのよ。だから外からもみえるの。ふたりが話している様子で、もうすぐ話は終わるなって判断するわけ」
「その間に、君はこのジローを散歩させているわけなのか」
「そうなの、うちのママはいい娘をもったと思わない?」
 ぼくたちは埠頭に向かった。そのときふとこの女の子はアメリカ人だから、アメリカ人ならば、ぼくのお父さんとお母さんのイエブリ論争のことが分かるかもしれないと思い、
「あのさ、うちのお父さんはあのレストランの名前、ぜったいにエルトン・ジョンからいただいたものだっていうんだけどさ」
「エルトン・ジョン?」
「そう、エルトン・ジョン」
「その人って、どういう人なの?」
「ほら、グッバイ・イエロー・ブリック・ロードだよ」
「なに、それ?」
「えっ、グッバイ・イエロー・ブリック・ロードって歌、知らないの?」
「へえ、そんな歌があるの、あたし聞いたことないわ、どんな歌なの、ちょっと歌ってみて」
 ぼくはその歌を完璧に歌える。というのはぼくの家でイエブリ論争が起こってからというもの、お父さんはがんがんエルトンのCDをかけるので、ぼくもエルトンにはまってしまって、その歌を完璧にそらんじてしまっていた。しかし歌ってみてと言われても、エルトンとならば一緒に歌えるが、アカペラで歌えったって無理な話しだった。するとその子は奇妙なことを言った。
「ああ、それっていい曲ね」
「思い出した?」
「あ、黙ってて、もっと歌ってみて」
 その子は立ち止まって、ぼくの背後に身を寄せると、サドルに右手をのせてまるでぼくの体のなかで鳴っているエルトンを聴いているかのようだった。その子の体が揺れ、そのリズムを口ずさんでいたが、やがて歌いだした。ぼくの体のなかでエルトンが歌う「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」ががんがん鳴っている。もうぼくもたまらず歌いだした。
「ああ、最高、もう、ぜったいに最高、これって完全にはまっちゃうね」
「君の英語、やっぱ本物だよね。そうだよな、本物のアメリカ人だもんな」
「シゲルの英語だって、ちゃんとした英語だよ」
「ぼくの英語ってぜんぜん嘘っぽいよ。だってさ、ぜんぜん意味なんかわかんないで歌ってんだからさ」
「ええっ、意味がわかってないで歌ってるの?」
「ただエルトンの真似しているだけだから」
「あたしこの曲、ぜったいに手に入れる、エルトン・ジョンだよね、あたしこんな歌があったなんて知らなかった」
  埠頭の先端には海に向かってベンチが並んでいる。ぼくたちはそのベンチに座った。そのベンチからレストランのなかがよくみえた。窓際のテーブルに小さなテーブルをはさんで男と女が座っていた。その女の人がその子のママだった。口髭をはやした相手の男は、ちょっとテレビドラマに出てくるタレントに似ていた。だからぼくは言った。
「あの男さ、かっこういいね」
「そうなの。すごく素敵よね。きっとシゲルも大人になったら、あんな素敵な男の人になるわね」
「いや、それは無理だな」
 とぼくはお父さんの姿を思い浮かべて言った。キャシーのママもまた素敵な女性だった。しかしその人はなんだか苦しそうに顔をゆがめて、ときどきハンカチで目のあたりをぬぐっていた。
「いじめられているのかな」
 とぼくは言った。キャシーはくすりと笑うと、
「そうじゃないのよ。あの男の人は、もう別れようと言っているわけなの。嫌いになったわけじゃないのよ。もう耐えられないと言うわけなの。君をアメリカに帰したくない。君はぼくのそばにいるべきなのだ。こんな苦しい関係はぼくには耐えられないと言うわけなの。こんな心と魂が引き裂かれるような苦しみを味わうなら、いっそうこのまま君と別れて、君をぼくのなかから消してしまいたいと言うのよ」
「愛は独占するというわけか」
 とぼくはいつかみた安っぽいテレビドラマのセリフを言ってみた。
