美しい姫は滝壺に身を踊らせた
第15章 玖珠高原の四季 帆足孝治
「三日月の滝」伝説
玖珠には神社仏閣が多いので、秋になるとあちこちでお祭りが行われる。上ノ市の近いところでは先ずお稲荷様やお伊勢様のお祭りがあり、続いて末広神社、善神王様、そして北山田の滝神社のお祭り、そしてしんがりが帆足の総宗社である八幡神社の秋祭りである。私が小学生だったころには、もう善神王様のお祭りがそれほど賑やかではなくなっていたので、楽しみな露店が出るお祭りとしては末広神社、滝神社、そして八幡様くらいのものだった。これらの中でもっとも賑わったのは八幡様のお祭りだが、その前にまず北山田の滝神社のお祭りがあるので、ここへやってくる露店の多くは滝ノ市に出店したものが次の八幡様のお祭りへ移ってくるようだった。
滝神社というのは、玖珠川が久大線北山田駅にちかづいて大きく湾曲するあたり、急に川床の岩盤が落ち込んでいるところに「三日月の滝」があって、その川縁にひっそりとたっている神社である。「三日月の滝」の高さは水量は多いが、落差は五メートルたらずで、壮観というにはややもの足りないが、滝の下は青々とした水をたたえた深い淵となっている。滝を見下ろす崖の上にある嵐山滝神社のお祭りは滝ノ市とよばれて遠くからも参拝者が大勢やってくる。「滝ノ市」という名称から想像するに、昔は毎年このお祭りの日に合わせて市が開かれていたのだろう。玖珠にはいまも上ノ市、二日市、四日市など、むかし定期的に市が開かれた場所やその日にちがそのまま地名となって残っているところがある。
滝神社の主祭神は宗像三女神で、小松女院(こまつのにょういん)とその侍女の霊が併せ祭られている。子供のころ、よくこの滝にまつわる古い言い伝えを聞かされたことがあるが、何でも都のうつくしいお姫様がこの滝壺に投身自殺をとげたという伝説で、子供たちでくわしいことを知っているものはいなかった。
玖珠は岩盤大地のまっただ中にあるため、玖珠川にも、これに流れ込む川にも、あちこちに滝があって、それぞれに伝説や言い伝えが残されている。この辺りでは「竜門の滝」の竜の話が有名だが、実は誰もがそういう伝説があることは知っていても、意外に正しい言い伝えを知っている人は地元にも少ないのである。
小松女院という人は、京の都のやんごとなき王女だったが、かねて少納言清原正高という貴公子に想いを寄せていた。その清原正高郷が円融天皇の天延年間に、ゆえあって左遷され豊後介(ぶんごのすけ)となって豊後の速見郡、玖珠郡などに所領を受け西下した。実はこの人が帆足家の宗家である清原一族の先祖なのだと伝えられている。
さて、小松女院は想う人を慕って十二人の侍女を連れ、尋ねたずねてはるばる玖珠の地までやってきた。ところが、そのころすでに正高郷は矢野検校(けんぎょう)久兼というこのあたりの郷氏の館に身を寄せており、その娘を娶って二人の子女をもうけていた。そのことを知らない小松女院は、この玖珠盆地まで訪ねきて、たまたま正高郷の邸宅造営のための木材切り出しをつかさどっていた木切別当(ききりべっとう)にあい、正高郷の居場所、その近況などを聞いてしまう。
想う男が別の女と所帯をもって幸せに暮らしているという話を聞いて、もはや自分の恋が成就する見込みの全くないことを悟った女院は、哀れ十二人の侍女ともども滝に身を投じてしまった。凄まじいのは、知らぬこととは言いながら自分が話したことが小松女院らを自殺に追いやったと悟った木切別当までもが、後を追うように斧を投げ出して滝壺に身を踊らせたという悲しい伝説である。
今となっては本当にそんな悲惨な話があったのかどうか確かめようもないが、全くの作り話にしては出来がよすぎるので、正確に伝えられてはいないかもしれないが、その昔に似たような事件があったに違いない。千年も昔の話とはいえ、この伝説は何ともなまめかしいので、私は今でも一人ではあの滝に近づくのがおそろしい。
滝そのものは明るく開けた岩場にあるので、天気がいい日などは恰好のピクニック・エリアとなるが、曇った日や、夕暮れ時になるとここに寄りつく人などいないので、滝の音ばかりが轟くあたりはおそろしい場所に様変わりする。失恋して世をはかなんだ女性などが誰もいないここへやってくれば、つい飛び込み自殺くらいしたくなるのはやむを得ないといった雰囲気がある。
滝のすぐ近くの岸には小松女院が身投げする際に、ここまでかぶってきた笠を掛けたという「笠掛けの松」という老木もある。