英語への憎しみを育てる英語教育
学校でいまどんな授業がおこなわれているかはそのテストをみればよくわかる。最近の英語のテストはこういう問題を中心にして組まれていく。
問一 ( )内に日本語を参考にして、次の文に適する語をいれよ。
People are suffering ( ) war and hunger. (~苦しんでいる)
Kevin Carter working ( ) photographer. (写真家として)
You may ask what they have ( ) common. (共通に)
Dodos are dying ( ) now. (死滅しつつある)
Dodos once lived ( ) the island of Mauritius. (島に)
Dodos disappeared ( ) the earth. (地球から)
あるいはこういう問題である。
問二 次の各組の( )と( )の文がほぼ同じ内容になるように__に適する語を入れなさい。
To study English is important for me.
__ important for me __ study English.
He visited Tokyo last year.
Tokyo __ __ by him last year.
I saw the picture three years ago. I saw the last year, too.
I __ __ the picture twice.
I know the man. He can sing well.
I know the man __ __ sing well.
She began to read the book an hour ago. She is still reading it.
She __ __ the book for an hour.
They didn’t speak Welsh in Wales.
Welsh __ __ in Wales.
かつて私たちが中学生時代に取り組んだテストとほとんど変わっていない。ということは、日本の英語教育は、何十年まったく変化していないということである。私たちは英語の勉強に膨大な時間をついやしてきた。しかし9割、いや正確にいえば、99パーセントの日本人は英語を話すことはできない。英語の新聞も本も読むことはできない。日本の英語教育はこういう現実をつくりだしてきたのだ。こういう現実をつくりだしてきたのに、いまだにこのようなテストを子供たちにつきつける授業を展開しているのである。
問一は前置詞を書き込む問題である。なるほど英語にとって前置詞は重要である。しかし私たちにとってこんな問題は実はどうでもよかったのだ。小さな括弧のなかにぶちこむものが、toだろうが、inだろうが、ofだろうが、outだろうが、どうでもいいことなのだ。日本の英語教師たちは、こんなけちくさいことを私たちにたたき込もうとしてきたのだ。そのことに私たちはもうはっきりと気づかなければならない。
あるいは問二の問題であるが、これこそ日本の英語教育の中心をなすものである。日本の英語教育の構造をよく語っている問題なのだ。英語の教科書は新しい章になるたびに、そこに新し文法が組み込まれている。否定文の作り方を終えると、次は疑問文である。それが終わると過去形が登場してくる。過去形を卒業させると、今度は日本人にはわかるはずもない現在完了形が登場してくる。それを終えるとさらに生徒たちを混迷の渦に巻き込む過去完了形というものまで現れていく。
こうして続々と登場してくる文法を英語教師たちは全時間をあげて、その仕組みを生徒たちに教え込んでいく。文部科学省でつくられたカリキュラムが現場の教師たちにそう命じているからだった。英語とは文法的構造をもっているのであり、その構造を徹底的に生徒たちに叩き込め。彼らの首をしめあげてもその構造をわからせよというのだった。
小学生たちは、はじめて学ぶ英語に、夢をいっぱいふくらませて中学校に入ってくる。そして期待の英語の授業がはじまる。しかしはやくも一年生の一学期の後半になると、クラスの半分の子供たちが授業についてこれなくなる。そして一年生の三学期になると、なんと三分の二の子供たちは脱落していく。子供たちは次第に英語に憎しみをもっていく。
ここで取り上げた日本の英語教育の実態をよく語っている二問の問題の背後に、子供たちの英語に対する憎しみがあることにもう私たちは気づかなければならない。それはかつて私たちの憎しみでもあった。憎しみは英語コンプレックスを生み、英語アレルギーとなって日本人のなかにしみこんでいく。
この憎しみやコンプレックスやアレルギーは、時間をこえ空間をこえて繋がっている。この感覚こそ実は正常であり、しっかりと本質をとらえていたのだ。見るがいい。99パーセントの日本人は英語をまったく話せないではないか。
地動説教育がつくりだすテスト
九十九パーセントもの日本人はまったく英語を話せない。日本の英語教育がつくりだしてきた結果であった。もしこれがプロのサッカーチームだったら監督は即刻クビである。企業だったらもうとっくに倒産している。なぜこれほどの惨敗を何十年と繰り返しているに、このシステムは依然として存続しているのだろうか。それはこのシステムを、英語を話せる人たちが牛耳っているからである。このシステムを組み立て、運営し、管理をするのは、英語を話すことができるという1パーセントの人たちによってなのだ。つまり日本の英語教育とは、1パーセントの人々が、1パーセントの人々によって、1パーセントの人々のためにつくり出してきたカリキュラムだったのである。