「て言うか、あの男の人は、古いモラルから抜け出せないことに苦しんでいるのよ。ママは新しいモラルの人。ママを愛するってことは、新しいモラルの人にならなければならないの。でもモラルって、古いものを捨てたり、新しいものを買ったりするってことじゃないでしょう。ママはほんとうにあの人が好きなの。ママはあの人を失いたくないのよ」
「そうなんだ」
 とぼくは言ったが、ぼくにその言葉がわかっているわけではなかった。
「それで、ここで話が終わったら、今日また帰るってわけか」
「そうよ」
「じやあ、成田までいくってわけ?」
「どうして成田なの?」
 と女の子は訊いてきた。このあたりからぼくはわからなくなっていくのだ。
「だって飛行機で帰るんだろう?」
「どうして飛行機なわけ? 目と鼻の先なのに。あそこにクルーザーがあるでしょう。あれで帰るわけよ」
 東京湾に向かって突き出している桟橋の先頭に白いクルーザーが停泊していた。キャシーはその船を指さしたのだ。ぼくは思わず驚きの声をあげた。
「えっ、あれで!」
「そうよ、あたしの家はサンディーフックというウォーターフロントにあるの」
「でも、あんなもので帰ったら何十日もかかるだろうな」
「それって、皮肉、それともジョークってわけ? あのね、おんぼろクルーザーだけど、結構速いのよ。たったの三十分ってところね」
 最近、東京湾の埋立て地にどんどん新しい建物がたっている。そんな一角にLAなんて名づけたスポットができたのかもしれないと思ってみたが、しかしやっぱりすごい疑問だったから訊いてみた。
「君の住んでいるそのLAってさ、ほんとうにアメリカなの?」
「そうよ。今日は霧でかすんで、ぜんぜんLAの摩天楼がみえないわね」
 なるほど。アメリカ人はジョークがうまいときいていたけど、これはジョークなのだ。そう思ったぼくは、そのジョークに軽くのせるように、
「ほんとうにみえるかもしれないね。このあいだ学校の先生が言ってたけど、アメリカ大陸は、一年に何ミリかの速度でだんだん西に移動しているから、そのうち日本とアメリカはくっつくだろうって」
「と、昔の人は言っていましたってわけでしょう。大昔はなんでも日本とアメリカの間には太平洋という広い海があったらしいわね」
 なんだか話がおかしくなっていく。ぼくの頭がおかしくなりそうなので断固として言った。
「いまだって、太平洋はあるよ」
「いまは太平洋っていわないの。フレンドシップ・チャネル、つまり友情の海峡という名前なのよ。あたしね、英語より友情の海峡っていう言葉のほうが好きなの。ユウジョウという響きがとても好きなのよ、愛情とか明星とかいうじゃない」
「あのさ、今年って二〇〇四年だよね」
「なに言ってるの。今年は三千七百五十二年でしょう。どうして二〇〇四年なの。ジゲルってそんな古い時代に生きているわけ。ちゃんと現代に生きなさいよ」
「三千‥‥‥」
「そう、三千七百五十二年」
「三千七百‥‥‥」
「そうそう、三千七百五十二年」
「三千七百五十二年」
 そうぼくが言うと、女の子はぱちぱちと手を叩いて、
「現代にようこそ。ようやくシゲルは太古の眠りから覚めたのよね」
 そのときぼくは、こいつってちょっとおかしいんじゃないと思った。
「あ、ママたちのお話が終わるみたい。もう帰らなくちゃいけないわ。ねえ、シゲル。あたしとお友達になってちょうだい。いいでしょう?」
 なんだかこの子はちょっと変わっているというか、ちょっと頭がおかしいというか、しかしぼくはこの子と友達になりたいと思ったから、いいよとこたえた。
 レストランのなかにジローを引き連れて駈け込んでいくその子を見送ったが、ぼくはなんだかその埠頭から立ち去りがたくそこに立っていると、テラスからジローとその子とその子のママが桟橋に出てきた。女の子はぼくを見つけると大声で、
「さようなら、また会いましょう」
 と叫んでいた。
 その子とその子のママとジローは、桟橋の突端に停泊してある白いクルーザーに乗り込んだ。やがてエンジンのはいったクルーザーが、ブルブルと胴をふるわせ、ゆっくりと桟橋を離れていった。デッキに立っている女の子は、ぼくにいつまでも手をふっていた。
