イエロー・ブリック・ロード 高尾五郎 Yellow Brick Road
その埠頭には赤煉瓦の倉庫が四つ五つと建っていて、その倉庫棟の前を通る道路もまた煉瓦が敷きつめられていた。高層ビルディングが次々と立っていくなか、そのあたりは古い時代の古い時間がたちこめているようだった。煉瓦通りを抜けると広場にでる。その広場の奥には全身をガラス張りにしたレストランが建っていた。建物の半分を海にのせていて、そのテラスから海に向かって長い桟橋を突き出している。その桟橋には白や青や黄色や赤にペイントされた幾隻ものクルーザーが停泊していた。そのあたりは煉瓦通りとはちがったなにか近未来といった景色が広がっていた。
そのレストランの前の広場は、都会の穴場というか忘れられた三角地帯というか、いつも空いているのでぼくたちが野球をするときは、
「イエブリにいこう」
「うん、イエブリだ」
と言って自転車をとばしていくのだ。イエブリとぼくたちがその広場を呼ぶのは、そのレストランの名が《イエロー・ブリック・ロード》で、それをちょん切ってつなげたわけで、それ はぼくたちを解放させる、ぼくたちだけにしか通用しない、なかなかクールな呼び方だと思っているのだ。とにかく馬鹿ママたちが、学習塾とか、水泳クラブとか、ピアノとか、英会話塾とか、あっちこっち入れるもんだから、ぼくたちの毎日は忙しい。だからそんなものを蹴飛ばして、みんなそろってイエブリにいくときは心が燃え立つのだ。
そしてそれはぼくだけのことかもしれなかったが、ちょっと体があつくなる。というのはイエブリにいく途中、不思議なことにいつもシェパードをつれた外人の女の子と会うのだ。すごくかわいい子で、ぼくたちとすれちがうとき、その子は春のような笑顔でハーイと声をかけてくる。雄太とか、健治とか、守とかはその子に出会うと、ハローとか、ジスイズペンとか、ジスイズガイジンとか言っていたが、そのうちジスイズオマンコとかジスイズキンタマとか言って下品にガバガバガビガビ笑うので、ぼくはとてもはずかしかった。もしその子が日本語をわかっていたらなんて思うだろうって。そんな気持ちでちらりとその子をみる。するとその子はバラのような笑顔をぼくに、もっとここを強調するとぼくだけに送ってくるのだ。
その日もまた野球をやろうというみんなの気持ちが燃え立って、学習塾とか、水泳クラブとか、そろばんとかをそれぞれ蹴飛ばしてイエブリにいくことになった。ところがぼくは宿題を忘れ、その罰で掃除当番にさせられ、下校するのがみんなより遅くなってしまった。そんなことに時間を潰されたことが悔しくて、その時間をとり戻そうと全力疾走で家に帰ると、ランドセルをベッドに叩きつけ、グローブやボールやバッドをディバックに投げ込み差し込み、カラコラムGTのギアを最上段にぶちこんでイエブリに向かった。ぐんぐんと飛ばして、天王州橋を渡り、寺田倉庫橋を渡り、若潮埠頭橋を渡り、赤煉瓦の倉庫通りを曲がろうとしたときだった。目の前に突然シェパードが飛び出してきた。両輪のブレーキをかけ素早く避けようとしたが、ハンドルを切りすぎて路上にどっところがってしまった。
「あ、大丈夫!」
と女の子が悲鳴をあげた。あの子なのだ。ぼくは痛みよりもその子のことが気になったから、ずきっと痛みが走ってきたが、
「平気、平気、ぜんぜん平気」
「あ、血がでてる。たいへんだわ。痛そうね」
その子はポシェットのなかからハンカチをとりだし、血がにじんでいる膝小僧のあたりにあてようとした。ぼくはまた「平気、平気、ぜんぜん大丈夫」と言って、倒れたバイクを引き起こした。
「ねえ、これ使って。これ、あなたにあげるわ」
いつもお父さんが言っている男は我慢だということもあるし、その子には格好よくみせたいと思ったから、
「大丈夫だよ、こんなの怪我のうちにはいらないから」
と冗談ぽく言ってカラコラムGTにまたがると、その子を振り切るようにぺダルをこいでいた。
その日は野球をやっていてもその子のことが思われ、その子のことを思うと胸のあたりがずきずきと甘くうずいた。