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本屋を作ろう シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 part2

書店78

書店2

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店   part2


シルヴィア・ビーチ  中山未喜訳
1920年代のパリ、若き日のジョイス、エリオット、ヘミングウェイらの外国作家とヴァレリー、ジィド、ラルボーらに、出会いと交流の場を提供したオデオン街の小さな書店の女主人シルヴィア・ビーチが、生き生きと綴る20世紀文学の舞台裏。

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シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店、遂に開店

 私は、書店の開店期日をあらかじめ決めておく代わりに、開店の準備が整い次第店を開こうと決心しました。
 遂に、私が準備できるすべての書物が本棚に並べられ、梯子やペンキのバケツにつまずくこともなく店のなかを歩き回ることのできる日がきました。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店は開店しました。一九一九年十一月十九日のことです。この日を迎えるために、私は八月からその準備に掛かりきりでした。

 窓には私たちのパトロン、シェイクスピアの作品を始めとして、チョーサー、T・S・エリオット、ジョイス等々の作品が展示されました.また、アドリェンヌのお気に入りの英書、『船に乗り合わせた三人の男』も展示されていました.店の内部の雑誌棚には多くの文学雑誌が飾られました。壁には、私が手に入れた例の二枚のブレイクの絵と、ホイットマンとボーの写真を飾りました。

 さらに、ビロードの半ズボンと上衣姿のオスカー・ワイルドの写真二枚を壁に加えることにしました。この二枚の写真には、シプリアソの友人が私に贈ってくれた幾枚かのワイルドの手紙と共に額に入れてありました。また、手紙の裏側に走り書きされたホイットマンの数枚の小さな原稿も艇示されていました。この原稿は詩人ホイットマンが私の叔母アグネス・オービスンに与えたものでした。

 叔母のアグネスは、彼女が、まだブリン・モーアーの学生であった頃、友人のアリスとニュージャージ州のカムデンという港町に住むウォルト・ホイットマンを訪ねたことがありました。アリスの母は、その昔、ホイットマンに肘掛け椅子を贈ったことがありました。アリスとアグネスが、カムデソに出掛けて行った時、彼女たちは、その肘掛け椅子に坐っているこの老人を見つけたのです。

 原稿が床の上に散らばっていて、屑入れの中にも書きかけの紙片が投げ入れてありました。そこに目をやったアグネスは勇気を奮い起して立ち上ると、書きかけの数枚の紙片を屑入れの中から取り出しました。その大半は、ウォルト・ホイットマン様と宛名の書かれた手紙の裏側に書き込まれており、彼女は、この紙片を貰ってよいものかホイットマンに尋ねてみました。「どうぞ、どうぞ」と、ホイットマンは答えました。こうして、私たちビーチ家のものがこのホイットマンの手書き原稿を手に入れることができたのです。

 多くの友人たちが、シェイクスピア・アソド・カソパニイ書店の開店を待ちわびておりました。開店の日がきたというニュースはたちまち辺りに拡がりました。しかし、私は開店当日に、誰かが書店を訪ねてくれるなどということを実際に期待しておりませんでした。そうしたものだろうと思っていました。私はこのシェイクスピア・アソド・カソパニイ書店を私自身が実感するのには、少くとも、二十四時間を要するのだろうと考えていました。ところが、毎夜毎夜この小さな書店が開かれると、たちまち最初の友人たちが店に現われ始め、それから二十年以上にわたり、彼らは、決して私に落ち着いて考えごとをする暇を与えてくれませんでした。

 私が予想していた通り、パリでは本を売るよりは、本を貸し出す方がはるかに容易な仕事でした。イギリス作家の作品の唯一の廉価版を出版していたのは、タウフニツ社とコナード社でしたが、当時はこうした廉価版もキプリングやハーディ以上の作家には及んでいませんでした。現代作家の作品は、特にポンドやドルがフランに換算された場合はそうでしたが、フランス人や私の相手であるセーヌ河左岸の人々にはとても買うことのできない贅沢品でした。これが、私が貸し出し文庫に関心を持った理由でした。そこで、私は、私の好きなあらゆる作品を入手しては、パリに住む人々とこれを共有することになりました。

 私の貸し出し文庫は、アドリェソヌが何故そう呼ぶのか私には皆目見当がつかなかったのですが、「アメリカ方式」と彼女が呼ぶ方式で運営されました。カタログや索引カード、それにメカニカルな設備を使っているアメリカの図書館員ならば、きっと仰天してしまったでしょう。私の方式こそは、私のような店に最も適するものでした。私の店にはカタログがありませんでした。