 秋の太陽はものすごい速さで落ちていく。カラコラムGTをとばして、赤煉瓦の倉庫棟を抜け、若潮埠頭橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、天王州橋を渡った。もうそこからぼくの家までは十分の距離だ。高速道路を上に乗せた海岸通りを渡り、旧海岸通りにでる。さらにその道路を渡って旧東海道にでる。その通りにぼくの住むマンションが建っている。ぼくの心はもう穏やかになっている。妹にごめんなってあやまってもいい気分になっている。ヒステリーを起こしたお母さんも、どこにいってたの、お腹すいたでしょう、ご飯にするから手を洗ってらっしゃい、とやさしくぼくを迎えてくれるだろう。
 ところが前方に現れたのが寺田倉庫橋だった。たったいまその橋を渡ってきたばかりではないか。まっすぐに直進していて一度だってUターンしたことはない。これはどういうことなのだ。そんなばかなことがあるものかとさらに走っていくとまた橋だった。なんということだ、これは若潮埠頭橋ではないか。どういうことなのだ、いったいなにが起こったのか。ぼくはこの不思議な現象を最後まで見届けてやろうと若潮大橋を渡った。前方に現れたのは赤煉瓦の倉庫棟が立ち並ぶ煉瓦通りだった。その通りを突き抜けるとイエブリだった。すでに広場にも夜がおりてきていて、その夜に抵抗するように黄色いライトで彩色された《イエロー・ブリック・ロード》が立っていた。
 もとに戻ってきてしまったのだ。これはいったいどういうことなのか、いったいなにが起こったのか。ちょっと混乱してきた頭を冷やすために、広場をぐるぐるとまわってみた。次第にぼくは冷静になり、その原因をつきとめることができた。問題の発生地点は天王洲橋だった。天王洲橋を渡ったとき、あのときぼくは無意識のうちにユータンしてしまったのだ。なあんだ、そういうことなんだ。よし、今度はあの地点になったら、冷静にあたりを確認しながらまっすぐ走り抜けていこう。
 赤煉瓦の倉庫棟を抜け、若潮埠頭橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、天王州橋を渡った。よし、ここからだ、ここから絶対にユータンなどしない、めざすは首都高速道路を上にのせた海岸通りだ。しかし前方にあらわれたのは橋だった。寺田倉庫埠頭橋だ。なんだ、なんなんだこれは、どうしてこんなことになるんだ。ぼくはいま夢をみているのか、夢のなかを走っているのか、そんなばかなことない、夢の中に走っているのではないということを確認するようにカラコラムGTを飛ばした。
 前方にあらわれたのは寺田倉庫橋だった。またもとに戻ってしまった。どういうことなんだ、いったいこれはなんなんだ、いったい何が起こったんだ。ぼくは怒りのペダルをがしゃがしゃ漕いで、若潮埠頭橋を渡り、倉庫棟が立ち並ぶ煉瓦通りを走り抜けた。前方にあらわれたのはイエブリだった。またもとに戻ってきてしまった。
 いよいよ混乱していくぼくは、広場を四周、五周と回って、こんな奇妙なことがおこったその根本のところを追及してみた。やっぱり問題は天王寺橋だ。あそこが混乱のキーポイントなのだ。天王洲橋を渡った。ところが前方にあらわれたのは寺田倉庫橋だった。ということは、天王洲橋を渡ったら、そこでユータンしてもう一度天王寺橋を渡ればいいということではないのか。ぼくは新しい理論というか、この謎の現象を突き破る新しいコンセプトを組み立てた。よし、それでやってみよう。
 赤煉瓦の倉庫棟を抜け、若潮埠頭橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、天王州橋を渡った。よし、ここでユータンするのだ。くるりとカラコラムGTの向きを変え、いま渡ってきたばかりの天王洲橋を渡った。よし、これでいいぞ、と海岸通りを目指した。しかし前方にあらわれたのは寺田倉庫橋だった!