であるから、もし日本の英語教育を本質的に変革するならば、この一パーセントの人たちをまず追放しなければならないということになる。そして英語が話せない99パーセントの人々が、英語が話せない99パーセントの人々によって、英語が話せない99パーセントの人々のための英語教育のカリュキュラムを組み立ていくべきなのだ。
そのとき私たちが注意しなければならないのは、どんな合理的で効率的なシステムを導入してきても、結局は9割以上の日本人は依然として英語を話すことはできないということに。英語が自由に話せるようになるなど幻想以外のなにものでもない。それは駅前留学という英語塾があふれているのをみてもよくわかる。あの業界の盛況は、日本人は英語を話せない、どんなに時間をかけても、どんなに資金をつぎこんでも、結局日本人は英語を話さないという現実を、無限の宝庫にして成り立つ産業なのだ。英語を必要としない社会のなかで生きているかぎり、日本人は英語を自由に話すことはできない。
したがって英語が話せない99パーセントの人々が組み立てるカリュキュラムは、まず憎しみを育てていかない英語教育である。英語に対するコンプレックスも、英語アレルギーもつくりだしていかない教育である。日本人はどんなに訓練しても、たどたどしい英語しか使えない。間違いだらけの、しどろもどろの英語しか話せない。それでいいのである。それで十分なのだ。そのことを基底して英語教育のカリキュラムを組み立てていけばいいのだ。
抽象的でわかりにくいというならば、一つの例として「ゲルニカの旗」に登場してきた吉永先生をとりあげてみることにする。彼がもし中学校の英語教師であったなら、日本の英語教育のペテン的構造をだれよりも深く見抜き、その構造を根底から打ち壊していく授業を展開していくだろう。そして学期末のテストは以下のような問題になるはずだった。たった一問の、しかし天動説から地動説教育に転換させる問題である。
問題 大地君の乗っているバスにかわいい外国の女の子が乗ってきて、大地君の隣にすわりました。そこで大地君はその女の子にひかれて、さかんに英語で話かけたのです。以下の日本語を参考にして、あなたが大地君となって、あなたの知っているありったけの英語を使って英文をつくりなさい。辞書をみるのも自由です。そして書きあげたら、その全文をそらんじて、みんなの前で発表してもらいます。諸君の健闘を祈ります。
「君ってさ、どこからきたの。ああ、アメリカか。アメリカって広いからさ、アメリカのどのへんなの。ワイオミングか、よくしらないけど、いいよな、アメリカってさ。おれってアメリカ、すっごく好きだよ。絶対に行こうって思ってんだ。日本にはいつきたの。勉強するためとか? そうっか、日本語を勉強してるんだ。日本語ってむずかしいよね。英語もむずかしいけどさ。ところで君ってさ、どんな音楽聴いてんの、マライア・キャリーか、おれも聴いたことあるよ、ヒーローとかさ、いいよね、あの歌。自分のなかにヒーローがいる、あきらめるな、明日があるから、やがてその時がきたら、きっと道が見つかるなんてさ。なんかさ、元気もらえるよな。日本人の歌って聴いたことない? えっ、美空ひばり、まじかよ。まあ、たしかに、美空ひばりって、アメリカのマライア・キャリーかもしれないけどさ。でも、きみって面白いね。ねえ、おれたちって話があうと思わない。これってさ、おれたち友だちになれっていうことじゃない」
A GIRL WHO COMES FROM WYOMING
By Hirano Takahiro
Where are you come from? Oh, United States. United States is very big. What part in United Sates? Wyoming . I don’t know about Wyoming. But I imagen Wyoming is beautiful country. Fresh air, beautiful river, high mountain. I will go to Wyoming. I hope to go your country. Well when did you come from Wyoming to here Japan? What living now? Oh, you study Japanese. Japanese is very difficult. English is very difficult, too. We have hard study. Well, what music do you listen? Maria Cary. I listen to her song. I listen HERO. HERO is good song. HERO lise in you. Dream come true. Hold on. There will be tomorrow. in time, you’ll find the way. Her song make me happy. And her song make me to be strong. Did you listen Japanese songs? Oh, really! You listen MISORA HIBARI! I can’t believe. But I think MISORA HIBARI is like MARIA in United States. You are good sense and friendly. I agree with your sense. That is you have to make friend with me.