 私は、むしろどれだけ本が欠けているのか利用者自身に発見させる方を選んだのです。カードーインデックスクスもありませんでした。誰に本を貸し出したのか想い出せない時には、その本がどうなっているかを知るためにすべての会員カードをめくって調べなくてはならなかったのです。

 確かに、店にはそれぞれの会員の名前と住所、登録の日付、登録料と供託金の合計額、そして、もちろん会員が借りた本のタイトル等々が記入されている大きなカードが備えてありました。あるいは、会員名簿ともいうべきものでしょうか。会員は一冊か、二冊の本を借り出すことができ、好きな時に他の本と交換できましたし、また、二週間借り出すことができました。ジョイスなどは幾冊もの本を持って行って、ときには、これを何年間も借り出した儘でいることもありました。

 それぞれの会員は小さな会員身分証明書を持っていて、これを、登録期限が切れた際とか、一文無しになって供託金の払い戻しを請求する際に提出するようになっていました。この会員証は、まるでパスポートのように重宝なものだと言われていました。

 文庫の会員の一人に、デュピュイトラン通りが突き当る小路にあった医学部に籍を置く学生がおりました。この学生はテレーズ・ベルトラン。現在のベルトラン・フォンティーヌ博士です。私はこの女学生の経歴を興奮を覚えながら見守っていました。彼攵は常に優秀な成績で試験に合格し、まっすぐに彼女の職業の中で最高の地位へと進み、「メデサン・デ・ゾビトゥー」という公立病院長に任命される最初の女性となりました。

 彼女は当時、著名な科学者を生み出した一家の出身でした。彼女本来の仕事があったにもかかわらず、時間を見つけては私の文庫にある新しいあらゆるアメリカの本を読み、この文庫が終りを迎えるまで会員の一人でした。

 次によく店を訪れた会員はジィドでした。最初、彼はアドリェンヌ・モニエとオデオン通りから街角を回ってやってきました。私の書店に急いで駆けつけ、私を勇気づけてくれるとは、いかにもジィドらしかったのです。私は、ジィドが傍にいるといつもおずおずしていましたが、アドリェンヌにこの話をすると、彼女は「そんな気にすることなんてないでしょう」わらわれてしまいましたが、彼が店に現れて本に借りだすとき、いつも圧倒されて、「アンドレ・ジィド。パリ十五区、ヴィラ・モンモランシイ、一番地、一年間、一冊」と、インクの斑点を作りながら、カードに記入したものでした。

 ジイドは背が高く好男子でした。彼はつばの広いフェルト帽をかぶっておりました。どこか俳優のウィリアム・S・ハートに似ていました。彼は、眉にケープかコートを掛けていて、大股で歩く姿はとても印象的でした。ジイドは絶えずシェイクスピア・アソド・カソパニイ書店とその経営者に関心を持っておりました。
 アソドレ・ムロウも、また、最初にお祝いの言葉を述べてくれた一人でした。彼は私に新しく出版した小さな傑作『ブランブル大佐の沈黙』を届けてくれました。

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シェイクスピア書店 アーネスト・ヘミングウェイ


Shakespeare and Company          Ernest Hemingway

In those days there was no money to buy books. I borrowed books from the rental library of Shakespeare and Company, which was the library and bookstore of Sylvia Beach at 12 rue de l'Odeon. On a cold windswept street, this was a warm, cheerful place with a big stove in winter, tables and shelves of books, new books in the window, and photographs on the wall of famous writers both dead and living. The photographs all looked like snapshots and even the dead writers looked as though they had really been alive. Sylvia had a lively, sharply sculptured face, brown eyes that were as alive as a small animal's and as gay as a young girl's, and wavy brown hair that was brushed back from her fine forehead and cut thick below her ears and at the line of the collar of the brown velvet jacket she wore. She had pretty legs and she was kind, cheerful and interested, and loved to make jokes and gossip. No one that I ever knew was nicer to me.

 当時、私には木を買う金かどこにもなかった。で、シェイクスピア書店の貸本文庫から本を借りてきた。それはオデオン街十二番地にあるシルヴィア・ビーチの貸本屋兼書店であった。冷たい、風の吹きさらす通りにあったが、ここは、あたたかくて、陽気な場所であった。冬には大きなストーブかあり、また、本を置いたテーブルや棚があり、ウィンドウには新しい本が置かれ、壁には、現存の、あるいは故人となった有名な作家の写真が掛けてあった。写真はすべてスナップのようで、もう死んでしまった作家でも、まるで現実に生きているように見えた。シルヴィアは、いきいきした、くっきりと彫りの深い顔をし、そのとび色の眼は小さな動物のように生気があり、少女のように快活だったし、ウェーヴした茶色の髪は、りっぱな額から、うしろへなでつけられ、耳の下のところ、ちょうど、彼女の着ていた茶色のビロードのジャケツのえりの線のところで、ふさふさした毛がカットされていた。彼女はきれいな脚をしていた。親切で、陽気で、物事に関心か深く、冗談を言ったり、ゴシップを話すのが好きだった。私の知合いの中で彼女ほど、私によくしてくれた人はいなかった。

