真田広之さんへの手紙 2
日本で好評を博した蜷川のハムレットの噂は、
本場イギリスに流れた。
その結果、日本語のセリフで、
シェクスピア劇の殿堂ロンドン・バービカン劇場での
遠征公演を行うチャンスに恵まれる。
1998年、夏のことだ。
このロンドン公演がのちに真田にとって、
運命的な出会いを与えることになる。
この舞台をあるイギリスの大物俳優が見て、
真田の花のある存在感に惚れこんでしまったのだ。
その男の名は、ナイジェル・ホーソン。
サーの称号をもつイギリス演劇界の至宝である。
ホーソンはこの翌年、
蜷川と組んで大作リア王に主演するのが決まっており、
主な共演者を選定しているところだった。
このプロジェクトは蜷川にとっても、
ロイヤル・シェクスピア・カンパニーにとっても、
はじめて正式に取り組む画期的な試みである。
ナイジェル・ホーソン
真田さんの日本見語版ハムレットを
バービカン劇場で拝見しました。
とってもいい舞台でした。
それで一緒にいたプロデューサーに、
道化役に真田さんはどう? と提案したのです。
蜷川幸雄
ハムレットを演じた役者が、
今度は道化の役をやるなんていう発想は
まずありえないからね、
あの輝かしいばかりの主役を
真田さんはやってるわけだし、
それともう一つ、英語の芝居って言っても、
シェクスピアのセリフだからね、
それは大変だろうな。
真田広之
とにかく、すごい話なんじゃないの、
これってやばいぞって、
ここで即答していいことじゃないぞ、
まず物理的に、スケジュール的に、できるかどうか、
技術的にできるかどうか、
英国で舞台にふみたいという目標は、
当然、前からありましたけど、
だけどそれは目先に置いていたものだから、
やっぱり、まだ早いだろうという意識もあったし、
真田は挑戦的なっていく心の片隅で、
蜷川とはじめて会った
チャイニーズ・レストランのことを思い出していた。
現状に満足できず、自分を変えたくて、
強引に押しかけ、
蜷川にハムレットをやりたいと直談判した
あのレストラン。
すべてが始まったあのテーブルを。
真田
ハムレットの成功を祝って、
最初に蜷川さんと知り合ったあの店で、
乾杯するんだという話をしていたんですよ。
そしたら、ある時、空港で蜷川さんと出会って、
あの乾杯の話をしたら、蜷川さん、
それはリア王が終わってからだ、それじゃまたって。
蜷川さん、もう勝手に決めてしまっていたんだな。
蜷川
真田さんのハムレットは、こういうものを足場にして、
ぼくらの次の世代がね、
ちゃんとした世界を駆けまわってほしから、
ハムレットが成功したら、
彼と初めて酒を飲んだあのレストランで、
乾杯しょうという話をしたけど、
まだいってないんですよ。
真田は悩んだ末、リア王の道化役をうけた。
真田
情けないことに即答できませんでした。
果たして自分にできるか、自分でいいのか、
そして、本当にご指名にこたえることができるのか、
あらゆるプレッシャーと、言葉の問題と、
悩みぬいたんですが、
結局、悩んでも悩んでも、らちがあかなくて、
せっかくのこんなチャンスは、
二度と回ってこないぞと。
松たか子
びっくりしましたね、
ハムレットをやった俳優さんが
道化といった役をやるんだという
驚きほうが大きかったですね
真田
せっかくロイヤル・シェクスピア・カンパニーが、
アジア人に対して、日本人に対して、
門戸を開いてくださったから、まあ、これは
悩んでいる場合じゃないだろうと。
松たか子
ワンチャンスという、
一期一会みたいな思いの方が
強かったんじゃないでしょうか。
蜷川
道化というのは、ものすごく大事な役で、
脇役にはちがいないんだけど、
王の影のような人物で、解釈からいっても
大変謎の多い人物なんですね。
そしてそれが道化ですから、
身体的にも、いろんなことをやりあってほしいんで、
イギリス人が一番できないのは、
そういう身体的な激しい演技ができない。
まあ、言語化されたものが多い、
真田さんがやればせったいいいだろうと思いますから、
身体的にいろんなことをやってもらおうと、
真田さんは日本舞踊もできますし、
運動もトンボもきりますし、階段だって下を見ないで、
だだあっと何十段も登りますから、
それで、これで英語を話すわけですから、
しかもキングス・イングリッシュを、
キングス・イングリッシュをちゃんとマスターして、
世界の市場に出ていってほしいとぼくは思ってます。
8月1日
真田は超過密なスケジュールで
残りの仕事を終わらせ、
一人、ロンドンにやってきた。
これから十日間、古典英語の個人特訓
日本でも忙しい合間をぬっては、
英語のレッスンを受けてきたが、
容易に不安はぬぐいされない、
同じ土俵に立っていない自分を
イギリスの役者たちは受け入れてくれるのだろうか
子役から数えれば35年というスターの自信は
ロンドンに着いた瞬間消え失せる
主役のホーソンから指名された
鳴り物入りの日本の役者を、
言葉のハンディをもった異邦人を
イギリスのスタッフたちはどんな目を向けるのだろう
真田の挑戦は、
真夏のロンドンで、孤独にスタートした。
実際に英語のセリフを読みあわせをする
ワークショップ。
それが始まる前に、真田にはまず
クリアしておかねばならないハードルがあった。
英語の特訓。
日常生活に不自由しない程度の自分の英語力では
まったく話にならないことはわかっている
しかもイギリス人さえもう使わない古典英語の
独特のアクセントと
意味と解釈が必要となる。
シェクスピア劇の魂といわれる言葉は、
初日から高い壁となった。
蜷川
真田さんっていう人は、まず努力の人なんだよね、
それでその努力することがちっともいやじゃなくて、
努力することが、当然のことだと思っているから、
日本の普通の俳優の、そうですね、
倍の努力をしているでしょう、
その努力をもちろん見せませんよ。
驚くほど基本的なことからスタートしなければならない
言葉のハンディをいまさらながら
痛感させられていた。
自分はなにがおそろしいのか、
自分は何を焦っているのだろう、
真田は8月のロンドンをジョギングしながら
必死に平常心をたもとうとしていた、
いつものように、少しずつ着実に前に進めばいい
今までやってきたように。
蜷川
真田さんが演じたハムレット、
正直いってその稽古の頭は、
見事な出来ではなかったけど、
それがどんどんよくなっていくわけですけどね、
今度もきっとそうなるだろう、まあ、
どっちかというと努力しながら、
スロースターターという、それが積み重なって
突然、変化する。
今度だって、英語の勉強でロンドンにいって、
チェックしてもらって、
さらにストラットフォードにいって
ストラットフォードのスタッフと一緒に
パブにいって酒飲んで、
自分が泊まるとこまで案内してもらって
関係を積極的につくっていくという意志の力と
やはり、苦労して育って、
必ずしもスターというのは
恵まれてばかりではないわけで、
子供のときから演技している人は、
どれほどのものをのりこえて仕事をしているか
それは大変だったと思いますよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?