WE SING HERO IN BUS
By Reiko Kimura
Where do you come from? America, Yah. America is big big country. Where in America? Wyoming, I don’t know it. But I want to go Wyoming in the future. Because, I like America. When did you come here? What do you come for? Oh, for studying Japanese. Yes, I think Japanese is very hard. But English is very hard, too. Now, what musician do you like best? MARIA CAREY! I love hero, too. I listen her song many many times. HERO is me best song. Let’s sing. Yes, let’s sing with me. Ok? Let’s go! “ There’s a hero. If you look inside your heart. You don’t have to be afraid. Of what you are. There’s an answer. if you reach into your soul and the sorrow that you know will melt away. And then a hero comes along with strength to carry on. And you cast your fears aside. And you know you can survive. So when you feel like hope is gone, look inside you and be strong. And you’ll finally see the truth that a hero lise in you. It’s a long road. When you face the world alone. No one reaches out a hand. For you to hold. You can find love. If you search within yourself. And the emptiness you felt will disappear. lord knows. Dreams are hard to follow. But don’t let anyone tear them away. Hold on. There will be tomorrow. in time, you’ll find the way.” Great! Your voice are nice. By the way, what Japanese song did you listen? MISORA HIBARI! Is it true? Misora Hibari is a great singer in Japan. She died many years ago. But now Japanese love her song. Misora Hibari and Maria Carey are alike. You are very charming. I getting want to make friend with you. Teach me your phone number.
生命を流しこむ英語教育
この答案を書いた二人ともむろん外国生活はない。平野孝弘君と木村怜佳さんの学校の成績は、ほんどの教科が三の、ごく普通の生徒である。この英文には間違いがたくさんある。文法をうるさく指導する教師が赤ペンで採点したら答案用紙は真っ赤になるだろう。しかしそうしたらこのテストの生命を失う。間違いなどどうでもいいのだ。まして文法の間違いなど、ぜんぜん問題ではない。このテストの生命は子供たちに英語を歌わせることにあるのだ。のびのびと自由に、いままでたくわえてきたありったけの英語をつかって、力いっぱい英文を書いていくことなのだ。
この二つの答案には生命がこもっていないだろうか。英語を愛する気持ちが脈々と流れていないだろうか。この二つの答案は英語という言語の核心をしっかりととらえているのだ。なぜなら彼らの心のなかに英語の核心がしっかりと流れこんでいるからだ。吉永先生の企みはまんまと成功したのだった。
