少年時代を、新鮮な感覚で描く、驚異的な筆力 帆足孝治
「千曲川」、永遠の輝き
少年時代を新鮮な感覚で描く驚異的な筆力 帆足孝治
小宮山さんが、この自伝(ご自分では、これは単なる自伝ではないとおっしゃっているが)のタイトルに「千曲川」の名を冠せたのは、幼くしてご両親を亡くされ、故郷を離れて東京へ出た当時抱いたであろう期待や不安、そして驚き、そんな少年時代にいつもその頃の心のよりどころとしておられたであろう故郷の象徴、千曲川を想ってのことだったにちがいない。
恥ずかしながら、私はまだ著者の小宮山さんを存じあげないし、まだお会いしたこともない『草の葉』の積好信さんからお送り頂いたこの本を手にしたとき、その美しい装丁をみただけで、この本を書かれた小宮山さん、さらにはこの本を実現させた人達の心暖かさを直感したものである。
人が子供時代の経験を、記憶が薄れないうちに文章にとどめておきたいと思うのは自然である。まして、子供時代に経験した遊びや冒険、家庭や学校、あるいは生活の周辺での出来事など、印象が鮮烈であればあるほど、こうした印象をできるだけ多くの人と分かち合いたいと思う欲求は強いはずである。
しかし、そこはうまくしたもので、いざ記録しようとしても記憶が曖昧だったり、さらには自分には強烈な印象ある出来事でも、その印象が他人にも同様の強烈さをもって伝えられる文章を書くということはなかなか容易ではない。ともすれば独りよがりになり過ぎて読者にその印象が生き生きと伝わらないということになりがちで、歴史的な記録を記すのと違って、自伝の難しさがここにある。
長い間、編集を仕事としてこられた小宮山さんが八〇才を過ぎてから出されたというこの「千曲川」は、単なる少年期の回想でも「自伝」でもないそうだが、敢えて言わせていただけば、これほど鮮烈な印象を自伝に書き残せる小宮山さんという人の、波乱万丈の少年期には驚かされる。まして感心させられるのは、小宮山さんの記憶力の良さである。
いかに自分で経験したこととはいえ、少年時代に出会ったたくさんの人達のこと、また、その大たちが残していった言葉、行動、少年の心が感じ取った相手の気持ちや心情など、子供の心の動きとは何といじらしく、そしてかくも深いものであろうか。
世の中には、大人になっても子供時代の夢や感受性をそのまま持ち続けている大は少なくないが、逆に子供の頃のあの大はどこへ行ってしまったのだろうと、悲しくなるほど変わってしまう人も多い。過去は過去、役にも立たない過ぎ去った昔のことなど、いつまでも感傷に浸っている暇はないという種類の人たちである。
確かに、人間の細胞は新陳代謝が激しく、健康な人ほど古い細胞がどんどん新しいものに変わって行くというから、脳細胞も然りで、何時までも昔のことばかり記憶している人は、いうなれば脳細胞の新陳代謝が悪く、発育が遅い人種だといわれても仕方がない。だから、昔のことを良く覚えているということは、精神的にも肉体的にも、あまり健全でないということなのかも知れない。
しかし、私は、そういう子供時代の気持ちを大人になっても大事にして失わず、少年のような恥らいと謙虚さをもち続けている人を尊敬する。そういう人に悪人はいないからである。逆境にあっても人から愛され、可愛がられて育った人には、いわゆる「大人」の持つ「悪さ」や「打算」がないからであろう。
小宮山さんの記憶力というか、この本に描かれた子供時代の思い出は、そのまま読む者に生き生きと伝わってくるが、七〇年も前のことをあたかも昨日のことのように、今なお新鮮な感覚で書き表す筆力は驚異的である。
幼い時代にお母さんに続いてお父さんをもなくした小宮山少年は、否応なしにおばあちゃん子になるのだが、おばあちゃんに愛され、可愛がられて育った少年はやがて故郷を離れて東京へ出る。そして第一銀行に就職して、いまホテルーオークラのある高台にあった大倉商業高等学校に通うことになる。銀行では暖かい人柄の渋沢敬三監査役に出会って励まされる。なんと恵まれた環境であろう。
この第一銀行に限らず当時の一流企業には、今日の企業のようただ利益をあげればいいというのではなく、何か社会に役立つことをしようという一種の理念のようなものがあったようで、従業員を学校に通わせることも仕事と同様に重要視していた経営感覚に感心する。時代が昭和に突入したころ、まだ十才を幾つも出ていなかったという小宮山さんが、これだけモノ事をしっかり見つめられ、子供なりの適格な判断力を備えておられたのは、やはり人に愛され、可愛がられて育ったという幸運と同時に、なにか暖かい大きいものを感じさせる第一銀行という会社に勤められたという幸運がそこにあったればこそであろうと考えるのである。