蜷川幸雄さんへの手紙 1
ワークショップの初日がやってきた。
一年前、日本語版のハムレットの主役をやった
この劇場に真田は再び帰ってきた。
今度は一脇役として、
そして新人俳優として、少しおびえながら。
真田広之
こういう形でここに戻ってこれるとは
夢にも思ってなかったから、うれしいですね。
あとに引けないって感じですね、
やばいですね。
蜷川幸雄
初日のワークショップで
真田さんをみたイギリスのスタッフは
なんだ、こんな人が道化をやるのか、
イギリスのスタッフは、みんなそう思ったわけで。
マイケル・マロニー
みんながよそ者を見るように
じろじろ見る。
その時の彼のこわばった顔、
一歩一歩ぼくたちが座っている席に歩み寄る。
そして彼の席にすわる。
彼の全身が緊張している、
もう後戻りはできないんだ。
蜷川
そしたら、真田さんが読み始めたら、
ものすごく訓練されたきちんとした英語を
しゃべったんだね、
マロニー
正反対のカルチャーの国から
一人でやってきて、
ついこの前まで、
英語なんか使うこともなかった。
しかも、もう誰も使わない古典英語を、
しゃべらねばならないという苦痛!
読み合わせが始まって二、三十分たった。
そして真田さんの第一声、
完璧な英語だった。
蜷川
まして立ってトンボをきったり、歌まで歌う。
マロニー
二回宙返りをきめて、
テーブルに飛び乗り、
剣を振りまわしながら、帽子を投げ、
英語のセリフを言ったかと思うと
今度は歌を歌い出す。
ぼくの口はアンクグリさ!
蜷川
それで、イギリスのスタッフは
みんなびっくりして、なんてすごいんだと、
はじめの印象が
どんどん覆されていったいったんですね。
真田
やりようがなくて、
最初のワークショップ、
八方ふさがりで、
ただいるだけになっちゃうんじゃないか、
そんな不安があったんで、
もうスクリプトにもとづいて、
自由に動いて、やるようになって。
そしたらなんかぜんぜん自由になれたというか、
いろんなプレッシャーはなくなりましたね。
真田がロンドンで変身しているとき、
日本では、蜷川は演劇の常識を
あえて無視するたくらみをすすめていた。
イギリスの役者を全員日本に呼び寄せて
RSC(ロイヤル・シェクスピア・カンパニー)の
保守的な環境から切り離して
リハーサルをはじめるのである。
日本公演をイギリスより先にもってきたのも、
そのためだった。
しかも、リハーサル初日から
すでに完成された舞台の上で
芝居をさせる。
それはイギリスの俳優たちが
経験したことのないやり方である。
蜷川
ぼくとしては、イギリスでやると
イギリス人が作ってきたシェクスピアというものから、
なかなか離れることができないんじゃないかと、
内心思っていたわけです。
だんだん本心をいいはじめますが、
つまり、彼らのグランドで仕事をすると
いつもの自分たちがつくつているシェクスピアから
離れることができないんじゃないかと、
ぼくは思っていたわけで。
それで一度切り離して、彼らも新しい環境の中で、
新しい自分に出会うのは、
まず日本にきてもらおうと。
もちろん、稽古の方法も、
イギリスの方法とは全然ちがいますから。
彼らは二週間ぐらいテーブルの上で
稽古をするわけですけど、
ぼくは一日しかやらないで、
翌日からすぐに立ち稽古で、
そのためにいろんな犠牲も
当然払ってるわけです。
俳優がきたときに
完璧なセットをつくってほしいと。
舞台スタッフは前日まで大変でしたがね。
完璧なものにみせなければ、
彼らに説得力がないと
いうふうにやりましたから。
その努力がむくわれたということが正しい。
まあ、簡単言えば、能舞台のような空間をつくって、
さあ、演技だけ見せてほしい。
ぜいたくですよ。
演出家にとってこんなうれしいことはない。
そんなふうにうまくいくかなあ。
明後日から稽古はじまるが、
今の緊張と興奮は、開幕前の甲子園の
出場校の第一回戦のはじまりといったもんかな。
ワークショップを終了したキャスト陣は、
いよいよ日本に乗り込んできた。
もちろん真田もRSCの一員として。
その顔は明らかに自信をとり戻していた。
日本公演まであと一カ月半。
開幕にむけて真田の助走は加速していった。
蜷川のたくらみ通り、
リア王のリハーサルは
ある種の混乱と戸惑い中で始まった。
イギリス人たちには、はじめての
日本人演出家の意図を測りかねていた。
ナイジェル・ホーソン
劇場に到着した時、
すでに舞台セットは完成していた。
そればかりか、照明、音楽、効果音、
必要なものすべてがあった。
スタッフも準備OK、
これがオペラだったら、
きっと蜷川さんはこう言うだろう。
知っているアリアをすぐ歌って下さいってね。
マロニー
イギリス式のリハーサルは、まず二、三週間は
テーブルを囲んでのディスカッションのみ、
セリフの細かいディテールを
全員が納得するまで話し合う。
シャ―ン・トーマス
蜷川演出の印象は、怖いというより
異質という感じ。
イギリスの役者が慣れたスタイルとは違う。
芝居を体に取り込めという演出、
体を使って取り込め、
すばやく、瞬間的に。
ホーソン
若手の役者は戸惑ったと思いますよ。
立ち位置がすべて決められて
指示通り動いてきた連中には。
蜷川
近年のイギリス演劇のひ弱さが、
ぼくのなかで批判としてあるわけですね。
同じ時期に「真夏の世の夢」を、
RSCがやったのと、ぼくがやったのを見てて、
ぼくはRSCを見てて、なんだこれはって、
正直いってそう思ったんですね。
ぼくは実につまらない演出だと思ってるんですよ。
まるで病理学的に解剖されたような、
あるいはシェクスピアの世界を
分析していくというやり方が
いかにおろかしいかと。
マロニー
イギリスでは、セリフの一語一句に
重点を置き、動作は控え目。
でも蜷川さんと組んでいい経験になったのは、
セリフはそのままで、
体のすべてを使え。
役者の本質的な鋭い動きが出てくる瞬間を
蜷川は逃がさない。
蜷川
日本だとリアっていうのは、
だいたいが年寄りがやると、
水戸黄門みたいな力のないものに
なっちゃんですよ、
だけどリアというのは、
本当に宇宙と対話するような、
すごい怒りの爆発と絶望のどん底に落ちる、
それだけの振幅をもった人物なんで、
日本にはそこまで演じることのできる
俳優がなかなかあらわれない。
ナイジェリが言うには、
リアには娘が三人いるけど、息子がいなかった、
リアにとっては道化が息子のような存在なんだ、
リアにとって道化は、幻の息子であり、
理想に息子であり、
リアに対する批判者であり、
さまざまなものを道化に求めている、
だからリア王を演じるナイジェリは、
真田さんにそんな息子としての道化を
演じてもらいたいわけなんですよ。
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