生徒たちは競ってマライアの歌を聞きはじめた。もちろん彼らはマライアを知っていた。しかし今度はヒーローの歌詞をおぼえるために聴きはじめたのだ。生徒たちのほとんどがその歌詞をおぼえてしまった。だからだれもが英文のなかにその歌詞を書き入れている。なかでも木村さんは、一緒に歌おうよという絶妙なる展開をつくりだし、その歌詞の全文を書き込んでいる。その木村さんに導かれて、その歌詞の全文を日本語に転換してみるとこうなる。
「そこにヒーローがいるじゃない。自分の心のなかに。何もできない自分がいるなんて怖がることはないのよ。あなたの心のなかを見つめると、答えはそこにあるの。あんなにつらかった悲しみだってとけていく。そのときヒーローはやってくるの。苦しみをのりこえていく力をひきつれて。あなたの不安なんてちっぽけなもので、あなたは生きるっていう力をもらうのよ。だから希望を見失ったら、自分をみつめるの。勇気をだしなさいよ。真実がちゃんとそこにあるじゃないの。ヒーローは自分のなかにいるって。それは長い長い道。世界をたった一人で歩く旅。誰も助けてはくれない。立ち向かっていくのはあなただけ。あんなにさがしていた愛だって見つかるのよ。何をしても空しかった。その空しさだって消えていく。神様は知っているのよ。夢を追いかけるってそれは苦しいことよ。だけどどんなことに出会っても、その夢を引き裂いてはいけないの。あなたがつかみとるのよ。明日があるじゃない。その時はくるのよ。その時がきたら、きっとその道は見つかるんだから」
吉永先生のクラスの生徒は、一人残らずヒーローを歌うために、この英文を譜じさせた。譜じるだけではない。大半の子供たちがすらすらとその英文を書けるようになった。吉永先生のクラスの生徒たちはっきりと知ったのだ。英語というものは文法で成り立っているのではない。英語とは勇気と生きる力を流しこんでくれる言葉だということを。
先に記した二問の英語のテストは、天動説の授業がその創造力を駆使してつくりだした問題だった。後者がそれを打ち砕こうと創造していった地動説の授業が到達した答案である。二つのテストを見比べるがよい。その二つの子供たちの答案を見比べるがよい。その志の高さと深さの違いが歴然とするではないか。
学力ではなく知力をつくりだす教育
何十年に一度の大改革といわれる今度の教育改革は、ひどく評判が悪い。子供たちの学力がいまでさえ落ちているのに、このような「ゆとり教育」をしていたら、日本はいよいよ墜落していくという批判がごうごうと湧き起こっている。政治家からも、産業界からも、父母たちからも、そして教師たちからさえも。日本の教育は高い学力をもった子供たちを育ててきた。だからこそ一流の国家をつくりあげることができたのである。いま日本は停滞と閉塞につつまれている。いまこそ新しい時代をつくりだしていくことのできる高い学力をもった子供たちが必要なのだと。
しかしこうもいえないだろうか。日本が停滞し墜落していくのは、実はこれまでの日本の教育の結果なのだと。ひたすら学力なるものを子供たちに植え込んできた結果なのだと。なるほど日本の教育は高い学力をもった子供たちを大量につくりだしてきた。しかしこの学力とはただペーパーテストでどれだけの点をとれるかということなのだ。ペーパーテストの成績が高い得点ならば高学力ということになる。高学力をもった人間とはペーパーテストによい点がとれる子供だったという意味なのだ。このような人間ばかりを育ててきたから、日本はガラクタになっていったといえないだろうか。
このペーパーテストなるものがいったいどのような代物なのか、それはすでに記した英語のテストをみればよくわかるはずである。99パーセントの日本人は英語を話せないということを証明するテストだった。血にも肉にもならぬものを丸暗記せよというテストだった。日本の教育とは、わかっていようがいまいがとにかく丸暗記して、テストによい点をとればその目的は完了する。それを私たちは学力とよんでいるのである。
暗黒の世界を切り開いてきたのは学力ではなく知力だった。世界の苦悩を背負い、そこに新しい地平をつくりだしてきたのも学力ではなく知力だった。とするといま日本の教育が一番立ち向かっていかなければならないのは、この知力をもった子供たちを育てていくことではないのか。そのためには日本の教育を一大転換しなければならず、それこそ「ゲルニカの旗」が主題にしたテーマであった。子供たちに学力をつける教育ならば、天動説の授業は実に効率的で合理的である。しかし真に世界を切り開いていく知力をもった子供たちをつくりだしていくには、吉永先生のように地動説の授業にがっぷりと取り組まなければならないということなのだ。
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