なにが新しいコンセプトだ、ばかげたコンセプトだった。一度渡った天王洲橋をユータンして渡るなんて。こんなばかげたことを考えた自分をののしると、その地点でまたユータンして天王洲橋を渡った。しかし前方にあらわれたのは寺田倉庫橋だった。もうぼくの頭のなかは混乱どころかパニック状態に陥っていた。このパニックから脱出しようと走り回った。なんだか迷路に投げ込まれたモルモットが、危機から脱出しようと猛然と走り回っているかのようだった。しかし脱出できない。ぼくは永遠に循環するルートから脱出できなくなってしまったのだ。
 疲れ果て、お腹がすき、なによりも深い闇のなかに紛れこんでいく恐怖が攻めたててくる。ぼくは泣き出していた。泣きながら走っていた。そのときぼくはあることに気づくのだ。この魔のサイクルから脱出しようと走り回ってきた。しかしいまはむしろ動いてはいけないということではないのか。これ以上動き回り、走り回るといよいよ奇妙な世界から脱出できなくなる。
そうだ、あのイエブリのところからだった。あの女の子、キャシーという子に会ってからおかしくなったのだ。あそこが悪いジョークの出発点だった。そうだ。あそこにもどってみよう。あの子と座ったベンチだ。
 そのベンチにぼくは倒れ込むように座り込んだ。レストランを彩色していたライトはもう消されていた。埠頭に立っている街灯や、海に伸びる桟橋のライトが海面に投げ出されている。もう時計は十二時を回っているのだろう。また新しい涙がふきだしてくる。
 しかし泣いたって事態がよくなるわけではなかった。泣けばもっと悲しくなると思ったぼくは、明るいことを考えようとした。明日になれば明日の風が吹くというじゃないか。明日になればこれは悪い夢だった、これは悪いジョークだったということがわかるのだ。明日になればちゃんと海岸通りに出る。そして旧海岸通りを渡り、旧東海道通りに出ると、ちゃんとそこにぼくの住むマンションは立っているのだ。
 ドアを開けるとまずお父さんが飛んできて、「お前なあ、いったいどこにいってたんだ!」と叫び、お母さんは「いまから警察にいって、あんたを探して下さいって頼みにいこうと思っていたのよ」と言い、妹は「お兄ちゃんって、チョウばかだよね、電話ってもんがあるでしょう」と生意気なことを言うけど、あいつも涙目になっているんだ。そんなことを考えていると、すうっと心が軽くなって、いつの間にか眠りに落ちていた。
 ひしひしと寒さがおし寄せてきて目をさました。夜がしらじらと明けはじめていく。もう朝なのだ。ベンチから身をおこしたそのとき、突然、目のなかに信じられない光景が飛び込んできて、ぼくは思わず叫んでいた。
「あ、アメリカだ!」
 あの子が言っていた目と鼻の先に、よくテレビのCMなんかでみるニューヨークの摩天楼とそっくりの空にそびえ立つビルの群れ群れが、朝のひかりを浴びて、きらきらと信じられないほどのきらめきのなかに立っていたのだ。アメリカはとうとう日本に到着したのか。すると今年はあの子が言ったように、三千七百五十二年かとぼくはつぶやいていた





 

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