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 I was very shy when I first went into the bookshop and I did not have enough money on me to join the rental library. She told me I could pay the deposit any time I had the money and made me out a card and said I could take as many books as I wished.
 There was no reason for her to trust me. She did not know me and the address I had given her, 74 rue Cardinal Lemoine, could not have been a poorer one. But she was delightful and charming and welcoming and behind her, as high as the wall and stretching out into the back room which gave onto the inner court of the building, were shelves and shelves of the wealth of the library.

 私は、はじめてその本屋へ入っていったとき、とてもはずかしかった。貸本文庫に加入するだけのお金をもちあわせていなかったのだ。いつでも、お金の入ったときに、保証金を払えばいいと彼女は言って、カードを作ってくれ、好きなだけ本をもっていらっしゃいと言った。彼女が私を信頼する理由は何一つなかった。第一、私のことを知らなかったし、私が彼女に知らせた宛名─-カルディナル・ルモワンヌ街七十四番地というのは、まあ、最低の地域だといってよかった。でも、彼女はにこやかで、チャーミングで、愛想よく、彼女のうしろには、壁と同じ高さに、この建物の中庭に面したうらの部屋にまでずっと伸びて、どっさり貸本文庫の本をのせた棚がつづいていた。

 I started with Turgenev and took the two volumes of A Sportsman's Sketches and an early book of D. H. Lawrence, I think it was Sons and Lovers, and Sylvia told me to take more books if I wanted. I chose the Constance Garnett edition of War and Peace, and The Gambler and Other Stories by Dostoyevsky.
“You won't be back very soon if you read all that," Sylvia said.
“I'll be back to pay," I said. “I have some money in the flat."
“I didn't mean that," she said.
“You pay whenever it's convenient."
“When does Joyce come in?" I asked.
“If he comes in, it's usually very late in the afternoon," she said. “Haven't you ever seen him?"
“We've seen him at Michaud's eating with his family," I said. "But it's not polite to look at people when they are eating, and Michaud's is expensive."
"Do you eat at home?"
“Mostly now," I said. “We have a good cook."
“There aren't any restaurants in your immediate quarter, are there?"
"No. How did you know?"
“Larbaud lived there," she said. “He liked it very much except for that."
“The nearest good cheap place to eat is over by the Pantheon."
“I don't know that quarter. We eat at home. You and your wife must come sometime."
“Wait until you see if I pay you," I said. “But thank you very much."
“Don't read too fast," she said.

私はツルゲーネフからはじめて、『猟人日記』の二巻と、D・H・ロレンスの初期の本一冊、たしか「息子と恋人」だった、を手にとった。すると、シルヴィアは、ほしければもっとたくさんもっていけと言った。私は「戦争と平和」のコンスタンス・ガーネッ卜版と、ドストエフスキーの『賭博者・その他の物語』とをえらんだ。
「それを全部読むんじゃ、近々またここへくるわけにもいかないでしょうね」とシルヴィアは言った。
「お支払いに参りますよ」と私は言った。「アパートには金がありますから」
「そういうっもりで言ったんじゃありません」と彼女は言った。「ご都合のいいときに払って下さい」
「ジョイスはいつ来ますか?}と私は聞いた。
「来るときは、午後おそくがふつうです」彼女は言った。
「お見かけになったことはないんですか?」
「ミショーで、家族づれで食事しているのを見たことがあるけれど、食事中の人をじろじろ見るのは、失礼だし、それに、ミショーは高いんでね」と私は言った。
「おうちで食事なさるの?」
「今はたいていそうです。良い料理人がいますしね」と私は言った。
「おうちのすぐ近くには、レストランかないんですね?」
「そうです。どうしてご存じ?」
「ラルボーがその辺に住んでいました。レストランのないことを除けば、彼はとてもそこが気に入ってぃました」と彼女は言った。
「おいしくて安いところで一番近いのは、パンテオンの方です」
「あのあたりは知りませんね。私たちはうちで食べますので。いっか奥さんをおつれになって、ぜひいらしてください」
「私がちゃんとお払いするのを見とどけてからのことにしてください」と私は言った。
「とにかく、どうもありがとう」
「あまり急いで読まないでくださいよ」と彼女は言った。

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   Home in the rue Cardinal Lemoine was a two-room flat that had no hot water and no inside toilet facilities except an antiseptic container, not uncomfortable to anyone who was used to a Michigan outhouse. With a fine view and a good mattress and springs for a comfortable bed on the floor, and pictures we liked on the walls, it was a cheerful, gay flat. When I got there with the books I told my wife about the wonderful place I had found.
“But Tatie, you must go by this afternoon and pay," she said.
“Sure I will," I said. “We'll both go. And then we'll walk down by the river and along the quais."
“Let's walk down the rue de Seine and look in all the galleries and in the windows of the shops."
“Sure. We can walk anywhere and we can stop at some new cafe where we don't know anyone and nobody knows us and have a drink."
 “We can have two drinks."
“Then we can eat somewhere."
“No. Don't forget we have to pay the library."
“We'll come home and eat here and we'll have a lovely meal and drink Beaune from the co-operative you can see right out of the window there with the price of the Beaune on the window. And afterwards we'll read and then go to bed and make love."
“And we'll never love anyone else but each other."
“No. Never."
“What a lovely afternoon and evening. Now we'd better have lunch."
“I'm very hungry," I said.“I worked at the cafe on a café creme"
“How did it go, Tatie?"
“I think all right. I hope so. What do we have for lunch?"
“Little radishes, and good foie de veau with mashed potatoes and an endive salad. Apple tart."
“And we're going to have all the books in the world to read and when we go on trips we can take them."
“Would that be honest?"
“Sure."
“Does she have Henry James too?"
“Sure."
“My," she said.
“We're lucky that you found the place."
“We're always lucky," I said and like a fool I did not knock on wood. There was wood everywhere in that apartment to knock on too.

 カルディナル・ルモワンヌ街の私のうちは三間つづきのアパートで、お湯も出ないし、防腐剤入りの室内使用便器を除いては、室内のトイレッ卜もなかった。けれど、ミシガン州の屋外便所に慣れている者にとっては、まずまず快適といってもよかった。眺望はいいし、良いばねつきのマットレスをゆかの上にしいて気持のいいベッドとし、好きな絵を壁に掛けてあって、それは、はればれした明るい気持のするアパートであった。本をかかえてうちへもどると、私は妻に、すてきな場所を見つけたことを話した。
「でも、タティ、今日の午後に行って、払ってこなくちゃいけないわ」と彼女は言った。
「そりゃ、そうするさ」と私は言った。
「二人で行こうよ。そのあとで河ばたへ下りて河岸ぞいに散歩しよう」
「セーヌ通りを歩いて、画廊やら、店のウィンドウをひとつずつのぞきましょうよ」
「そうとも。足の向くように歩いて行って、どこか新しいカフェへ寄ろう。ぼくたちにも知った顔がなく、向うもこちらのことを知らないカフェで一杯飲もう」
「二杯飲んだっていいわ」
「それから、どこかで食事といこう」
「だめよ。貨本文庫に支払いのあるのを忘れちゃだめよ」
「じゃ、うちへもどって、ここで食べよう。うまい食事をして、消費組合で売っているぶどう酒ボーヌを飲もうじゃないか。そら、そこの窓から見えるだろう。ボーヌの値段が窓ガラスに書いてあるよ。そのあとは、本を読み、それから、床へ入って、仲好くするのさ」
「あたしたち、ほかの人は絶対に好きにならないのよ」
「そうだよ、絶対に」
「なんてすばらしい午後と晩でしょう。さあ、お昼を食べた方がいいわ」
「ひどくおなかが空いた」と私は言った。「カフェで牛乳入りコーヒーを飲んで仕事をしたんだものな」
「タティ、旨く行って?」
「大丈夫だと思うよ。そうだといいと思う。昼食には何を食べるかね」
「小さな大根と、こうしの肝にマッシュポテト、それにエンダイブサラダ。アップル・パイ」「これから、読まなくちゃならぬ本は何だって手に入るよ。旅に出るときは、それをもってゆくのだ」
「そんなことをして、わるくないかしら?」
「もちろんさ」
「あのお店にヘンリー・ジズイムズもあるかしら?」
「もちろん」
「まあ」と彼女は言った。「そういう場所を見つけて、私たち運がいいわね」
「いっだって、運がいいさ」と私は言ったが、うっかりして、木をたたかなかった。(木を叩けば神の怒りを鎮めるという迷信)それに、そのアパートには、たたくつもりなら、いたるところに木造のものがあったのに。


注・訳者の福田陸太郎氏は1916年生まれ、2006年に没している。大学教授職の傍ら多くの訳書を残されたが、それらの労作がことごとく消え去っている。

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